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中国を見たい

コラム『あまのじゃく』1954/8/2 発行 
文化新聞  No. 1234


共産主義の魅力のフシギ ⁇

    主幹 吉 田 金 八

 記者が『あまのじゃく』で「放射能マグロ騒動は、日本のチビ学者のガイガー計数管せんずり」「黄変米安ければ結構」を書いたら、その日の夕刊に米国の放射能専門委員会は、「ビキニマグロも食用無害」を発表したと伝え、さらに1日朝の新聞は「政府は配給を強行」と伝えている。
 政府が黄変米配給を断行するのは、絶対無害に自信があるからこそで、この二つの時局ニュースの人気者も、一般世論が水鳥の羽音におびえた平家の軍勢のように、騒がないで良いものを騒ぎ立てすぎたという事になる。
 社会党などはこの世論に便乗して黄変米配給に抗議をするなど、尻馬に乗って振り落とされるような不様な結果になりそうである。
 土台、主婦連などという団体も、豆腐や湯銭の値上げなどに反対はするが、豆腐が高いのは政府がアメリカにおもねて中共から大豆を輸入させない事に遠因があることに気づかず、気づいても頬かむりで、豆腐屋ばかりを眼の仇にするような浅はかなところが多いのはどうしたものか。
 黄変米事件を機会に、主要食糧の配給制度全廃というような達観を働かせる知恵者はいないのか。
 依然として配給制度をやめたら米が高くなって、貧乏人には内地の白米は食えなくなってしまう様な幻影におびえているとは困ったものである。
 物事の情勢判断は、ある程度は科学の実証も信用しなければならぬが、科学が立証し得ない分野もまだまだ多いし、人間が存分に科学を駆使する領域も限られているので、勘を働かせなければ、的確なものは得られないという事になる。
 統計や資料や報告ばかりでは事業がうまくは行かず、戦争も勝てないことは、会社の運営には聡明な手腕家が居らねばば駄目、戦争にも東郷大将やネルソン、マッカーサーなどの名将が必要だということでも判る。
 東郷が日本海海戦で有名な敵前回頭をやったのも、マッカーサーがコレヒドールを逃げ出したのも、総て名将の勘が当たった訳で、その時間にはあらゆる化学兵器などは何の役にも立たない。
 北斗星氏は、ソ連が原子力発電所を完成したと誇るが、「誰も見てきた者は居ないではないか」と、まだまだアメリカにおんぶしてそれを軽視してる風だが、誰かが見てきたところで、その人の受け売りであり、見る人が色眼鏡をかけておればいろいろと違った結果が報告される訳で、そんな事を一々見てこなければ判断出来ないようでは、国家社会を語る資格はない。
 見てこなくても、見てきた以上に悟ることが先に立つ者の資格でななければならない。
 最近本紙の投稿の傾向を見ると、ソ連嫌い、共産党嫌いの方の勢力が強いように思われる。好き嫌いは各人の勝手で、押し売りは出来ないが、記者は別にソ連も中共治下の中国も見ていないが、今後の日本がどの道を歩むかという段になると、アメリカ一辺倒の方針には絶対に反対である。
 記者は勢力におもねるとか、中間に立って勢力の均衡の差に乗じて甘い汁を吸うなんてケチな考えでなしに、日本が資源的に富める国でなくアジアに共通な貧乏国であり、人口過多の国であるという建前から、大いにソ連、中共の在り方に無関心であり得ない。
 昨日の愛読者だよりに、共産国家には言論の自由などなく、ただあるのはゲーペーウーの様な秘密警察と党専制の圧力政治のみだと断じているが、これも共産国家を知らぬ独断的迷信ではあるまいか。
 専制や圧力政治で何億という人間を長期間押さえつけておくことは、絶対に不可能なことは、古今の歴史が証明しており、そんな圧政の社会に科学も産業も進歩発展しない事を教えている。
 ソ連や中共の国民が共産党の独裁に嫌々従っているのならば、ソ連や中国の隆々たる国力の培養、戦力の建設など、出来よう筈はない。
 とっくに蒋介石軍が中国奪還に成功しているであろうし、ホーチミン軍なども全滅しているはずである。アメリカが朝鮮で敗退し、フランスがインド支那で敗戦和平に応じたということは、共産主義がいかに魅力があり、実力を備えているからこそ、これを信奉する国家民族の数がだんだんと資本主義国を蚕食していくのではあるまいか。記者は既に日本中ほとんど残す隈なく見て回った。今度行きたいのはアメリカではない。 
 これは巨大な富と、乱費と唯物主義のコレクションに過ぎないから、我々貧乏人が見たところで、ただ、オッタマゲて帰ってくるのみである。
 記者は日本以上に貧乏で子沢山の中国が、戦争中見聞した当時と、どんなに変わったかを見みるため中共治下の中国を見てみたいものである。
 中国人が現在の日本人のように、パチンコや歌謡曲に明け暮れしているかどうかなどは、一番興味をそそられる所である。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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