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推し活と承認欲求

こんにちは、ぱつ子です。このnoteちょっと放置気味だったのでよくないなーと思い、PCの前に座っています。今回はタイトルのとおり、推し活と承認欲求について、自分が思ったことを書いていこうと思います。

わたくし最近ある人に、推し活を含めた人生相談みたいなことについて話していたんですよ。相談というか、つらつら話していたんですけど、そしたらどういう話の接穂か、「推しさんのことを好きだという気持ちと、承認欲求を取り違えたらいけないよね」みたいなことを相手の方がおっしゃったんですね。

目からウロコがボトボト落ちました。そう、それ!私は推しに最初の頃、推しに自分の承認欲求を重ねていた時代があったのです。

今の推しさんを推し始めた頃、私はとにかく推しさんの認知がめちゃくちゃ欲しかった(認知=推しさんに顔を覚えてもらうこと)。推しさんのことが好きだから、私のことも知ってほしかったのです。

今思うと、とんでもないくらい図々しい願いですが、当時の私は真剣でした。いや、真剣だと思っていました。当時の私は仕事がうまくいかず、短期間での転職を何度も繰り返していました。そんな自分に自信がありませんでした(今もないけど)。だからこそ推し活に打ち込み、自分の隙間を埋めようとしていたのだと、今ならわかります。

それから数年経過し、仕事も(当時に比べれば)安定し、自分や自分の感情を俯瞰して見ることができるようになりました。推し活に関しても、自分に自信がなくて、自分の隙間を埋めるために推しさんを応援するのではなく、推しさんのことを応援したいから応援する、ようになれた気がします。少なくとも昔に比べればなんとかなっている。今の自分は、承認欲求のためだけには推しさんを応援していません。…と思う。

自分の隙間を埋めるために誰かを応援することが悪いことだ!ドヤ!とか言うつもりではないので、これを読んでる方に「承認欲求のために応援するのはやめなさい」というつもりはないです。ただ今の方が楽になったのは事実ではあります。承認欲求ってきりがないんですよね。顔を知ってもらったら次はたくさんお話したい、プレゼントを使ってもらいたい…とかね。そういう大変な状態から早めに抜け出せたのは良かったと思っています。

推し活と承認欲求って切り離せない…ものなのかなぁ? 認知がいらないって方もたくさんいると思うので、いちがいには言えませんよね。

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