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心の断捨離

仲間って何なんでしょうか?
お盆期間に学生時代の友人や先輩とビアガーデンで食事をしました。私は学生の頃の話や今の生活の話、そしてその時、私が現在休職していることを告白しようととても悩んでいました。

2年間研究室で生き抜いた友人も時が流れ、中々会えなくなり話しも合わなくなりました。その中で今までずっと精神疾患で休職していること黙っていた自分がいました。

当日の昼間に先輩と合流し、秋葉原周辺を散策し、その後地下鉄のホームで休職していることを初めて伝えました。
その時、返ってきた言葉は酷かったです。
とりあえず生活保護くらいの手当出ているんだから良いじゃん」や「そんなに苦労していないみたいだね」や、極めつけに「デルタは一生孤独だよ」など。
孤独だよ」これが一番気持ち的に辛かったですね。
いくら何でも仕事を休職している人に言う言葉ではないと感じましたね。

その人はとても不幸せな人であると思うし、寂しい人なんだなぁと感じ怒りを通り越して呆れている自分がいました。
そして、この日を境に縁を切ろうと思いました。

ある同期の友人と合流した後、1人は悔しい顔をして男泣きしていました。そしてもう1人は気にはしていたけれど、表面的だけで「おれは話を聞いてあげることしかできないから」…

うん。わかってるよ。むしろその言葉いらねーし。ってとても思いました。
私は”いつもはドライだけれどいざとなった時男泣きしてくれた地方組の学友”だけはこれからも今までのような関係でいたいと思い、その中で”気持ちがある人間は口数ではなく行動で示す”ということがよくわかりました。

その後、同期の1人からLINEが届きました(男泣きしてくれた人ではない方)。
都内で飲みながら話さない?と。
私はもう振り回されたくなかったし、どうせあの先輩の話だろうと思い、遠回しに断りました。そうしたら、電話がいいという話になり次の日の朝からブルーな話を聞くハメに。
その後気持ちが落ち込み、通院予定だったメンタルクリニックにも行けず、暗い部屋の中でおかしくなりそうでした。本当に苦しかったです。

2023年8月20日、私は夜、川嶋あいさんというアーティストの820公演のラストライブに最初で最期の渋公の会場に足を運んでいました。
高校生の時から聴いていた音楽や、わたしの闘病人生の多くを占める時間の中で、入院したり、退院後の高校生活苦しい時に聴いていた、あの日の曲たちを聴いていたら悔しさや苦しさ、もちろん楽しかったことも思い出し涙に溢れました。

何とチケットの番号は39番でした。最初で最期の渋公公演で「サンキュー(ありがとう)」でした。そんな縁(えにし)を大切にしたいと思いました。
その後、渋谷の雑踏を歩いていたら偶然人生占いの男性に出会いました。

過去の記事に書きましたので読んでいただけるとありがたいです。”人に振り回される”


820のあの日、私は決心しました。関わって違和感を感じた人とは無理に交友関係を築く必要はない。そして無理をせずに付き合える人を大切にしていこうと。その中でもすぐに人を信用してはいけない。物事の決断をすぐにするのではなく断る勇気を持つということ。その中で人間関係に関しては私のペースでゆっくり築いていこうと思います。

正直なところ、男泣きしてくれた友人しか今後あまり関わりたくもないし、その先輩(先輩とも言いたくもないレベル)は今後関わりたくもない、むしろこれからの生活を大切にして行こうと思いました。

私は本当の意味で孤独ではないかも知れませんが、普段話す人は主治医やたまに関わるケースワーカーくらいです。
もちろん恋人もいません。気軽に遊びにいける友人がいたら良いなとも思うのですが、中々30代で精神疾患で休職中という肩書きだと本当に友人ができないんです。作りたくても仕事のことなど聞かれて中々うまくいかない。

誰か友人になっていただけませんか?笑

まあそれは良しとして、820のあの日、心の断捨離や交友関係の整理やSNSツールの整理・削除も行いました。連絡しないであろう人、したくない人は全て削除し、また一からやり直そうと思ったのです。

そして、”終わりは始まりの合図”と共に、また新たな出逢いがあると思うから。

ひたすらにがむしゃらに努力してきた人生、ここで終わりたくはない自分がいる。また一歩ずつ人生に彩りをつける工夫をしながら歩んでいこうと思います。

本日も読んでいただきありがとうございました。

デルタ

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