28.それでも前へ。
彼が亡くなって半年ほどすぎた頃、一駅向こうに自社ビルが完成した。
1年ほど前から建設にはいっていたもの。もちろん引っ越しは業者さんだが、私達も連日手伝って、無事、すべてが新社屋に。
フロアのメンバーも分割され、社員も新たに募集。足りない人員は、派遣会社から。つまり、私以外にも、いわゆる派遣さんが増えた。
私は古株として指導にあたり毎日が忙しく、そもそも新しいオフィスなので視界すべてが新しい。
そして、そこには、坂口君を思い出させるものは、何もなくなった。
社員同士でも話題にすることはなくなったし、逆に、坂口君自身を知らない人がたくさん増えた。
人間って本当に良くできてる。
『忘れる』という能力は、悲しいけど必要。
完全に忘れることはないけれど、間違いなく痛みは徐々に薄れていった。
そして、私と坂口君の秘密の恋。1年足らずの想い。
桜と共に散ってしまった……。
なんてことは、一切思わなかった。
この半年、私の中でぐるぐる渦巻いてた思い。
それは、『バチが当たった』ということ。
結婚してるのに、他の人を好きになってしまったこと。
まだ、一線をこえなかっただけで、間違いなく、時間の問題だった。
もう気持ちの上では、十分、夫を裏切っていた。
だから、バチが当たったんだ。
私は絶対に夫と別れてはいけないんだ!
なぜか、そう思い込んだ。
でも、一度離れてしまった気持ちを取り戻すことは難しい。
そもそも、もう2年近く、夫のことなど見ていない。
離婚したい…ばかり思っていた。
そんな私は、どうやって夫婦を続けていけば、いいのだろう……。
そして、坂口君を忘れる手段。
なくしたものを埋めるもの。
脇目も振らず、すべてを捧げられるもの。
私が見つけた答えは、子供だった。
もう結婚して3年はゆうに過ぎていた。
新婚当初ほどではないにしろ、まだ夫も20代。性格的に私も断れない。
最低、週1回は夜の夫婦生活があったように思う。
そして、そもそも夫は、付き合ってる時からつけるのを嫌う人だった。いつも、お腹の上に出していた。
だから、結婚してからも、きちんと避妊をしたことはなかった。
間に合わず、中に出すこともしばしば。
それでも、3年すぎても、私は妊娠しなかった。
かといって、いつ出来るか分からないまま、ただ回数を増やすのは嫌だった。
確実に、今すぐ子供が欲しい。
それに、もしかしたら、私自身、中絶したことが原因で妊娠しにくくなったのかも…という不安もあった。
だから、夫にお願いした。
「不妊治療をしたい」と。
もちろん、驚かれたし、呆れられた。
まだまだ若いし、まだ二人で楽しみたい。急ぐ必要性が分からない。
それに子供は授かり物。
自然に授かるのを、待てばいい。
もっともだと思う。
それでも、私は譲らなかった。
なぜなら、私には急ぐ必要があったから。
私はもう、夫と夫婦をやっていく気持ちがない。
二人で楽しむことなんてできない。
ただ、子供がいれば、母親と父親としてならやっていけるかもしれない。
そんなこと、口が裂けても言えないが…。
いや、本当は、そこで言うべきだったのだ。
きちんと自分と、そして、夫と向き合うべきだったのは、まさに、このタイミングだったのに。
そんなこと、当時の愚かな私に分かるわけもなく、ただ、子供が欲しいとだけ、主張し続けた。
夫は私が中絶したことは知らない。私はちゃんと妊娠できる身体ってことも知らない。
だから、まずは、私自身、妊娠できる身体かどうかだけでも、調べてみたい。
そう言って、しぶしぶだが、認めてもらった。
私は、勤務先近くの、不妊治療でとても有名だった病院へ、通い始めた。
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