ドッジボールは顔面セーフ #忘れられない先生
小学生の頃の担任の先生で今でも覚えている先生はいるだろうか。私は一人の先生だけ鮮明に記憶に残っている。
当時小学生の自分は相当な引っ込み思案で人見知りだった。友だちはいたけれども、周りに合わせて遊ぶのも気を遣ってしまい、あまり学校に楽しさを見出せていない節があった。
そんな中、二年生になり自分達のクラスの担任は新任の男教師になった。彼は髪を焦げ茶色に染めていて、リーゼント手前のようなスタイルで固めていた。
自己紹介で「〇〇マンって呼んでください(〇〇は苗字、以下仮名でヤマダマンとする)」
と言った彼を見て私は、なんだか絶望に近い気持ちを抱いて、絶対に仲良くなれないなと思った。
その日から周りの生徒は、「ヤマダマンどっからきたの?」とか「ヤマダマン髪ヘンだよ」
とすっかり馴染んでしまう。
次の日、その次の日、彼はどんどんクラスに溶け込み、1週間も経った頃には彼が考案したゲーム(私は参加していなかったので内容は覚えていない)が、生徒達の一大ブームとなったほどである。
私はみんながヤマダマンに親しむ状況に焦りを覚えていた。さらに言うと「みんなヤマダマンなんかに騙されちゃって」と斜に構えてもいた。今思うと嫌な子どもであったかもしれない。
焦げ茶リーゼントの彼はうちのクラスを掌握することに留まらず、赴任して一年で地域の小学生、全学年が入れるドッジボールチームを作ってしまった。
PTAの若奥様からの信頼も厚かったので参加者は増えていき、自分ももれなくチームに参加することになった。ちなみに小学生の習い事としてのドッジボールは割と遊び感覚ではなく、飲食メーカーが主催する大会も開かれるほどである。
運動音痴な自分は、チームに入った当初全くといっていいほど活躍できなかったのだが、引っ込み思案なのに負けず嫌いというめんどくさい性格をしていたため、練習には参加し続けた。
ヤマダマンはと言うと、投げる捕る、飛んで避ける、さすがの身体能力で先生でありながら小学生達のカリスマとして君臨していた。
「健太は優しいからな」
「もっと当ててやろうって気持ちでやっていいんだぞ」
と彼からよく声をかけられたが、少し頷くだけにとどめる毎日であった。
そんなある日、大会が近づいていたので、チーム内で試合形式の練習を行った。
私はなんとか活躍して試合に出てやろうと躍起になっていたが、中々結果が出せない。フラストレーションを全身に溜めながらボールを投げるもあらぬ方向にいってしまう。
そんな時に限って、相手の子が投げたボールが自分の顔面に直撃した。一瞬視界がぼやけた気がしてよく状況が理解できなかったが、ヤマダマンが叫んでいたのが聞こえた。
「顔面セーフ!そのまま、投げ」
「ほら、健太!当ててやれ!」
私は急いでボールを掴んで、コートの中央までダッシュして当てにいった。我先に、という勢いで放ったボールはまたしても誰もいないコートを通過していく。
ゲームが終わったあと、痛いしなんか必死になって恥かいたし最悪だと思っていたら、ヤマダマンが話しかけにきてくれた。
「健太はすげえな、顔面にボール当たっても泣かないし、痛そうにするどころか、こんな感じでボール投げにいってさ」
そう言いながら彼は私が必死になってボールを投げにいった姿を真似してきた。
先生が投げろって言ったからじゃんと思いながらも、その姿が可笑しくて笑ってしまった。そして同時に、凄いと褒められた事がどこか誇らしくて、涙が出そうになった。
思えば何かといえば後ろの方でぐずぐずしていた自分に
いつもヤマダマンは話しかけてくれていた。そして顔面ボール事件があって以降は、「健太にはガッツがあるから大丈夫」と言い続けてくれたのだ。
おかげでドッジボールを続けて、ボールもある程度は投げられるようになったし、試合にもスタメンで出られるようになっていった。
私はそれからも彼に積極的に話しかけにいくようなタイプの子どもではなかった。がしかし私の彼への印象は、クラスを掌握するヤンキー教師からお兄ちゃんヒーローへと変わっていったのだ。
その後自分が五年生の時に、ヤマダマンは前から噂されていた保健室の先生と恋に落ち、二人で日本にある南の方の島に行き、そこで教師を続けたらしい。
卒業のときにはビデオメッセージを島から贈ってくれた。
ドラマの世界以外でこんな教師存在するのかという感じで、PTAからはその恋が不純だとも叩かれていた。しかしヤマダマンは自分の中で本当に忘れられない先生であってヒーローだ。
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