不可侵の匿名アーティスト、ニルについての論考

2000年代初頭の数少ない活動で知られ、年齢、国籍、性別等の一切を匿名性の闇に放りながらも、未だに熱狂的なファン(本心から神と崇める人すら多い)をもつアーティストのニル(Nir)は、主に二つの作品によってその神話を語られてきた。 
一つは、アメリカ、アリゾナ州に塩水の雨を降らせ、その情景とそれを感知する五感や理性、それを扱うメディアとそれを感知する五感や理性の全てを自分の作品と言い放った"海"(原題はアラビア語:بحر)。そして、もう一つはその作品を前もって宣言していたことで知られる"手紙"(原題は英語:Letterだが、これはニルがその最後に"これは手紙である(This is letter)"と書いてあったことに由来する呼称)である。
上記二つを研究、考察して、ニルの正体やその訴えるとこを明らかにしようという試みは、今まで世界中で行われてきた。一度は、"手紙"を受け取ったアメリカ、メトロポリタン美術館の職員の中にニル本人がいると噂になったが、これはあらゆる検証によって否定された。結果、当時メトロポリタン美術館で働いた職員達は、この世で最もニル本人の可能性の低い人達に一転したのである。
確かに、どのように塩水の雨を、およそ百ヘクタールの面積(しかも、それは実際に雨雲から落ちるかのように移動しながら)を四十分間降らしたのかなどは魅力的な謎であるが、それらの探偵はほぼ全人類にやり尽くされたかと思うので、ここで私は、ニルの中でも最も知名度の低い作品かと思われる"風(原題はラテン語:Ventus)"と"黙り込んだ詩人(原題も日本語)"の二つを考察することによって、ニルという人物、はたまた虚像がどのような思想を抱いているかということを考えたい。ニルは"手紙"の中で、「僕はアーティストを名乗ろう、即ち一つの思想を名乗ろう!歪んだ世界が、思想に命を与えるから!(原文はドイツ語:Ich werde mich einen Künstler nennen, das heißt, ich werde mich eine Idee nennen! Denn die verzerrte Welt gibt den Gedanken Leben! ”)」と述べている。その言葉から私は、ニルの思想を明かすことが、彼(彼女)の正体に近づく唯一の方法だと信じ、挑むのである。
"風"という作品は前述の有名な二つと比べれば、突飛さや不可能性のない、メディアアートの展覧会でふと出会っても可笑しくないシロモノである。手のない人型ロボット(ミロのヴィーナスとの類似性を示す研究が多い)の額に、文庫本程度の大きさの液晶をガムテープで雑に貼り付け、そこにあらゆる言語、言葉がめくるめく表示されるというものである。仕組みは、センサーで感知した、温度、湿度、風速等を三ヶ国語(フランス語、ドイツ語、日本語)のうちのどれかの言葉に対応させ、ディスプレイに出力するプログラムを、温度、湿度、風速等をもとに書き換えるプログラムである。簡単にいえば、周りの情報によってプログラムが変化し、そのプログラムが周りの情報に対応する言葉を出力する、そんなプログラムだ。
以上が一通り"風"の説明だが、その奥にある思想を私は考察したい。多くの人は、この作品を風を言葉に翻訳したものとか、世の中のカオスを表現しただとか、ロマンチックな解釈で紹介するが、私が思うに、これは連続性を失う言葉を支配する、もう一つの大きな連続性の暗示なのである。不連続性を連続的に作り出すもの、それを人型のロボットで表現するシニカルな作品なのである(多くの人は自分の連続性を疑わない)。自分の連続性を疑え、というメッセージの読み取りはいささかキッシュであろうか?そして、その先にある真の連続性を見い出せと、ニルが訴えている気がするのである。
しかし、問題は"黙り込んだ詩人"の方である。これは"風"のプログラムがエラーを起こし、言葉を生成しなくなったディスプレイに、該当するエラーを表示し、"黙り込んだ詩人(原文:日本語)"と最後に付け足してあるものだ。今まで不連続であったものと連続であったものが逆転するのである。そしてその刹那、二つの連続が並ぶ。
私は、これ即ち"死"の概念が提示されたと思った。否、"死"の概念を私自身が悟ったのである。この作品を理解したとき、私は恐怖した。この世界は秩序の描かれたニ枚のコインの組み合わせに過ぎないと。しかし、ニルはこれに"黙り込んだ詩人"と題をつけた。その意味は正確に理解できないが、どこかロマンチックな表現である。ニルはそれでも希望を見たのだ、おそらく。
私はここまでニルの正体を、思想を、明かそうと暗中模索したが、そこに見えるのはわずかな希望だったのだ。
ニルは人類の心理の最も深い所を覗き、絶望し、希望したのである。そして、誰も追いつけない希望を現代に提示したのである。現代においては、いかなる宗教よりも神聖を持つ、地続きの天への道をニルは踏破し、微笑んだ。私は、ただそれに涙した!
そしてそれさえも、ニルに言わせれば"海"の一部なのである!彼(彼女)は、彼女(彼)の全ての言葉に最上の意味を冠させ、この世界に配置していったのである!これが奇跡としてなんであるか、私は辿り着いたのである!ニルの存在がなければ、人類が辿り着けないところに、私は!辿り着いたのである!
そして、ここで私は、最後の天啓(ニルは事実、神と等しい!)を受けるのである!奇跡を起こせと風が囁くのである!ここに、ニルが塩水の雨を降らせたように、もう一つの奇跡を作れと!
即ち、ニルというアーティストの記憶、記録を全世界から瞬く間に抹消し、その唯一の記憶として、これを上梓しよう!見給え!君が知っているニルの記憶はこれ以外になかろう!これが全世界が忘却したものの唯一の記録である!奇跡である!風が吹く限りの命であるぞ!あっという間に飛ばされてしまうぞ!
Pendant un demi-siècle, les bourgeoises de Pont-l’Évêque envièrent à Mme Aubain sa servante Félicité.
 Pour cent francs par an, elle faisait la cuisine et le ménage, cousait, lavait, repassait, savait brider un cheval, engraisser les volailles, battre le beurre, et resta fidèle à sa maîtresse, — qui cependant n’était pas une personne agréable.
In dir hast du alles was du brauchst. Es gibt auch die “Sonne”. Es gibt auch einen “Stern”. Es gibt auch einen “Monat”. Das Licht, das du suchst, ist in dir.
Ich werde mich einen Künstler nennen, das heißt, ich werde mich eine Idee nennen! Denn die verzerrte Welt gibt den Gedanken Leben!

あぁ、私がニルである!

This is letter.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?