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【令和に蘇った名作】映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』が面白かったのでレビューします

こんにちは、リモコンRです。

先日AmazonPrime Videoにて配信が開始された映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』はもうご覧になりましたか?

私は興味はありつつも劇場に行き損ねてしまい未鑑賞でしたが、上映開始後の評判は凄まじく、日本アカデミー賞アニメ部門にもノミネートされるほどの高評価を受けました。観に行けばよかった…。

そんな話題作がAmazonPrime Videoにて配信されたとのことで早速観てみたところかなり面白かったので、遅ればせながらレビューしてみたいと思います。なおネタバレを含みますので嫌な方は注意です




作品のあらすじ


-時は戦後の日本。銀行勤めの水木は、顧客であり懇意にしていた龍賀克典の義父・龍賀時貞が亡くなったことによる龍賀家の次期当主争いを見届けるため、龍賀家の暮らす哭倉村へと向かう。
しかし一族内で殺人事件が発生。それに巻き込まれた水木は、犯人とされる「ゲゲ朗」という謎の人物と出会う。犯人は別にいると知った水木は彼と行動するうちに、その村や一族の”真実”を知ることになる…というもの。

内容は「ゲゲゲの鬼太郎」の前日譚にあたるストーリーとなっています。東映アニメーション公式Youtubeチャンネルで無料公開されている『墓場鬼太郎』というアニメの第一話にて鬼太郎の出生が描かれていますが、時系列としては本作→『墓場鬼太郎』になります。これらは関連した作品になっているので、本作鑑賞の前に観ておくとさらに楽しめるかもしれません。
リンク→【公式】墓場鬼太郎 第1話「鬼太郎誕生」 (youtube.com)


感想

ここからは個人的な感想です。

2人の主人公

本作には主人公と呼べる中心人物が2人登場します。

1人目は水木という銀行勤めのサラリーマン。彼が村を訪れたのには目的が2つあります。
目的1:龍賀一族次期当主最有力の龍賀克典とより親密になり、自身の出世のためポイント稼ぎをする
目的2:「M」と呼ばれる謎の薬の真相を調べ、あわよくば自社のビジネスにつなげる

彼には従軍経験があり、戦争を経て「社会的弱者は使い捨てられすべてを失い惨めになる」経験をしました。そういったことからとにかく出世し登り詰めることを目標に日々を生きてきた男という設定です。

そして2人目はゲゲ朗と呼ばれる謎の男です。彼が村を訪れた目的は1つです。それは行方不明になった妻を探すことです。その過程で哭倉村を訪れますが、ちょうど殺人事件が起こったタイミングだったため疑いをかけられ捕まってしまいます。水木とあったのはその時ですね。

このゲゲ朗、正体はお分かりの通り目玉のおやじです。よって行方不明なのは鬼太郎の母親ということになりますね。鬼太郎は「幽霊族」という種族の生き残りというのが作品内の設定にあるため、本作では母親含め幽霊族がなぜ数を減らしてしまったのか?というシリーズ通しての疑問が明かされることになります。

ここでゲゲ朗はもともとかなりの人間嫌いであったことが明かされます。そんなゲゲ朗を変えたのが妻であったそうです。不完全な人間そのものを愛していた妻に出会い、大事な存在との出会いの重要性を深く学んだゲゲ朗の価値観は、目玉のおやじとなった後の親しみやすさなどにもつながっているのでしょう。

始めは相いれなかった2人ですが、互いの目的を知ったことで手を組むようになります。戦争を通じて力を欲する水木と妻に出会い愛することの重要性を知ったゲゲ朗。種族から価値観まで異なっていた2人が墓場で酒を飲みながら打ち解けていくシーンは本作の見どころであり、制作陣が見せたかった場面でもあるのではないでしょうか。


ハイクオリティなホラー映画への進化

先ほども触れましたが、この映画は磨き抜かれた”ホラー映画”へと仕上がっています。もともと不気味な雰囲気を醸していた本シリーズですが、さらにコミカルな部分を意図的に排除しているものと見えます。キャッチ―なデザインで物語を彩る個性的な妖怪たちも、本作に登場するのは鬼太郎、目玉おやじ、ねこ娘、あとはねずみ男(似ているだけ?)くらいでしょうか。ほかに登場する妖怪や怪異は総じて怖さを追求したデザインをしているのが印象的です。実際、水木とゲゲ朗が村の湖に浮かぶ小島に行った際に出会う妖怪たちは、赤と黒で残忍性や凶暴性を強調し恐怖の対象としての一面を強く表現しています。

また代名詞である「ゲゲゲの歌」もありません。どこかで差し込まれるかな?と予想していましたが、劇中の音楽にはアレンジされたものすらありませんでした。

ただそれらがないことにより終始締まった雰囲気のまま進行していくため、下手なコメディ要素のない本格的なホラー映画が成立したのだと思います。これまでの鬼太郎らしい象徴的な代名詞2つを取り除くのにはそれなりの勇気が必要だったのではないかと思うのですが、結果としてその試みは大成功だったと思います。

またこの映画は、今現在は廃村となっている哭倉村を記者が訪れるところから始まります。これもホラー映画にはありがちな演出で、明るい未来を想起させる「繁栄」ではなく「廃れ」「消滅」など暗い未来をイメージさせる表現を始めに見せることで、過去に起こった出来事によりこの村はバッドエンドを迎え、その悲惨な結末を今から観ていただくということを観客に伝えています。そのことも緊張感を持たせるという役目に1つ貢献していたのだと思います。

ホラーをつくるうえで「観客に緊張感を持た続ける」ことは非常に重要だと私は考えていて、そこに一役買うのがストーリー展開でしょう。ただ大きな音を出したり残虐なシーンを入れたりするだけではなく、こういった見せ場以外のシーンから観客に緊張感を与えられる表現を加えているところが本作を本格ホラー作品へと昇華させられた要因の一つだと思います。



メッセージ

この作品からは強いメッセージ性を感じ取ることができました。それは、「大人は子供のため、そして未来のために生きるべきだ」ということです。

龍賀一族には亡くなった元当主含め8人の大人と2人の子供がいますが、大人たちはみな問題を抱え、なかには何かに憑かれたかの如く私利私欲に走るものもいました。さらにそこに村の狂気的で閉鎖的な環境が加わることで、子供2人は周囲の大人に振り回され窮屈な思いをしながら暮らしています。

幼い時弥は体が弱いなか当主争いの駒にされ、沙代は元当主の時貞の慰み者にされ、村の外に出たいと強く願うようになります。それでも時弥は純粋な心を持ち、人間嫌いのゲゲ朗との会話のなかでも賢く明るいさまを見せ、ゲゲ朗の笑顔を引き出しました。また沙代は、外から来た水木に自らを連れ出してくれると希望を見出しながら、そこに利己的な気持ちはなく村の問題の解決にも健気に協力してくれます。どうにもならない不遇な境遇であるにもかかわらず、周囲に染まらず友好的に接してくれる2人の子供が大人たちと対照的に描かれているのが印象的でした。

ただ2人の結末は明るいものではありません。時弥は体を時貞に奪われ、狂骨として70年さまよい続けることとなり、沙代は疲れ切った心の隙を突かれ、狂骨の拠り所となり結果として村の殺人事件を引き起こしてしまいます。ついには村は龍賀一族のみならず村民の全員が殺されてしまうという最悪のバッドエンドを迎えてしまいます。

また死んでしまうのは人間だけではありません。ゲゲ朗の妻含め行方不明になっていた幽霊族も、龍賀一族の私欲に利用された挙句全員が命を落とすという誰も幸せになれないという結末…。

形としては、「上の立場から好き放題やった村の大人たち、そしてそれに振り回され搾取された下の立場にいる子供や異種族」。これが最悪の結果を招いたという構図になります。

そして同じ構図はすでに「水木の過去」にて戦争という形で登場しています。戦争に行き死にかけた挙句自分はすべてを失ったのにのうのうと暮らしている上層部がいる、そんな理不尽が水木を駆り立てていました。だからこそ水木は同じ弱者として虐げられている沙代たちに同情し彼女らを助けようと瀕死になりながら力を尽くします。二度と大人たちから生きる場所を奪われないために。

もう1人の主人公であるゲゲ朗は、妻が子を妊娠していいることを知り、あふれ出る狂骨たちを1人封じ込めようとします。
ゲゲ朗の「我が子が生まれる世界を守りたい」というセリフがまさにこの作品のメッセージでしょう。これからを生きる世代のために体を張るべきは大人たちであると。

水木もゲゲ朗も、始めは異なる価値観を持ちながらも最終的にたどり着く先は同じで、「大人は子供のよりよい未来のために力を尽くすべき」というところです。そしてこれはそのまま作品のテーマにもなっていて、龍賀一族の結末を観るにこの逆を進むことに明るい未来はないということを示しているものでしょう。

私は、水木しげる生誕100周作品のテーマにこれを選んだのには製作陣が水木しげる自身の意向を汲んだものだと解釈しています。水木しげる自身も作中の水木と同様に従軍経験があり、片腕を失う等の過酷な体験をしています。そんな時代を生きた戦争を経験した人の人生観にはどこか達観したものを感じるときがあります。達観といえばゲゲ朗の言い回しはのんびりしているようで独特な抑揚がついていたのですが、モデルは水木しげる本人だったのではとも思います。

こう考えると、水木とゲゲ朗どちらもモデルが水木しげるなのではないでしょうか。始めの価値観の違いも本人の人生で生き方や考え方が変わっていったということかもしれません。

戦争を経て、本人の考え方に変化が生じると同時に日本社会への見方も変わっていたのでしょうか。作中のゲゲ朗のセリフに「見えないものが見えるようになる」とあります。弱者が理不尽に苦しみぬく社会を憂い、そうでない世界をつくるために必要なのは社会を変える力のある自分たち大人である、そうして次世代へとつないでいかなければならない、そのような考えが見て取れます。

こう考えると、ホラー要素を強く取り込み年齢制限が付くほど残虐なシーンを取り入れたのにも、ターゲットを大人に絞りたいという意図が見えてくるのではないでしょうか。そもそもゲゲゲの鬼太郎に触れてきた世代は今いい年齢になっているのだろうというところもあるのかもしれません。ただ、自分自身が生きるので精一杯になりつつある現代社会において、今一度考えてもらいたい。そういったメッセージに感じることも1つの解釈としてですがあると思います。


最後に

この作品には、ここまで触れてきた要素以外にも考えさせられるシーンやセリフが多く登場します。特にゲゲ朗のどこか遠くから物事を観ているような価値観や言い回しには、現代人にとって必要なメッセージが隠れているような、そうでないような不思議な面白みが感じられました。ほかにも、登場する人物の一挙手一投足にまで何らかの意味を感じられるため観察する対象が尽きない、これぞまさに名作だと私は思います。

皆さんはどのように感じたでしょうか?

最後になりますが、ここまで読んでくださった皆様、そして映画製作に携わったすべての皆様に感謝するとともに、長々と好き勝手書いたこの感想文を終わらせていただきたいと思います!ありがとうございました!

気に入っていただけた方がいらっしゃれば、今後も主に映画について機会があれば書いていきたいと思いますので、そのときはまたよろしくお願いします。


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