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【掌編小説】夜な夜なこの街でたいてい、すれ違ってる

(あらすじ) 
とある街に住む住人たちのお話です。一話完結で、何人かの日常について書く予定です。

どこかすれ違っている人たちの日常を垣間見れたら、いいのにと思って書てみた。


鷹野亜耶(23歳)の場合

上京を控えていた頃、何気なく流れていた安い物件を紹介する番組でこの街のことを知った。

阿佐ヶ谷。

田舎者ながら高円寺や中野という地名には聞き覚えがあったが、それらの街のもう少し西にある中央線沿いの、阿佐ヶ谷という街の存在は知らなかった。
配属先となる新宿や渋谷などにも出やすく、その割に家賃の相場も安いらしい。タレントが扉を開けると部屋は奥にいくほど狭まり、少々変わった台形型のワンルームになっている。タレントがボールを投げるフリをしながら、ボーリングができますね~と冗談を言っている。

ここに暮らそうと、決めた。

北口の飲み屋街を外れれば閑静で、アパートや一軒家が並ぶ通りに阿佐ヶ谷ハイツはあり、ユニットバスでワンルーム6畳ロフト付きのその部屋でわたしは暮らしている。

駅の近くに行けば大型スーパーや薬局、飲食店などが揃い、少し足をのばせば高架下には洒落た店が並び、南口にはパール商店街があって十分だ。

ようやく迎えた金曜日は自炊はしないというルールがある。(普段も簡単なものしか作らない。)どこか店に入ろうか、ファミレスに行ってもいいし、コンビニでビールやつまみなんかを買うでもいいか、と考えながら飲み屋街を歩いていると「ブルーベール」と書かれたバーの看板に目をとめた。

お一人様歓迎、という文字を確認してから思い切って扉を押してみた。すると、店主と一人の男性客がこちらを見た。やはり場違いだ、引き返そうかと思ったが、そのまま何事もなく帰るのも気が引け、立っていると年配の店主がにっこりと笑って席に案内する。

そこの店主と丸野という男性客と仲良くなり、金曜日はたいていブルーベールに通うようになる。店主を「マスター」、丸野のことを「まるさん」と呼んで慕った。

以前までは純文学に傾倒していた。けれど最近では世間で注目されるような話題作ばかり読む。昔からの習慣としてか、本質の一部としてなのか、どんなに忙しくても本のページは捲りたいと思う。

海外文学もいいよ、とまるさんは煙草の煙を吐き出してから言った。
煙を纏う鼻筋の通った横顔が照明に縁どられ、酔いもあるのか滲んで見える。
周囲に溶け込むのが上手で、常に中心的な存在であるような処世にたけて見える彼と、普通なら関わることなどないだろう。学生のクラスの中でいえば、女子との噂が絶えないイケてる男子と教室の隅で身を潜めるようにする生徒といったところだ。そんな彼とは案外話が合って、互いの趣味とする映画や本についてよく語った。

「まるさんはお酒も煙草も文学も好き。」
「そうだよ。こう見えて教養もあるんだぜ?」
「飲み屋で本を読んでみたい。どう思う?」

うーん、と丸野は考えた。

以前、騒がしい居酒屋のカウンター席でジョッキを片手に本を読む男性を見かけたことがあった。何かを覆されたように、しばらくその光景に見入ってしまった。

「いいんじゃない?飲み屋は会話を楽しむ場所だけじゃないし、読書はどこでも入り込めるのが醍醐味なわけだし。」
「酔いながら入り込める自信がないや。」
「めちゃくちゃ酒強いだろ。心地よく読めて楽しいかもな。」
そう言って二人で笑った。

北口の大通りから外れ、店がぽつぽつと並ぶ中に海外文学の古本屋があると、丸野が言っていた。ひっそりと営業しているその店を見つけ、足を踏み入れてみる。
一冊の本に手を伸ばし、時を重ねた紙の質感を指で確かめながら、捲る。ページに染みついた古びた香りが鼻をつき、体内へと入り込んでくる。古い本の香りはなぜこんなにも心をくすぐるんだろう。手に取ったフランス作家の小説と、もう二冊を抱えてレジへと向かった。

銭湯の戸を開けると、午後の早い時間だからか客はほとんどいない。いくつかの内湯のなかで一番大きな風呂に浸かり、塗り替えられたばかりの青い富士の絵を見つめる。アパートの窮屈な風呂でできない分足を伸ばして、体を弛緩させていった。

入口近くの椅子に腰かけて、湿ったフルーツ牛乳の蓋を外して流し込む。甘ったるさが広がり、火照った体の熱が引いていった。徐々に客が増え、戸が開く度に入り込んでくる風が心地よい。

ぼんやりとしていると、目の前の椅子に親子が座った。ピンク色のフリフリのドレスを着たおかっぱの女の子に、若い父親。彼女は実家のリビングに飾られた写真の幼い頃のわたしとよく似ている。彼らは美味しそうに牛乳を飲んでから、一息ついた。

「パパ、ママはサケノミってほんとう?」
「みこちゃん、そんな言葉よく知ってるね。その通り、ママは酒飲み。酔うとパパも手をつけられない。」
「そっか、パパは?」
「パパも少し酒飲み。」

みこちゃんは持っていた牛乳を一気に飲み干し、ビー玉のような瞳を向け、父に尋ねる。

「みこちゃんは?」
「みこちゃんは絶対、酒飲み。うん、今の飲みっぷりからして絶対そうだよ。」
「そしたらパパとママと一緒にサケノミできるの?」
「うん、できるよ。僕、その日を楽しみにしてるからね。」

さぁ、行こうかと言って優しく微笑む父の手に引かれたみこちゃんは銭湯を出ていった。

外に出ると西陽が住宅を照らし、通りを抜けて広がる空はオレンジ色とピンク色が混ざり合っている。なんだか海のようだ。どこか知らない遠い海、かつて行ったことのある場所。もしかしたら、わたしはそこから来たのかもしれないな。切り取られた日常の風景によって、こんなふうに思うのってどうかしているか。いや、ノスタルジーはきっと夕陽が溶け込む空の色をしている。

家に帰ったら甘口のカレーを作ろう。そして、明日からはじまる一週間を乗り越えたらマスターとまるさんに会いにいく。今日買った本のことをまるさんに話そう。

そんなことを考えながら、サケノミが集う夜を迎えようと灯りはじめたスターロードを歩いていった。

おしまい


今回の主人公と繋がる下記の小説(全10話)も読んでいただけたら嬉しいです♪


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