観念世界にさまよい続ける日々---求道するということ
何だかすっきりしない夜を過ごしています。
昨日記事をUPしたのですが、どうにもモヤモヤが止まりません 😞
私はなぜ、noteに投稿を続けるのか。
この問いに答えが出ないのです。
noteってホントに暖かい人たちの集まりなので、いろんなアドバイスをいただきました ✨
ものすごくありがたいことです。
ですが、どうしてもnoteに対する意義がみつからないのです。
明るい未来が欲しい。
これは本音です。
しかし、哲学史や古典、歴史の研究で令和の次の時代を走り抜けることができるのでしょうか。
今やほとんどの国立大学において、文学部に対する予算配分が減らされ、文学部(人)文学科〇〇コース(専修)といった具合に学部編成されています。
およそ、科学万能主義の時代においては、世の中から必要とされてないのかもしれないですね。
うちの一番下の子が、高校生で進学に悩んでいるのですが、親の立場としては、文学部だけは勧めることはできないのです。
まぁ、私自身、親から哲学科進学に反対され、アルバイトでお金を貯めて通信教育部に通ったのですが、そのような生き方を勧めることもできません。
結局は、周りからの説得で、法学部に転じて法律や金融の資格を取得するための勉強にいそしみましたから。
確かに文学ではメシが食えません。
リアル社会では何の役にも立ちません。
もし、自分の子供が作家になりたい、なんて言い出したら、全力で止めることでしょう。
しかも、哲学や文学界隈って自◯が多いんです。
芥川や太宰、三島、川端。著名な作家さんですらそうなんですから。
ましてや、石川啄木や新美南吉、樋口一葉などは貧困の末に若くして病死しています。
哲学にいたっては、思想犯として逮捕されたり、人生に行き詰まっての自◯など、列挙すればキリがありません。
かつて、文学界が賑わった時代は、歴史上2回あります。
昭和初期の円本ブームと、昭和後期の角川書店によるメディアミックスブームの時です。
そんな出版バブルもはじけ、大型の本屋さんですら閉店する始末。
文学や哲学、歴史の知識で、果たして新しい時代を切り開くことができますでしょうか。
かつては、ゲオルク・ヘーゲルやE.H.カーなどが、独自の歴史哲学を発表しました。
彼らの言説が、果たして現代社会にどれほどの効力を持つのでしょうか。
売れ筋のエンタメ小説やタレントのエッセイ本ばかり出版される時代に、古典をしのぐような良書に出会うことは、ほぼ不可能に近いのかもしれません。
果たして心の中の、無限に広がる砂漠の中でさまよい続ける私の魂は、どのようにすれば、救済されるのでしょうか。
答えを探す旅はまだまだ続きます 。