見出し画像

趣味がないことを心から叫びたい

みなさんに趣味はありますか??

おはようございます、こんにちは、こんばんは
ポジティブ社会不安障害のDaiです🤩🤩🤩

今日は趣味について少し書いていきたいと思いますので、ちょっと覗いてくれたら嬉しいです😆

そもそも趣味とは?辞書で調べてみたら

『①感興をさそう状態。おもむき。あじわい。
 ②ものごとのあじわいを感じとる力。美的な感覚のもち方。このみ。「―がよい」
 ③専門としてでなく、楽しみとしてする事柄。「―にピアノを弾く」
 ④〔哲〕カントの用語。対象を美しいと判定する美的判断力の一つ。』

改まっての説明は不要かと思われますが、今回私が文章として綴るのは③の意味での「趣味」です。

趣味について考えなくてよかった頃

私が趣味について考えるようになったのは大学生の頃かと思います。

小、中、高と基本的に学業と運動の競争の中で順位をつけられていた(少なくとも私にはそう感じていた)12年間から解放された先で、趣味について考える時間を手にした、または手にさせられたのでした。

前述の通り、強制参加型レースにいれられた私の生活は、大部分が、努力、熱中、必死、がむしゃらなど暑苦しい言葉がピッタリでしたし、やらなければならないことが明確に決まっていたツラくも色濃い時代でした。

無色な生活に色を塗りたかった日々

そして私は大学生になったのですが、その当時の私はとにかく時間を持て余していました。

大学入学後、勉強は必要最低限しかやりたくなかったですし、社会不安障害もあってバイトを探すことにも億劫になっていました。

そうなると、普通であれば好きなことを好きなだけやるはずなのですが、その頃の私には好きなことはありませんでした。

小学生のころは野球とゲームが好きでした。

中学生のころは友達と話すことが好きでした。どんな場所でも時間を忘れて友達と話すことができました。

高校生のころは、学校の先生や予備校の先生といった、自分よりも遥かに経験値と思考力が上の人たちが話す言葉を聴くことが好きでした。

そんな私ではありましたが、大学生になった私には好きなことがありませんでした。

趣味を無理矢理見つけた日々

もはや、好きなことを探さなければならないような気持ちに駆り立てられ、好きなこと、好きそうなことを探しました。

カフェ、映画、読書、お笑い、YouTube、スポーツ、筋トレ、銭湯、喫茶店、散歩

なんとなく自分の「好きそうなツボ」を探りながら色々なことをやってみました。

その中で私は、銭湯、喫茶店、筋トレの3つの趣味に出会うことになりました。

大学4年の1年間、私には趣味がありましたし、少なくともその頃の私はそう感じていました。

学友とは週に3回のペースで喫茶店へ赴き
週7日筋トレに明け暮れ、帰宅後はトレーニング系のYouTubeをとにかく観続けました
そして週末には幼馴染と銭湯に出かけました

やはり私には趣味がない

大学4年で趣味を見つけた私ではありましたが、就職と共にまた趣味を喪うことになったのです。

学友と離れ離れになった私は喫茶店へ行くことをやめ、煙草を吸う習慣だけが残るようになりました。

入社と同時に契約したジムも数えるほどしか行かず、振込も延滞した為、強制退会になりました。

幼馴染とは、お互い社会人になったことや、お互いの日程が全く合わないこともあって銭湯もパタリと行かなくなりました。

そして、思考にも変化が訪れました。

喫茶店が趣味と言っても私は喫茶店について何も知らないし、珈琲の味、作り方、なにもわからない。

銭湯へ行くのは趣味だが、こだわりがあるわけでもないし銭湯の話題になっても何も話すことができない。

トレーニングも毎日やったが、知識はないし、身体も大したものにはならなかった。
なにも語れるものはない。

このように私は常に「誰かの目」を気にして趣味を定義するようになりました。

立派なことを語らなければ。成果を出していなければ。詳しくなければ。
そんなことを考え、自分の中で趣味を無くしていきました。

相対評価で趣味を定義することの恐ろしさ

前述のテーマで「誰かの目」を気にして趣味に定義付けをするようになったのには、就職活動が絡んでいたと思います。


「趣味を読書や映画鑑賞にするのは危険だ。
社会の第一線で戦っている役員たちは総じて勉強家、読書家だ。その彼ら相手に読書を趣味に書くことは自殺行為だテンテンポロポロかくかくしかじか」

「音楽鑑賞と映画鑑賞は趣味がないと言っているのと等しい〜なんとかかんとか」

そんな意見ばかりを耳にし、

「趣味は立派な知識、たしかな実力、圧倒的な時間を投資しなければ趣味と定義してはならない」

という想いが私に芽生えました。

この瞬間から私は他人に趣味の話をすることはなくなりましたし無趣味な人間になりました。

無趣味になってからの私

さて、そんなこんなで無趣味な人間になったわけですが、ここまで書いてきて気づきがありました。

趣味に相対評価を持ち込んではいけない
趣味は名詞で限定されるものではない
別に無趣味だっていいじゃないか

さて、これらについて少し説明を入れて最後まとめに繋げていきたいと思います。

趣味に相対評価を持ち込んではいけない

いままで読んでいただけた方には、私の拙い文章であってもなんとなく私の言いたいことは伝わっているのではないでしょうか。

つまり、相対評価の土俵で趣味を語ろうとすると、

その趣味は一生趣味にならない

ということです。
最初は俄であったり、まったくわからないことからスタートするのが当たり前ですよね。

そこに相対評価を持ち込んでしまったら楽しいことも楽しめるはずがありません。

趣味の領域を極めるのもよし、好きだから好きなことを好きなだけやるもよし、暇な日常に何かアクセントをつける目的でやるのもよし

そしてその趣味の中で達成感や習熟度を評価やモチベーションの維持のために使う際には

徹底した絶対評価

これを心がけていきましょう。
これは私自身へも強く言い聞かせていきたいことです。

趣味は名詞で限定されるものではない

趣味を語る際、名詞で表すことがほとんどなのではないでしょうか。

釣り、スポーツ、映画、アニメ、音楽、サウナ、筋トレ、園芸、アートetc

趣味を聞かれた際に聞き手は、名詞での返答を予期していますし、恐らく受け手も基本は名詞で返すことが暗黙の了解なのではないでしょうか。

しかし、そこをもう少し深掘りしていくと

趣味=動詞+感情なのではないか

そう思うようになったのです。
前述した、大学生の時に自分が趣味だと思っていたこと

喫茶店、筋トレ、銭湯
これらを深掘りしていくと

喫茶店は、喫茶店に行き、非日常の空間の中で、美味しい珈琲を飲みながら、友人と談笑することが好きでした。

筋トレは、友人と使用重量を張り合いながらガムシャラにトレーニングすることが好きでした。
また、各々が調べたトレーニング方法や理論、食事、好きなトレーニーの話をし、試行錯誤しながらトレーニングをすることが好きでした。

銭湯は、最新の銭湯にこだわり、いろいろな銭湯を巡ることが好きでした。
その際も必ず友人と訪れ、裸の付き合いの中で腹を割って話をすることが好きでした。


別に無趣味だっていいじゃないか

これらを書き出すと、私の趣味は

非日常の空間で、気の置けない友人と話をすること

だということを理解することができました。

そして、友人たちと会話をすると気分が軽くなったり、また頑張ろうという活力が湧いたり
自分の考えが深まったり、私の認知の歪みが修正されたりと

学びと感動と温かい気持ちをいつも運んでくれていました。

私には広く一般的に語られるような趣味は持っていないのかもしれません。
完結に言い表せるような趣味もありません。

熱中したものもすぐに冷めてしまいますし、1人ではなにもできません。

でも今はそれでもいいと思いますし、この気づきを大切にしていきたいと思います。

最後に

長文になりましたが、ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

なにか伝わったのかなにも伝わらなかったのか私には分かりませんが、この文章を綴ってよかったと思っています。

最後にもう1度まとめます

趣味に相対評価を持ち込んではいけない
趣味は名詞で簡潔に言い表せなくてもいい
無趣味も悪くない

熱しやすく冷めやすいみなさま、無趣味に悩んでいるみなさま、就職活動で無理矢理趣味を見つけようとしているみなさま、読んでくれたみなさま

ここまで目を通してくださり本当にありがとうございます。

まだまだこれからも投稿をしていきますので、よかったら読んでみてください。

では、また




https://sakura-paris.org/dict/広辞苑/content/9503_1230

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?