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希望の灯りは悪からの逃避か、それとも前進か?ー台湾ドラマ「悪との距離」


台湾ドラマ「悪との距離」の最終話を見終えました。

このドラマのテーマ、描き方、表現の仕方が日本にはないものだったので、どういう着地点を用意しているのか毎回、気になりました。

見ている時の集中力が半端なかったドラマ。

最終話が更に予想外の展開で、ここから一体どうやって着地点につなげるの?という感じ。ラストまで緊張しながら見ました。


着地点のあるドラマだった

しかし、心配は無用でしたね。脚本家、監督とも実力派でした。台湾ドラマの歴史を変えたと言われているだけあって、このストーリーを用意できたことがアッパレだと思いました。これが2018年の作品です。

このドラマ、私たち個人のメディア(情報)の受け取り方、客観性、見極め方もしっかり描かれています。すべての人にあてはまるように描かれているので、関係のない人は一人もいないと思います。

脚本家ルー・シーユエンがインタビューで、「社会の傷は治せるのか?予防はできるのか?の両方を作品で描きたかった」と話してましたが、それを見事に描ききれていると私は思います。

無差別殺人という悲劇を繰り返さないための社会の予防はある。

着地点が描かれていたのが本当に救いでした。

知的障害のある人たちと希望

10年前、私は親の会を作り代表として活動を始めました。

当時に比べ、福祉サービスや支援機関は充実しましたが、支援が届きやすくなっても、成人になった知的障害のある人の自由度と人生を良くする材料はまだ見えてきません。

「悪との距離」を見始めた頃、いろいろな感情が混ざりあって、感想を上手く述べられませんでした。ただ、この手のドラマによくあるパターン(問題提起だけする)で締めくくられるのは辞めてほしい…と。

そこだけはハッキリしていました。

そして迎えた最終話、タイトルは「未来に向かって」。

ああ、やっぱりそこだよ、それしかない。
知的障害のある人の自由度と人生を良くする材料は、制度だけではなかった。そう思うと行き詰まっていたところに、希望が見え始めた。

私はまだ動ける、、、そう思えました。

作り出していたのは自分

遠回りでも続けてゆくしかないのだな、今、自分の中で見えていることを。

たくさんの人たちと一緒に作ってゆかなければいけないのだな、、、と明確になりました。

いや、知ってはいた。続けてゆかなきゃダメだと。

ただ、エネルギーが底を尽くときは、「自分じゃなくてはいい」と後戻りしていただけだった。

でも、「悪との距離」のラストを見て、当事者の自由度と人生を良くするための材料を揃えていこうと思えるだけのパワーと希望が持てました。

このラストのように希望を繋げることが、とても大事なのでは?と。

人は恐怖を作り出してしまうと判断を誤ります。恐怖を作り出すのは人間。ならば、作り出すものは笑顔の見える明るいものにしたい。そこに向かって動きたい。そういう強い思いが湧きあがりました。

続けてゆきます。


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