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ノートルダムの鐘を語らせてくださ~~~~~~~~~い!!!!

今朝も、ノートルダムの鐘の素晴らしい楽曲たちを聴いてきました、どうも、魚木まるです。

 ノートルダムの鐘は、本当にもう、何もかもが、始めから終わりまで、全ての瞬間がそりゃあもう、筆舌に尽くしがたくすんばらしいのですが・・・(語彙力)

 映画全体を通して、登場人物の気持ちを表すミュージカルパートがもうね、もうね、最高なんでございますねえ(急募・語彙力)


 なんつったて、アランメンケンだもの。ディズニー音楽の巨匠なんだもの。もう、「アランメ」まで聞いた時点で、「あっっ、素晴らしいんだな」ってわかるもんね。


 メンケン様が作る曲って、一度聴いたら、忘れない。必ず、作品全体を通しての、テイストと言いますか、キーフレーズが決まっていて、「あ、この感じはあの映画だな」ってのがすぐにわかっちゃうんですよね。その曲を聴くと、映像まで鮮明に頭の中に浮かんでくるような。





 ではでは、本日は、映画『ノートルダムの鐘』に出てくる、最&高な楽曲の数々を、わたくしめの拙い語彙力をフルにぶん回して紹介していきたいと思います。

 まず、オープニングの「ノートルダムの鐘」

 ジプシーの狂言回し、クロパンの美声をたっぷりと浴びて、映画の幕開けを迎えましょう!

 映画の舞台、登場人物たちの関係性などが、荘厳なミュージカルにのせて紹介されていきます。教会音楽を思わせる壮大なクワイヤとオルガンの音色、主人公カジモドが鳴らす美しい鐘の音色が、見るものを一気に15世紀のパリへといざないます。
 もうね、このオープニングだけで映画を見た気持ちになるんよ。

 最初の「あ~あ~あ~」の部分が、大好きすぎる。

 こちらは英語版だけど、映像がついているので見てみてほしい。雲を突き抜けるノートルダム大聖堂のシーンから始まるでしょう?まさに、神の世界なんだよね。この映画の中では、神様は弱きものを守護してくれる存在であり、悪者を裁く存在でもある。その、「裁き」の崇高な恐ろしさをよ~く表していると思うんだ。

 そのあとの、中世の街並みを表すような、陽気なようでどこか物悲しいメロディも特徴的。

 そして、判事の恐ろしさを存分に味わえるのもこの楽曲よ。人殺しておきながら、「私は罪など犯していない!」っていうんだもん。判事にとっては、自分こそが正義。だから、ジプシーの命を奪うことは、正義だと思っている。この時点で、「あっ(察し)」ってなるでしょう?
 さらに、ジプシーはちょっと見ただけで、「フロロー判事だ・・・」っって分かったってことは、相当恐れられてた存在ってことだよね。
 一瞬で人を震え上がらせるそのカリスマ性、素晴らしいと思います()
 あ、あと、「へあ~」ってなってる判事も忘れずに見てね。

 そして、「鳴らすのは怪物か それとも人か」っていう歌詞が出てきて、そのあとカジモドが満を持して姿を現す演出も大好き。その瞬間、本物の鐘のような、重厚な音色が加わって、テンションマックス。

 この時点で、カジモドの人とは違う容姿を見た我々は、ぎょっとしてしまうのよね。でも、歌詞に出てくる怪物ってのは、カジモドのことじゃなくて、フロロー判事や、カジモドをいじめた民衆、そして、見た目で判断してしまった我々の心のことを表しているんだなって、最後まで見ると気付くわけ。すごい仕掛けでしょ???



 次に、カジモドのあこがれを描いた「僕の願い」

 カジモドのやさしさ、光を求める気持ちがひしひしと伝わってきて、ウルってなる。

 これの前のシーンでは、フロローに「お前は醜いんだ」って言い聞かせられちゃうんだよね。ほんと~に、このセリフだけは許せん!!!!!!

 判事は悪役なので、これ以外にもいろいろ嫌なことはやってるんだけど(例:エスメラルダの髪の匂いを嗅ぐ、スカーフすりすりする、パリを焼く、など)、だいたいは「ぎえ~~~~~っ、キモイ!!!!(狂喜乱舞&阿鼻叫喚)」で済ませられるんだけど(オイ)、カジモドにひどいこと言うシーンは、もっと許せない!!!!!

 だって、カジモドは優しくて、力持ちで、歌もうまくて、こんなにいい子なのに、そんなこと言われたら傷つくし、自信なくしちゃうでしょ??!!!!?

 しかも、「お前は母親に捨てられた」とか嘘ついてさあ・・・。その母親を殺したのはお前やろがい!!!!!!!


 子供の自信を喪失させるような言動+子供の目の前で嘘をつく!!!!子育ての基本がなってない!!!!!ひよこクラブ買って勉強してください判事!!!!!



 ・・・話を曲に戻します。
 「みんなは今日も忙しくして 楽しくいきいき暮らす 何て素晴らしい生き方だ 輝きに溢れている」っていう歌詞がほんまにもう~~~~~~~


 きっと、街の人たちからしたら、ただの日常、なんてことはないワンシーンを、カジモドはず~っと大聖堂の上から見ていたんだなあと思うと・・・。


 もしかしたら、「仕事めんどくせ~」とか思いながら働いている人もいたと思う。でも、日の光の下で、たくさんの人に囲まれながら、仕事をしている人たちは、カジからしたらうらやましい存在なんだろうね。

 彼の仕事は、大聖堂の鐘を鳴らすことだから、誰にもその姿を見てもらえない。20年間ずっと、会える人間と言ったら判事と司祭さんぐらいなんじゃないかしら。

 逆に考えると、なんであの判事の元でこんなにいい子に育つんだい????ガーゴイルたちの教育のたまものなのかい?????

 きっと、勉強は教えられていて文字は読めたと思うので、本から得る知識が彼を救ってくれたんだろうなあ。判事はキリスト教徒なので、聖書も読んだだろうし。そこから、優しい心の持ち方を学んだんだろうなあ・・・。うっうっ、こんなに大きくなって・・・。わたしゃあ嬉しいよ・・・(誰)

 「この願いがもしも 僕に許される その日が来るなら もう 何もいらない」っていう歌詞も良すぎてさあ・・・。な、なんて謙虚なんだ・・・。ああこれは、謙虚っていうか、判事にずっと否定され続けてきたから、自信が無くなっちゃったんだろうなあ。だから、「こんな自分なんて・・・」っていう気持ちが曲にも表れてる。許すまじ判事!(語感ヨシ)




 続いては、街のお祭り騒ぎを詰め込んだ、「トプシー・ターヴィー」

 トプシー・ターヴィーとは、英語で「逆さま」という意味だそう。このお祭りがある日は、いつもの身分が逆転するんです。だから、人間は犬にリードをつながれるし、エビにゆでられる・・・。

 カジモドにとっては初めての外の世界。見るものすべてが新鮮で輝きに満ちています。でも、やっぱり不安そうな表情。ず~っとお前は醜いって言われ続けてたんだもんね・・・。許すまじ判事。

 そして、ここで初めてエスメラルダと出会います。出会いの場面が、なかなか奇妙です笑 エスメラルダのお着換えシーンに出会ってしまうんですから・・・。ある意味ラッキーなのか・・・?はっ、いけない。そんな風に思ってしまうなんて、私は判事じゃあないんだから・・・。

 でも、そんなことでは叱らないエスメラルダ様、聖母過ぎるだろ。けがをしていないか、カジモドを心配してあげてるし。そして、この時顔を見ても全然驚かなかったのが、きっとカジモドのハートをつかんじゃったんだろうね・・・。エスメラルダ様は、仮装用のマスクだと思っていて、「素敵なマスクね!」って言ったんだと思うけど、こんなん言われたら、誰だって惚れてまうやろがい!!!!


 ノートルダムの鐘は、基本的にダークなシーンが多めではあるんだけど、このシーンはしっちゃかめっちゃか楽しい。

 まあ、なにも知らないカジモドを道化の王に選んでしまうのはなんとも残酷だけど・・・。そのせいで民衆にいじめられるし、判事には外出がばれるし・・・。

 ま、エスメラルダに出会えただけで良しとしよう!






 さあ、お次は、我らがエスメラルダ様の「ゴッド・ヘルプ」

 静かな光や優しさに満ちた、ろうそくの炎のように煌めく美しい曲です。

 お祭り騒ぎから一転、人々の祈りを描いたこのシーンは、この映画の見せ場の一つだよね。

 エスメラルダは美しくて強い子だけど、差別の対象でもあるのよね。でも、周りで同じように苦しむ人々を、まるで自分のことのように思っている。

 ほかの人々が、神の祝福を「我らの上にもたらしたまえ」って言っているのに対し、エスメラルダは、「助けてあげて 踏みにじられたその人たちを みな神の子」って祈ってる。エスメラルダはキリスト教徒ではないのだろうけど、ジプシーだけじゃなく、カジモドのような人々もお救いくださいって言ってるのよ・・・。なんて、優しい人だろう・・・。みな神の子、うんうん、そうだよねえ・・・。ってことは、判事も神の子なのか・・・。それは、うん、ちょっと、嫌かも・・・。


 カジモドも、エスメラルダも、心が本当に高貴なんだろうなあ。実際の暮らしがどうとかじゃなくて、精神が豊かなんだよね。カジモドはともかく、エスメラルダは、きっと快適な家とか、財産とか、そういうのはもっていないだろうけど、ここまで優しい心を持ち続けられるのってすごいことだよね。だってふつうは、貧しかったら心が荒むことだってあるじゃない。
 私なんか、先々月はちょっとお金が足りるか危うかったので、「セーブしなきゃな・・・」ってちょっぴりブルーになってたもん。ちっせ~な、私、ちっせ~な・・・。





 さてさて、お次はカジモドの恋と純粋さを表したこの曲「天使が僕に」

 最初は、いつもいつも大聖堂の上から見ていた恋人たちへの憧れを歌い、その後に、エスメラルダを「天使」と称える。鐘の音も、カジモドの恋心を祝福するかのような暖かい音色。

 う~~~っ、本当にカジモドの心はきれいなんだな・・・。街の恋人たちを見ても、けっしてひねくれることなく、「素敵だな・・・」って思ってたってことでしょ??!

 私だったら、絶対「くそお・・・いちゃいちゃ見せつけやがって・・・」ってなりそうだな。ちっせ~な、私、ちっせ~な・・・。






さ~~~~てさてさて、次はお待ちかね、パリ焼いちゃう系・低音ボイス歌手、フロロー判事の登場ですよ~~~~~~~!!!!!
 その名も「罪の炎」

 きゃ~~~~~っっっっっキモっっっっっ!!!!!(誉め言葉)



 この曲さあ、「天使が僕に」のすぐ後に来るのよ。カジモドとフロローの対比がハンパじゃない。カジが「天使だ・・・」っているのに対して、判事は「悪魔だ!!!!焼き殺してやる!!!!」って言ってんだもん。おい判事!恥ずかしくないのか!カジモドの曲の直後にこんな歌流されていいのか!!!!!



 一歩間違えればネタ曲になりそうですが、その根底には、宗教的な考えがあるから、なんとも複雑な気持ちになるのよ・・・。エスメラルダへの歪んだ恋心と、神の怒りに怯え許しを請う信者としての気持ちを詰め込めるのすごすぎ。

 そして~~~何より~~~~この低音ボイス♪♪♪


 私は、まずここでダメでした。だって、良すぎるんだもん。最初の落ち着き払ったような歌声から一変、曲の最後は、荒れに荒れて、シャウトする判事。「中に~~~~~~~~」の響きが大好き。狂気を感じる。大好き。



 この楽曲についてのすばらしさ並びに激ヤバおじたんフロロー氏のことはこちらからどうぞ。



 さあ、罪の炎の迫力に威圧されたあとは・・・
 「ガイ・ライク・ユー」で盛り上がろう!!!!

 ガーゴイルトリオが、カジモドを元気づけるシーン。


 君はほかの人とは違う、だからこそ特別で最高なんだ!とカジモドを励ますガーゴイルたち。今ってさ~ディズニー映画というか、エンタメ界全体が、ポリコレポリコレうるさいじゃないですか。

 時代の流れ的に、こういうのはしょうがないと思うんだけどさ、でも、なんか押し付けられているみたいでいやなんだよね。なんていうんだろう、強制的に違いを認めさせられる、みたいな。もちろん、違いを認め合うのは大事なんだけど、それを強要するのは違うし、逆に、「ほら!てめえの『違う部分』見せてみろや!!!」ってなるのもちょっとな・・・って思う。



 別に、私は知らん人の「違う部分」なんて知りたくないし、逆に知らない人に私の個性を押し付けたくもない。だから、実写化の時に時代にこびへつらうように黒人を採用するのもちょっとな~~~って思う。今まで、白人の「キャラクター」として愛されていたものが、強制的に違うキャラになっちゃうのって、寂しいじゃない?私たちの思い出を知らん奴が、勝手に改変すんな!ってなる。


 だから、いま必要なのは、このガーゴイルたちとカジモドの関係性なんだと思う。四人は友達同士で、お互いのことをよ~くわかってる。だから、判事に「石はしゃべらないんだよ」って言われても、変わらず友達でいるし、ガーゴイルたちも、カジモドを励ましてあげる。


 ただ「友達である」ってだけでいいんじゃないかな。全人類みんな認め合うってのは無理だし、余計なお世話に感じる人もいるよね。でも、友達になったんなら、その違いを理解しあおうよ、っていう、当たり前のことだけでいいと思う。




 この曲では、ガーゴイルたちがやりすぎってぐらいカジをほめまくります。現実とのギャップに打ちのめされることもあるだろうけど、こうやって無条件に笑いあえる仲間って必要だよね。




 お次は~~~
 冒頭にも出てきたクロパンが再び登場!「奇跡の法廷」

 この曲、クロパンの「ジプシーのリーダー」としての一面が見えて好き。陽気なおっちゃんなのかな???と思いきや、侵入者に事情も聞かず「縛り首だ!!!!」ってあんた、恐ろしすぎだわ・・・。

 きっと、そのぐらいビシバシいかないと、自分たちの命が危ないからなんだろうね。

 それから、フィーバスのしゃべり方も好きなんだよな。いい声なんだけど、ちょっと棒読みなかんじが・・・笑 調べてみたら、声優は劇団四季の芥川英司さんというお方がやっているそう。え~~~っせっかく劇団四季の人なのに、フィーバス全然歌ってないじゃん!!!もったいないよ~~~~!!!



 そう考えると、面白いな。エスメラルダと結ばれたのはフィーバスだから、立ち位置的にはヒーローのはずなんだけどね・・・。


 映画内で、エスメラルダは三人の男に恋心を抱かれていたんだな。カジモド、フロロー、そしてフィーバス・・・。

 カジモドは「天使」、フロローは「悪魔」とエスメラルダのことを形容していた。

 じゃあ、フィーバスはエスメラルダをどんなふうに思っていたんだろう????


 きっと、勇敢で心優しい「人間」と思っていたんだろうねえ。だからこそ、エスメラルダはフィーバスを選んだんだろうなあ。



 最初見た時は、「なんで??!?!!?カジモドが失恋・・・だと???!!?!」って驚愕してたけど、なにも人を救うのは恋人だけじゃないよね。フィーバスもエスメラルダも、カジモドの友達になったんだ。



 それにカジモドは、心がきれいだから、フィーバスとエスメラルダのことをちゃんと祝福していたよね。なんていい子なの・・・。



 ディズニー作品て、絶対的なハッピーエンドで終わることが多いけど、これはそうじゃない。現実的なオチでありながら、心温まる終わり方なんだよね。

 プリンセス作品とか、素敵だな~って思うけど、「絶対あり得ないな」って心のどこかで思っちゃうのよ。でも、ノートルダムの鐘は、あるかもしれない、って思わせるような、良いしめくくりなのよ。夢がかなうだけがハッピーエンドじゃない。その先にも、まだ未来は続いているのだから。





 だから、多くの人に見てもらいたいなあ・・・。また、地上波で見たいなあ・・・。私も、こないだの金曜ロードショーで知ったクチだからさ・・・。


 ふう、語った語った。こうやって自分の思いをぶつけられる場所があるのはいいな!情報社会にありがとう。




 それでは、この辺で、さようなら。

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