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寒サニモ負ケズ

 急に寒くなったので、びっくりすると同時に、謎の怒りが湧いてきた。
 なんで!寒いんだよ!こんなにも!!


 そんな中でも、JKたちは生足をさらしており、「寒さは敵よ!隠しなさい!」とおばあ心が出てしまった大学一年生は私です。

 私はチャリ通で、切り裂くような冷たい風がもう辛くて辛くて、スラックス履いてました。ズボン万歳。


 まあ、昔からおしゃれは我慢と言いますからね。



 どんぐらい昔かというと、少なくとも1800年代のヨーロッパでは言われてたと思います。



 これにはちゃんと根拠があります。皆さんはエンパイアスタイル、という言葉をご存じですか?


こーゆー感じのドレス
ちなみにこのご婦人はナポレオンの妻、ジョゼフィーヌ

 うっすーいドレス。白いモスリンを使うのがこの時代の流行でした。


 ちなみに、そのちょっと前の時代のドレスはこーんな感じ。

このお方はポンパドゥール夫人
サロンの女王と呼ばれた、才色兼備な女性

 ずいぶんと違いますね。ポンパドゥール夫人が着てるのが、ローブ・ア・ラ・フランセーズで、ジョゼフィーヌ皇后が着てるのが、エンパイアスタイル。


 もちろん、かの有名な王妃マリー・アントワネットも、ローブ・ア・ラ・フランセーズを着ていました。

これは超豪華版

 しかしながら、のちのエンパイアスタイルの前身を築いたのも、彼女。

ちょっと控えめな田舎風スタイル

 このころは、シュミーズドレスと呼ばれて、だいーぶ物議を醸した、前衛的スタイルだったよう。(シュミーズとは、下着の意)
 そのため、この絵は書き換えられています。

こっちのほうが有名かも

 マリーアントワネットと言えば、贅沢!派手派手!のイメージがありますが、子供が生まれてからの彼女は、自然回帰志向が高まっていきます。たとえば、ちっちゃな宮殿、プチトリアノンで、農園ごっこをしてみたり。


 待望の子供も生まれ、お世継ぎ問題が一件落着したので、肩の荷を下ろして、ついでにコルセットも緩めて、一休み~という感じだったのでしょうか。


 でももしかしたら、それだけではないかも。


 この頃、「発掘調査」がある種のブームのようになっていました。古代ギリシア・ローマの遺跡が次々に発見され、人々の関心は地中海へ。

 テルマエロマエなんかでも、こんな衣装を見たことがありますよね?

キトンと呼ばれる衣服

 ローマのほうは気候がいいので、うすーい布をゆったりと巻くのが正解だったのでしょう。それに、「身体のすこやかさ」を重視する古代ローマ人たちにとって、自然に体のラインを見せる服装はぴったり。

 きっと、古代ブームはベルサイユにも届いていて、「まあ、斬新なスタイルね~素敵!」とファッションリーダー・マリーは張り切って取り入れたのでしょう。周りの貴婦人たちも、コルセットやだな~と心の中では思っていたのか、このスタイルを取り入れる人も多く、シュミーズドレスは大流行。きっとあの絵を批判したのは、頭の固い、ほんの一部の権力者たちだったのでしょう。(この頃、マリーの宮廷での立場は危うくなっていたし)こういうおじさんたちに限って、重要な役職についてたりするんよな。いつの世も変わりません。


 そして、フランス革命。ナポレオンが皇帝となり、新たな世の中が始まりました。そこで流行ったのが、あのエンパイアスタイル。


 しかし、これは「古代ってさいこ~」っていうのだけじゃなくて、「ごってごてのお貴族様(笑)とかダセー」という新興富裕層の気持ちもブームの火付け役になったのだとか。フランス革命は、言ってしまえば、貴族とブルジョアの戦いでもありましたから、貴族の真似をしてたんじゃしょうがない。事業も波に乗り出し、いよいよ俺らの時代だ~と勢いづいたブルジョアたちのファッションでもあったのです。従来の貴族らしさを表す、豪華な布地や装飾、アクセサリー類は一切なし。ちなみに、当時の処刑(ギロチン)は一種の娯楽的な要素もあり、首に血を表す赤いネックレスを付けることは流行ったらしい。ブラック過ぎて笑えんだろ・・・。


 そんなこんなで、ブルジョアの時代到来か?!とも思われましたが、貴族たちも負けてません。フランス革命を乗り越えた彼らは、徐々に力を取り戻します。でっか~い土地を持っていて、働く必要なんてない。せっせと金稼ぎに夢中なブルジョアたちをよそめに、以前のような華やかさを取り戻します。

 豪華な刺繍、真珠のアクセサリー、フリルにレースに、あとカシミアのショールをかぶって完成!

白に赤の組み合わせ。シンプルながら、豪華さもある。


マリーアントワネットの娘、マリーテレーズ
いろいろと大変な目にあって苦労した彼女。でも豪華なドレスが似合ってるよ!

 でもこのショール、単におしゃれだから流行ったのではなく、別の理由があったそう。みなさん、もう察しがつきました?笑







 そう。寒いから~~~~~!!!!!



 イタリアとかならいいのよ。でもこれをフランスでやってごらんなさい?
死ぬぞ



 実際、寒すぎて肺炎にかかる娘さんが続出。両親は気が気でなかったでしょう。
「うちの娘、しょっちゅう薄いドレスだけで舞踏会行ってるけど・・・」「そういえばね奥さん、○○伯爵家の御令嬢、肺炎で亡くなったらしいわよ~」
「あら~怖いわねえ~うちの子も心配だわ~」


 豪華になった理由って、寒すぎたせいもあったのでしょうか・・・?




ちゃーんと上着も着てる
これでオカンも一安心

 このスタイルは、スカートの切り替えしがめちゃめちゃに上なので、足長効果抜群。しかも、背中の部分がすごーく小さいので、か弱くてつい守ってあげたくなる女感も演出可能。(これ、当時はめちゃくちゃ大事。ある程度の身分がある女性は、働くなんてもってのほかでした。舞踏会で、金持ち旦那をゲットするのが彼女たちの就活なのです)なのに、コルセットの締め付けナシ!万能ドレスだったわけ。


 1820年代ごろから、再びコルセットが必須アイテムに。その後、1900年代にポールポワレが現れるまで、一部の例外を除いて、コルセットのないドレスはあり得ませんでした。

1910年代のドレス
エンパイアスタイルになんとなーく似てますね
流行は繰り返す!

 とまあ、いろんな意味で特異な存在であるエンパイアスタイル。その流行の裏には、レディたちの命をかけた我慢があったのです。流行のためには命をも惜しまぬその覚悟、そこら辺の紳士にゃ負けません。


 現代を生きる我々は、おしゃれを楽しみつつも、健康第一でいきましょう。JKたち、冷えは禁物ですことよ!


それでは、この辺で、さようなら。

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