掃除日和
掃除、それは奉仕の精神である。
掃除と言っても、様々ある。学校で生徒が行う清掃。クラスのため、学校とため、というのが先生方の言い分。しかしたいていの場合嫌々やっているので、教室の隅の方には埃がたまっていることが多々ある。「男子~ちゃんとやってよね!」という決まり文句を言う女子生徒は今でも存在するのであろうか。
また、雇われの身として行う清掃。雇い主、お客に対する奉仕。私は未経験なので分からないが、たとえどんなにひどい汚れと遭遇しても、「これは、給料のため…!」と心を無にして取り組む人もいるかもしれない。
心が清らかな人ならば、ボランティア活動の一環として清掃を行う場合もあるだろう。そこに住む人のため、ひいては地球環境のため。奉仕の精神がなければ、これはつとまるまい。
そして、自宅の清掃。この地球上に存在する者すべてが経験する、生活の一部である。これには、上にあげた「掃除」よりも奉仕の精神を必要とする、と私は考えた。
何に対する奉仕であるか。そう、「自分」である。
つい先日、私は1か月以上に及ぶ帰省生活を終え、我が家よりずっと南にある下宿へと出発した。運転席に私、助手席に父、後ろには母、そして帰ってきた時の3倍はあるであろう荷物。
久々の、我が孤城。といってもこの3日間は、家族3人、窮屈に過ごすのだなあと思うと、気が重いような、逆に幼子のように、わけもなくうきうきするような、そんな気持ちでいた。
しかし、難攻不落とも言われた(言われていない)その城は、かつての輝きを失い、荒れ果てた姿に変貌を遂げていた。
読者の方々も、すこし思い出していただきたい。今年の夏がどのようなものであったかを。
連日の、猛暑。それから、豪雨。
湿気の多い、日本の夏。それを加速させる、雨、雨、雨。
下宿のあるこの地よりも湿度が低い我が故郷でも、毎朝床のフローリングがけが困難であるほど、今年の夏は、湿度がひどかった。
私は、初めに「一か月以上に及ぶ帰省生活」と述べたが、ここで察しのいい読者はお気づきになったことであろう。
そう、部屋が、カビていたのだ。
ここから先の話は、一言でまとめるととても汚いので、お食事中の方、普通にそういうの読みたくない方は、そっとこの記事を閉じ、美しい世界へ引き返してほしい。
まず、部屋に入った瞬間の、空気の圧。異世界に入り込んだかと錯覚したが、これには湿気という名がついている。湿度の差が大きいと、人間は圧を感じるらしい。
この瞬間から私は少しだけ嫌な予感がしたが、車にはここに運ばねばならぬ衣服、日用品、食材が首をそろえて待っている。とにかく、部屋に入るしかない。
水道の蛇口をひねると、生暖かい、水。風呂場、トイレ、水道はどうやらかびていないらしい。私はすこしほっとした。出る前に掃除をしたのが功を奏したらしい。
次に、ベッドを点検することにした。出るときシーツも枕カバーも替えたし、大丈夫だろう、と思っていた。フラグだった。
寝具が、カビている。この経験がある人は、今すぐ友達になりましょう。フォローしてください、マジで。
マットレスを上げると、すのこに、黒い模様ができていた。かびないように、すのこがあるんじゃないのか。すのこがかびてどうすんだ。
そして恐ろしいのは枕である。カバー代わりにかけていたタオルが、若干、カビ臭い。ここまでは良い(良くない)問題は、そのタオルを取った下に、虫が歩いていたことである。
体長1ミリほどの、小さな虫が数匹。とことこと歩いていた。
トコジラミではないか、という不安が頭をよぎる。もし本当ならここで寝るなんてもってのほか、今すぐ業者を呼ばなくては…と震える手でグーグル先生に質問したところ、チャタテムシではないか、というご回答をいただいた。人体に直接の害はないらしく、ほっと胸をなでおろす。がそれもつかの間、花の女子大生が、部屋にカビをはやし、虫を養育していた、という事実に、じわじわ悲しくなった。そして情けなくもあった。19年も人間をやっていて、こんなことは初めてだったからだ。
そして、ベッド付近のキャビネット、エアコンももちろんカビていた。カビにとっての天国、それがこの部屋。
時刻は、20時を回っていた。みな長旅で疲れている。とにもかくにも、この部屋をきれいにするほかはない。
まず、寝具を丸ごと洗濯機にぶち込み、すのこをウエットティッシュで丁寧にふき取る。エアコンをクリーンモードに設定する。キャビネットの物をすべて出し、そこも拭く。
ここに来る前に夕食を取っていたのが不幸中の幸いであった。ここで食事をすることは、腐海でマスクを外すようなものである。ほんの数秒マスクを外しただけのナウシカですら、「すこし肺に入った」と言っているのである。考えただけでも恐ろしい。
掃除はひと段落、さあ、お風呂に入るぞ!と下着類がはいった箪笥を開けた時、また「アレ」が襲った。
ここにも、魔の手が…。風の谷にカビ第一号が現れて嘆き悲しみ、そして諦念に襲われる民の気持ちが、わかった気がした。
仕方がないので、帰省中に来ていた下着を荷物の中から引っ張り出した。とにかく、今晩は眠ろう、そう思った。大丈夫、明日は明日の風が吹く、風の谷にも、私の部屋にも…!
しかし、事態はまったく変化していなかった。朝食を取ろうと取り出した箸は、すべてカビていた。洗って綺麗になったとしても、さすがに一度カビた箸で食事をするのは憚られる。ゴミ箱に消えていった。
同じく、何度か果物を切っただけのまな板も、滅した。木の製品は、悉く救いようがなかった。
気を取り直して、遊びに行こう!と勇んでバッグを取り出そうとすると、そこも、かびの襲来にあったようだ。独特の匂いがした。祭りの後の、わびしい静けさ。そんなたとえようもない気持ちが、胸に去来した。
バッグ自体は無事だったが、それが入っていた収納が、どうも匂うのである。材質は木であったから、もはや避けようのない事故だったのだ。私は、やさしくその戸を閉めた。母親に、出かけてる間ぐらい開けてなさい、と言われた。その通りだ。悲しみは、人から正常な判断を奪ってしまう。換気扇、エアコンの除湿モードを全開にして、家族そろって部屋を出た。帰ってきたら、少しはましになっていますように、と期待を込めて。
その日は浅草寺に行ったのだが、そこの売店に和柄の綺麗な箸が売られていた。家族で一膳ずつ、好みのものを選んだ。流石にこれを捨てるようなことになれば、バチが当たるであろう。普段はあまり土産物など買わず、観光地にあるものは全てぼっているから気に食わん、という態度をとる我が家族が、このようなことになったのは異例の事態である。もしかすると、両親には、さすがにいくらずぼらな娘でも神社仏閣にまつわるものは無下にしないだろう、という目論見があったのかもしれない。
さて話は洋服箪笥に戻るのだが、前にムシューダを置いたおかげか、服自体は無事であった。母親には、清潔にしていればそんなものは必要ないと言われたが、自信のない私は文明の利器に頼ることにしたのだった。ものぐさも、思わぬ形で役に立つ。
家族と過ごす最終日、この日は渋谷に演劇を観にゆく予定であった。しかし私の心には、一つ気がかりなことがあった。
洋服箪笥の上の収納空間、これがまだ手付かずであったのだ。両親からは、服が無事なのだからたいしたことはない、と言われたが、明らかにつんとした匂いがする。おまけに、隙間がないほどびっちりとものを詰め込んである。私は整理整頓が苦手な性質で、置き場がないものはすべて適当に放り込んでいたので、何がどうなっているのかまったく見当もつかない。
しかし上演時間は決まっているから、もう家をでなくてはならない。これが終わったら両親は帰ってしまうから、あとは自分でどうにかするしかない。情けない話だが、一人で汚れに向き合わねばならないことが恐ろしかった。誰にも頼れない、という状況が一番恐ろしいのである。もし、とんでもないかびや虫がいたら、どうしよう。間の20分休憩のあいだ、そういった恐怖がちらちらと胸をかすめた。
無事に劇は終わった。大変感動的な話で、人生の理想と現実に挟まれながら、それでも現実を愛し誠実に生きようとする大人たちの、どこかほろ苦いような機微が描かれていた。感動とわずかな切なさ、そして今日からはまた一人暮らしだ、という解放感と寂寥感、この年になってもまだ子供っぽい自分を少しばかりなじる気持ち、そして、帰ったら一人でブラックボックスに対処しなければならない気の重さがごちゃ混ぜになって、さながらスクランブル交差点であった。ぼおっとした気持ちのまま、JR改札口の人の群れに飛び込んだ。
母は、こういった。湿気、湿気こそが、全ての敵であると。そして父は、こう語った。人類の歴史は、湿気との戦い、そして共存の日々であると。高床式の正倉院、壁の少ない寝殿造りのお屋敷。古来から、人々は湿気と戦ってきた。そして、パンや納豆、チーズ、ワインの熟成など、湿度による発酵を利用してきた。人類は、困難に打ち勝ち、それを利用する力を持っている。かびや虫などに、人間様が負けるわけがない。
私は、決意した。部屋の大幅改造を実施することを。とにかく、空気を循環させることが第一である。「置く」のではなく「吊り下げる」収納。これが私の出した結論であった。
両親を見送ったその足で、近所の100円均一ショップへと向かった。何でもあるから、何でもできる。今こそ私は、狭く湿気がこもりやすくても、カビに打ち勝つ部屋を作るときが来たのだ。
そして、今日にいたる。まだ改造の途中だが、私は晴れやかな気持ちでいる。
掃除とは、奉仕の精神、と書いた。私が、私に奉仕する。この資本主義社会において、そういう機会はそうそうないだろう。自宅の清掃なんて、他人様を呼ばない限り純度100パーセントの自身に対する奉仕である。
生きるということの本質は、掃除、ひいては家事全般にあるといえる。誰かのために生きる人生。他者への献身も尊い行為であるが、ふと虚しさに襲われる瞬間はないだろうか。そんなとき、ぜひ、掃除用具を手にとっていただきたい。私の、私による、私のための行為。その時、何かが満たされるような気持になる。私は私として、完結するひとつの存在。それは決して孤独などではなく、私が今ここにいるという、ささやかだが力強い主張なのである。
掃除も、人生も、死ぬまで終わらない。きれいにしても、生きていたらまた汚れる。それをまた、あるべき姿に戻す。ただそれの繰り返し。なんの変哲もない、ありふれた行動。でもいつか、道の終わりまで来た時、振り返ってみれば、それらはまた違った輝きを見せるのだろう。その瞬間のために、私たちは生きているのだ、と思う。
たとえ掃除が苦手でも、大嫌いでも、潔癖症ゆえに掃除のため手を汚すことをためらっても(私にも多少このきらいがある)、決して自分を責めず、ただ粛々と掃除と向き合ってほしい。どんなに目を背けようと、人間は生きている限り汚いのである。それを認めることは、自身の寛容へもつながる、かもしれない…。
今日は、服の断捨離をした。根っからの貧乏性で、まだ着れるものを手放すのに罪悪感を感じていたが、もうずっと着ていなくてよれた下着などは捨てることにした。人生においても、手に入れたものをずっと持っておくことはできない、と思う。それは物然り、記憶然り、感情然り。手に入れたら、一つ手放す。持ちきれなくなったら、一つ一つ手放していくしかない。
私はかつて、ものを捨てることに大きな寂しさを感じていて、なかなか決心がつかないこともあったのだが、今は、自然と抜け落ちるものは追う必要がないと感じている。洋服でいえば、一年以上着ていない服、なんかがそれに当てはまるのだろう。軽やかに生きることは、心の余裕につながる。
手放す、という行為について最近思うところがあった。10年ほど音楽系の習い事をしていて、先生からは音大に行くことを勧められるほど入れ込んでいたのだが、諸々の事情でやめてしまった、という過去がある。私は、いまだにその選択を悔やむことがあって、自分の人生の半分を無駄にしてしまったと思うと、やりきれない気持ちになることがあった。しかし、あの時はその選択をするしかなかった、とも思う。もう精神的にもだいぶ参っていた時期なので、あのまま続けることは困難であっただろう。だから、そうやって後悔すること自体が、過去の自分を否定することになるのではないか、というジレンマもあった。
でも、もう過ぎたことを悔やんでも仕方がない。もうくよくよすることはやめて、昔の自分を手放したいと思う。今はまだ「人生の半分の時間」であるけれど、これから先生きていれば、三分の一になり四分の一になり、もしかしたら十分の一になるかもしれない。
日々の生活をこなしながら、人生は続いていく。その根幹にあるのが、掃除をはじめとした家事労働なのだと、私はやっと気づくことができた。
と、ここまで書いてみて、自分の出不精をよくここまで広げられたものだと、我ながら感心した。この図太さがあれば、きっとどこでも生きていけるだろう。
つまることろ、掃除をしよう、ということが言いたいのである。そのために5000千字も使っているのがあほらしくなってきたので、もうやめにしようと思う。
それでは、この辺で、さようなら。
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