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お願いだから「でも」を多用しないで

否定的な言葉づかいで会話をつなぐ人がいます。

例えばこのように。

1.今日は雨ふるらしいよ
ーーでも、雷にもなるって

(「でも」の使い方がおかしい?)

2.あの人、出産準備で病院決めたり準備したり大変みたいよ
ーーでも、ひとりで産み落とす人もいるよね

(イレギュラーのケースをなぜ)

3.職場が激務で鬱になっちゃう友達がいて
ーーでも、鬱って病院にいけばとりあえず診断してもらえるよね

(ん、ん?なんのことを言っているの?)

相手の話を「でも」で台無しにしている

1の場合、雨と雷は反対の事象ではないので逆説を持ち出す必要がありません。
2の場合、話の流れにそぐわないイレギュラーのケースを持ち出してまで「でも」を使う意味が分かりません。
3に関しては、話題の人物(ここでいう友人)のことを軽視しているように思えます。

いずれにしても、こちらの意図を組む気配がせず、この後の会話を続けることに嫌気がしてしまいます。

私はこのようなケースで、「でもが多いね」と本人に指摘したところ、本人は意に介しておらず、無意識のクセのようでした。

なぜ「でも」を頻繁に使うの?

話のつなぎに「でも」(逆説)を使う人の理由として、

・優位に立ちたい
・自分に注目を集めたい

などがあると聞きます。

そのほか、こんな理由から「でも」を使う人もいるようです。

・否定的な言葉を差しはさむと会話が盛り上がるから

確かに、「でも」と前提を否定されると、「いやいや、〇〇だから」と否定された側は説明を濃くしますよね。それをさらに「でも」と返されたら、「だから、〇〇は〇〇で違うことを言っている」など、どんどんヒートアップしていきます。そのようなやりとりを“盛り上がり”と捉えることが、もしかしたらできるかもしれません。

しかしお気づきのように、「でも」で否定された側は、気持ちが盛り上がっているのではなく、感情を逆なでされたからヒートアップしているだけで、そこにポジティブさはありません。場合によってはケンカに発展します。

さらに問題なのは、このような理由で「でも」を使う人は、実は明確な主張があるわけではなく、本人的には会話を盛り上げるエッセンスとして捉えている点です。

「でも」で会話をひっくり返しておきながら、実は中身がない。となると、会話の相手からは失望され、次第に距離をおかれます。「でも」を使う本人は、なかばよかれと思っているのに、いつの間にか周りから人が減っていきます。

実はエンターティナー(のつもり)でお人よし

そんな理のない不一致があってたまるかと思うのですが……。

事例にあげた「でも」をよく使うのは私の友人なのですが、彼女は主張が穏やかで、どちらかというと人に合わせるタイプなんです。
意地悪とは程遠いのに、会話ではちょこちょこ「でも」を差しはさんできます。
口グセになっているというのと、「でも」で話題の切り口を増やすことで、会話が盛り上がると思い込んでいる節がありそうです。

実は自分が話したいことよりも、会話が盛り上がっているかどうかを気にするエンターティナーの気質であるとも言えます。

う~ん、やり方が間違っていますよね。

その友人には機会があるごとに「でもはやめて」と伝え続けていくつもりです。
むやみに逆説を用いるのではなく、話の意図をまずくみ取ってもらいたいものです。

結論:「でも」を使うと誰も得しない

「でも」をよく使う人は無意識で人を傷つけていることがある。

しかも、本人は悪気なく、なんだったらサービスのつもりで使っていることがある。会話の両者に得がありません。口グセのように「でも」を使っている人はどうか見直してみてください。

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