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死してなお

伝わらない言葉があったのだ。
ひとつだけ。

この職場にはかつて
叶うはずの夢があった、とわたしは話した。
可能になる。
現実になる。
夢が叶う。
だから、どんなことも
辛くはなかったのだ、と。

治る。
笑顔になる。
良くなっていく。
そんな希望がそこにはあった。

体はもう機能改善を望めなくても
きちんと水分を摂らせ
運動することで
今日一日を良くしたのだ
支えたのだということも
その希望に入りませんか?と
新しい上司は話した。

入らないのだ。
何故なら、そこには夢がないからだ。

わたしは…
わたしの母が癌になって
どうしたら母が
物語を信じたまま逝けるか
それだけを考えていたのだ。

延命しなかったのは
母自身が描いていた物語の筋書きを
乱すものだとわかっていたからだった。

物語がある。
人には皆人それぞれの。

わたしは利用者さんの娘ではない。
水分を摂り、運動をして
それで十分だと言ってくれる人も
きっといるのだろう。

介護はエンタメではない。
地味な作業の積み重ねだ、と。

でも…わたしはやはり思う。
ならば、この先も介護をしたい
この業界で働きたいという人は
減り続けるだろう。

わたしは自分を知った。
この職場に来て。
人は仕事で「夢を見たい」ものなのだ、と。
お客様もまた何よりも
それを望んでいるだけなのだ、と。

知ってしまったのだ。
もう退路はないのだ。
知った、その瞬間から。

わたしの母は
死してなお
「そうしなさい」と
わたしに話す。
「突き進みなさい」と。

わたしはこの手に握った
母の分までもの「夢」を
どうしても手放せない。

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