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さえずるように

子供の頃のあだ名は
「ピーチクパーチク」だった。

学校であったこと、考えたこと
家に帰って来て
ずっと母に話していた。

しゃべる、ということは
わたしにとって本当は
とても大切なキーワード
だったのかもしれなかった。

父と母が離婚して
しばらく母と連絡がとれなくなった頃から
わたしはあまり話さない
人間になった。
話すことがなかった。
家の中のことは人には話せなかった。
学校のことを父は聞いてくれなかった。

孤独という言葉も
死という言葉も
そのときはじめて理解した。
憎しみという言葉も
それまで意味を知らなかったから。

母と再会して
演劇をはじめてから
またわたしは話しはじめた。
前のように
元気いっぱいとはいかなかったけれど
それでも話したいことがあったから。

言葉は橋である。
わたしは上京したての
研究生公演のパンフレットに
そう書いたのだ。

わたしの夫は
わたしには考えられないほど
しゃべることが上手だ。
とても面白い。

彼はいくつもの
虹色の様々な橋を
わたしに取り出して
見せてくれる。

わたしはただ聞いているだけで
幸せになる。

言葉は橋である。
演劇もまた言葉だ。

橋をかけること。
あなたに言葉のボールを
投げてみること。

それが光の中で
空気の中で
キラッときらめいて。

そのときわたしは
言葉以前の言葉を
心の中で反芻する。

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