見出し画像

評価の外側、声が聴こえなくなる場所(前編)

よく人に聞かれることで、わたし自身もとても重要なことだと思っていることについて書こうと思う。

成果主義、資本主義、選ばれる・成功することへの執着。
そういったものと完全に袂を分かち、心から楽になるためにはどうしたらいいのか、ということについてだ。

わたしは子供の頃から先にあげたような欲求が希薄だった。それは両親にかまってもらい、話しかけてもらいながら育ったということが大きく関係あると思う。

彼らはいつもわたしに言った。
「あなたはどうしたいのか」が大切だと。
成功することも、一番になることも求められなかった。
ただ「出来るはずのことをしないこと」は
決して見逃さず、しっかり怒られた。
「わたしが何をしたいか。
そのためにしなければならないことを、真剣に努力すること」
それが一番大切なのだと自ずと学んでいった。

父に習うスキーや、習い事のバレエ、日本舞踊
それらも全ては自己の鍛練が重要だった。
バレエなどは先生によっては、生徒同士を競わせることもある。
わたしは運のいいことにそうではない
互いの良さから学ぶという方針の先生に習うことが出来た。
「表面を取り繕っても、日頃の鍛練の無さは誤魔化せない。手指の先ではなく、足腰の鍛練をこそ観る人は観るものだ」
先生はそう教えてくれた。
派手でわかりやすい結果ではない。
汗を流して毎日繰り返す練習の大切さを
最も教えてくれた場所だ。

高校を出て、そのまま劇団に就職した。
札幌で3年、東京で7年間。
舞台演劇がわたしの二十代の全てだった。

ここでははじめて壁にぶつかった。
お金をもらっているプロになったことで
選ばれること、結果を出すことは必然となり
そこにある自意識を否定することが
難しくなっていった。

わたしは幸運なことに、選んで頂ける
結果を次に繋げていくという俳優人生だった。
でも勿論そこには、嫉妬やいじめ
孤立やプレッシャーとの長期にわたる戦いがあった。

そして、最も辛かったことは
本当に才能のある沢山の俳優たちが
年齢や容姿、運や全体とのバランス
時代の流行とマッチするか否かという理由で
切り捨てられ、潰れてゆく姿を
多く見なければならなかったことだった。 

今もその感情を覚えている。
涙が出るほど悔しかったあの気持ちを。
優れているものが、勝つわけではないのだと。
たいして何も持っていないわたしがここにいて
どうしてあのひとは、あんな場所にいるのかと
何度思ったかしれない。

どんなに心の中で慟哭しても
それは表に出せる感情ではなかった。
所詮わたしは選ばれた側で
本当に苦しい人間の気持ちなど
わかるはずはなかったからだ。

ああ。これがプロになるということか。
皮肉に、ひとりで笑って
わたしは、選ばれて嬉しい人間の演技をしていた。
空しかった。
それでも芝居をすれば幸福な自分を
浅ましいとすら思っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?