![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/106108402/rectangle_large_type_2_4840d5e3a7059522b3457dfa8934b401.jpeg?width=1200)
「赤い糸を盗る」 第13話:運命
9月3日。
朝練が始まる前に虎太郎はサッカー場に早く来て、ネックレスを探していた。
「何してるの?」
「ああ、灰音先輩。いやちょっと失くしものしちゃって」
必死に探しものをしている虎太郎を気にし、凪砂が登校してすぐに虎太郎に駆け寄った。
「失くしものって?」
「ネックレスです。昔からずっと付けてたんですけど、昨日失くしちまって」
「ネックレス……。どんなネックレスなの?」
「半分に欠けたハートのネックレスです」
「…………」
凪砂は虎太郎の言葉を聞いて無言になる。
「そのネックレスは虎太郎くんにとって大切なものなの?」
「そうっす。絶対に失くしちゃならないもんなんです」
「……そっか。私も探すよ」
「え、いや、いいっすよ。これはオレの問題なんで」
「そう言わずにさ。みんなも手伝ってあげて」
「え」
凪砂はサッカー場の入り口にいるサッカー部員に声を掛ける。
凪砂は事情をサッカー部員に話した。すると、サッカー部員全員は得心して、全員探し始めてくれた。
「……みんな」
「みんな、虎太郎くんのためなら動いてくれるんだよ」
これは虎太郎が普段から他のサッカー部員に慕われていることを表すものだった。
虎太郎は少し、瞳に涙を浮かべてしまった。
「絶対に見つけ出します」
「その意気だよ」
しかし朝練の間、サッカー部総出で探したものの、ネックレスは見つけられなかった。
だが――
「絶対に見つけ出す。希望は捨てない」
虎太郎はめげず、諦めず決意を新たにした。
その様子を見る生徒がいた。
「…………ごめんね」
生徒はそんな言葉を呟き、サッカー場から去って行った。
× ×
6時間目。今日は家庭科の授業でクッキーを作ることになっていた。
「ほら、黒崎くん、あーん」
「あ、あ、あ、」
狐人と芽衣は同じ班で、芽衣の手作りクッキーを今まさに芽衣は狐人にクッキーを口元まで差し出していた。
芽衣のクッキーはハート型で、形も色も完璧だった。狐人は今すぐにでももらいたい、というか、持ち帰って家で飾りたい勢いだった。
そんなクッキーを今差し出されている。
狐人は顔を、耳まで真っ赤にしてそれを見つめていた。
「どうしたの? 食べてくれないの?」
「い、いや、なんかほら、恥ずかしくて」
「わたしと羞恥心、どっちが大切なの!?」
とまるで喧嘩まっさかりの夫婦みたいな台詞を芽衣は言う。
「も、もちろん桜さんだよ!」
「それじゃ、ほら、あーん」
「あ、あーん」
狐人は観念して口を開く。その口の中に芽衣はそっとクッキーを入れる。
「美味しい?」
「めちゃくちゃ美味しい!」
サクサクでほどよい甘みがある。噛みごたえもあり、噛めば噛むほど甘さが口の中で広がっていった。
「じゃあわたしにもちょうだい? あーん、で」
「え、いいの?」
「良いも何も、美味しいならわたしも食べたいもん。黒崎くんは毒味役だったのですよ」
ふふっと芽衣は微笑む。
「で、でも、自分で食べられるでしょ?」
「食べさせてもらう方が美味しいでしょ?」
「そ、そういうものかな」
そう言いながら狐人はクッキーを手に取った。
「い、いくよ」
「あーん」
狐人は手を震わせながらクッキーを芽衣の口に運ぶ。温かい息が狐人の手にかかる。
真っ白で綺麗な歯が見え、潤いのあるピンクの舌まで見える。罪悪感と恥ずかしさ、そして若干のやましさに襲われながらもクッキーを芽衣の口に入れる。
芽衣は口を閉じ、咀嚼する。
「う~ん! 美味しい! 我ながらよくできた!」
「完璧だよ。そ、その、持ち帰ってもいいかな?」
「いいけど、班のみんなも食べるんだよ?」
「あ、あ、み、みんな、ごめん。少し持ち帰っても、い、いいかな?」
狐人は班の他の生徒にたどたどしく問う。優しい班の人は微笑みながら了承してくれた。
「はぁ~!」
「そんなに嬉しい?」
「う、嬉しい!」
「じゃあまた作ってあげる」
「本当!? やったああああ!」
家庭科室に響き渡るほどの声で狐人は叫ぶ。
「そんなに喜ばなくてもいいのに」
芽衣は口元を押さえ、笑う。
一方、虎太郎の班は――
「焦げてんな」
「……おかしいわ。ちゃんとレシピ通りにやったはずなのに」
竜美は絶望の目をクッキーに目を向ける。
「でも――」
「あっ」
虎太郎は焦げたクッキーを口に運ぶ。
「うん、旨いぞ。むしろ焦げがアクセントになってる」
「……無理して食べなくてもいいのに」
「うん? 無理じゃねえぞ。ホントに旨い」
そう言って虎太郎はどんどんクッキーを口の中に入れる。
「…………」
その言葉を竜美は信じ、焦げたクッキーをかじる。
――不味い。
口に入れた瞬間に焦げを感じ、触感も悪い。竜美は虎太郎を睨む。
不味いとわかっていて、それでも食べ続ける虎太郎に嫌悪感を覚えた。
「もう、いいです」
「あー、なんでだよ」
「不味いのを無理して食べられるぐらいなら食べなくていい」
「不味かねえよ。たしかにクッキーにしちゃ少し苦いかもしんねえけど、でも、やっぱり手作りは旨いだろ」
虎太郎はそう言って笑い、体を伸ばし、クッキーを口に入れる。
「…………」
手作りが美味しい。自分の料理を食べてもらい、美味しいと言ってもらうことは竜美にとって初めてだった。なんだこの男はと、少し頬を染める。
「部活中、腹減っからさ。後、もらっていいか?」
虎太郎は班の他の生徒に尋ねる。当然、了承される。
「いいか? 銀杏?」
「部員に見せびらかせて笑うんじゃないでしょうね」
「そんなことしねえよ。これはオレのもんだ。誰にもやらねえよ」
「……そう。それじゃあ。どうぞ」
虎太郎は透明の袋にクッキーを入れ、嬉しそうに微笑む。
それを見て竜美は虎太郎が悪い人間じゃないのかと考えを少し改めた。
「やあ」
「お、狐人。どうした?」
狐人は一瞬、虎太郎の胸元を見やる。普段からシャツの下にネックレスをしているため付けているからわからないが、首元にほんの少しだけ見えるチェーンが見えない。ネックレスは虎太郎のもとにはない。
「僕も少しクッキーを作ってみたんだ。愛する僕の親友、虎太郎に食べてもらいたくてさ」
「……その胡散臭い言い草。嫌な予感しかしないんだが」
「そんなに疑わないでよ。ほら、銀杏さんも召し上がれ」
そう微笑みながら竜美にクッキーを渡す。
「下剤とか入ってないでしょうね」
竜美は目を細め、狐人を睨む。
「……僕を何だと思ってるの? そんなこと虎太郎にしかしないよ」
「おい、オレだったらすんのか? 鬼畜すぎるだろ」
「じゃあ」
そう言って、竜美は狐人の作ったクッキーを食べる。
「……美味しい。憎いわ」
「なんで憎まれなくちゃならないの?」
「それじゃあ、ほら。虎太郎、好きな方を選んで」
狐人はふたつのクッキーを虎太郎に差し出す。
「下剤は入れてねえんだろうな?」
「そんなこと虎太郎にしかしないよ。心配しないで」
「対象がオレだから心配してんだよ!」
そう言いながら虎太郎は恐る恐る狐人が左手に乗せているクッキーを手にし、口に入れる。
「ま、不味い! てめえ! 何を入れた!?」
「なにって、そりゃあ、塩だよ。僕の愛情、伝わった?」
「お前の憎悪は伝わった。お返しにこれやるよ」
虎太郎は右手と左手に自分で作ったクッキーを乗せ、狐人に差し出す。
「嫌な予感しかしないからいらない。気持ちだけ受け取っておくよ」
「オレはお前と違って鬼畜じゃねえ。受け取れ」
「はあ……わかったよ、信じるよ。じゃあ、虎太郎もせっかくだから僕の当たりの方を食べていいよ」
「よし」
そうふたりは覚悟し、互いのクッキーを食べる。
「「うぐぅ!」」
クッキーを咀嚼し、食べた直後、ふたりとも同じ反応する。
「狐人! てめえ何をした!?」
「それはこっちの台詞だ虎太郎! 何を入れた!」
ふたりとも腹を押さえる。そして同時に口を開く。
「「下剤」」
「てめえ! この野郎! 本当に下剤入れるやつがいるか!」
「それはこっちの台詞だよ! 完全に僕だけを狙った確信犯じゃないか! ちなみに片方のクッキーは当たりだったんだよね!?」
「ふんっ、どっちも下剤入りだ」
「このクソ太郎!」
「クソはお前だ!」
ふたりは家庭科の教師に同時に叫ぶ。
「「トイレ行ってきます!」」
「はあ、本当にあのふたりは馬鹿ね」
竜美がため息をつく。
「ほんと、ふたりとも面白いよね」
竜美の隣に芽衣が立つ。
「あれが面白いの?」
「まあ、周りの迷惑になってないしいいんじゃない?」
「もしあれを食べてたら私たちが被害を被ってたのよ?」
「そうしないよう、ふたりは気を付けてるから」
「その気遣いをお互いにできないのかしら」
「これぞ男の友情ってやつだね」
「友情とはとてもバイオレンスなのね」
竜美は肩を落とし、芽衣はにこにこと家庭科室を後にするふたりを見やった。
「もっとやり方ねえのかよ」
「え、何が?」
家庭科室近くの男子トイレ。虎太郎と狐人がそれぞれトイレにこもる中、虎太郎が口を開く。
「励ましてくれたんだろ?」
「まあ、べつに、そんなんじゃないよ」
「そうだな、いつも通りだな。久しぶりだよな、こうやって学校で馬鹿やるの」
虎太郎は腹痛に顔を歪ませながら言う。
「そうだね。僕が被害を被るのは納得ができないけど、こうして非日常を味わえるのは悔しいことに虎太郎のおかげだね」
狐人は腹痛に冷や汗をかきながら言う。
「オレに感謝しろよ」
虎太郎は笑みを浮かべる。
「少しは、いつもの調子に戻ったかな」
「ああ、それに、ネックレスは絶対に見つかるって信じてるからな」
「前向きだね」
「なあ、狐人」
「なに? というか踏ん張ってるんだからあまり話しかけないでくれない?」
狐人の抗議を無視し、虎太郎は続ける。
「もしお前がオレの立場になってさ、運命の相手が目の前に現れたらどうする?」
「……僕だったら、か」
狐人は思考する。もし仮に自分に運命の相手がいたら、自分はどうするのだろうか。
はっきりと、真っ直ぐその運命に従って結ばれようとする、とは狐人は言えなかった。
自信がなかった。『運命』という言葉と自分とどうしても結びつかなかった。
どんな状況でも自分は誰かと結ばれる気がしない。狐人はそれほど自分に自信がなかった。
ふと芽衣のことも考えた。芽衣とは2年生で同じクラスになり出逢った。狐人は考える。
芽衣は自分を少なくとも嫌ってはいないと思っている。しかし、好意を抱かれているかどうか、それはわからなかった。
小学生の頃、中学生の頃、そして高校生活1年間、長い年月、狐人にはそれほど自信を持てないほどの経験をしてきたから。
狐人の目に光がなくなる。どうして自分は自信がないとわかっていて、それでも希望に手を伸ばしてしまうのだろうと。いや、狐人にはわかっていた。
自信がないからこそ、手を伸ばすのだ。もし自分に自信があればそもそも必死になって手を伸ばさないはずだ。
それは虎太郎も一緒だ。『運命』という希望の光に手を伸ばす。きっと運命の相手と結ばれればこれ以上、手を伸ばさない。
虎太郎も自信をなくしているんだ。運命の鎖から放たれたとき、自分が何者か、自分がどうするべきか悩んでいるのだと狐人は感じた。
「オレさ、やっぱネックレスを交換した相手のことが今でも好きだ。でも、その相手が本当にいるかわかんなくなっちまってさ。ネックレスも失くしちまったし。
オレ馬鹿なのかな? ずっと、昔の小っちゃな約束を信じて、それにこだわんのって、馬鹿なのかな」
口では強がれるものの、虎太郎の心は自信をなくしてしまっている。
「僕は人より自信がないけれど、だからこそ、もし僕に運命の相手がいるなら信じてみたいと思うよ。たしかに僕、何をしているんだろうって思うときもあるかもしれない。
でも、僕はその小さな約束を信じたいと思う。そしてそれを信じようとしている虎太郎が羨ましいよ」
「オレが羨ましい? なんだそれ」
「ほら、虎太郎モテるでしょ?」
「あのな、オレは真面目な話してんだよ」
「僕も真面目だよ。モテてさ、色んな人から純粋に好かれてもそれでも自分の好意を、運命を信じて前に進むなんてこと、僕にはできない。
理解できない。自分を受け入れてくれる人がたしかにいるのに、それを捨ててでも、見えない何かに手を伸ばす。そんなの、僕にはつらくてできないよ」
「褒めてんのか、貶してんのかわかんねえところだな」
「どっちもだよ。真っ直ぐ自分の運命を信じられる強さ、たしかにある優しい現実を捨てる強さ。とにかく、虎太郎は強い。そんな虎太郎が羨ましいよ。
だからね、さっきの、運命の相手が目の前に現れたらどうするかっていう質問に対して僕はこう答える。運命の相手が現れても何もできない。僕は、今の僕のままでいるしかない」
「変わりたいとは思わないのかよ」
「…………僕は、変われないんだよ」
「オレはお前に借りがある。だから、お前には変わってほしいと思ってる」
「だから僕の恋路を応援して、手助けしてくれるんだ。気にしなくていいのに」
狐人は右の脇腹を押さえる。そこには縫った跡がある。中学の頃にナイフによって切られたものだ。
「気にすんだろ。まあ、それもあるし、単にお前の自信の無さを変えたいと思ってるしな。前、萌黄に言われたんだ。お前に自信がないのは、オレのせいだってな」
「萌黄さんがそんなこと言ってたの?」
「ああ、すまん。わからねえんだ。どうしてオレのせいでお前の自信をなくしちまってんのか」
「それは萌黄さんがなんとなくそう言っただけだよ。べつに虎太郎が原因で自信がないんじゃないよ。単に、僕は自分の見た目にコンプレックスを持ってる。
でもそれ以上に、それを言い訳にしている自分が嫌で、それで自信がないだけだ。虎太郎にはそういうコンプレックスが無さそうでいいね」
「オレだってコンプレックスはあるよ」
「へえ、意外だね。どんなコンプレックスがあるの?」
「ぶっちゃけ馬鹿なところ」
「自覚あるんだね」
「うるせえな」
虎太郎は眉を顰める。腹の痛みもあって余計に苛立つ。
「だからオレは人一倍頑張って、馬鹿じゃなくなろうとしてる。でも結局、オレはお前みたいにはなれない。誰かの気持ちをわかってやれねえ。……お前が、羨ましいよ」
「隣の芝生は青く見えるものだね。ま、僕ならとっくに運命の相手を見つけられるだろうしね」
「マジかよ」
虎太郎は顔を歪ませながら言う。
事実、狐人は虎太郎の運命の相手の正体をわかっていた。欠けたハートのネックレスなんて世の中にはありふれている。しかし、虎太郎の運命の相手が竜美だと確信していた。
実は昔、虎太郎と竜美がネックレスを交換していたのを狐人は見ていた。
虎太郎と狐人の家族でバーベキューに行ったときだ。そのとき、竜美は川で溺れかけていた。
それを虎太郎が救ったのだ。
そしてふたりは仲良くなり、ネックレスを交換したのだ。
虎太郎も竜美も再会しても互いが運命の相手だと気がついていなかった。それも仕方がないことだろう。
前に会ったときは10年以上も前だ。
お互いの見た目も、雰囲気も変わっている。
だが、狐人は竜美を一目見たときにすぐに竜美が虎太郎の運命の相手だと見破った。確信はなかった。
しかし、欠けたハートのネックレスを付けていることや、今、好きな人がいないとためらいがちに竜美が言ったことから確信した。
虎太郎は鈍感だから気が付かないと思っていた。しかし、竜美が気付くかと思った。
しかし、気が付かなった。そして今、虎太郎にはネックレスがない。竜美が気付くのはほぼ不可能だろう。
そしてそれは、色んな人のためになるだろうと狐人は思っている。
狐人と竜美が結ばれたら、色んな人が傷つく。虎太郎に想いを寄せる人たちが絶望する。
その絶望から逃れるために、虎太郎の想い人が虎太郎のネックレスを奪った。狐人はそう確信していた。
ネックレスは失くしたわけじゃない。盗られたのだ。
だがきっと、ネックレスを奪ったところで運命は変わらない。虎太郎はそれぐらいじゃ諦めない。
必ず、運命の相手を見つけ出し、手を伸ばす。狐人はそう思っていた。だから無駄だと思っている。
虎太郎の力はその程度の絶望をいともたやすく乗り越える。なぜならそれが『運命』だからだ。それほど『運命』とは力強いもので、残酷なものだから。
「僕は応援してるよ。虎太郎が運命の相手と再会することも、そして――」
狐人は呟く。
「そして、なんだ?」
虎太郎は狐人の言葉の最後を聞き取れなかった。とにかく、狐人が応援してくれることだけはわかった。
「なんでもないよ。ああもうそれにしてもずっと腹が痛い。誰とは言わないけど僕をこんな目に遭わせたやつ、地獄に落ちればいいのに」
「同感だ。オレも誰とは言わないけど、オレをこんなにしたやつはくたばればいいのにと思ってる。ああもうすでにくたばってんなあ」
「喧嘩両成敗だね。本当に僕と桜さんの恋路応援してるの? めちゃくちゃかっこ悪いところ見せたんだけど」
「ありのままのお前を好きになってもらわねえと意味がねえだろ?」
「下剤を盛られるのがありのままの自分が恐ろしいよ」
「日頃の行いだな」
「くたばれ。一生、運命の相手探してろ」
「今度は下剤じゃ済まさねえぞ」
そうしてふたりは顔を歪ませながらトイレでしばらく踏ん張っていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?