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第19話 隣に 「小説:オタク病」

「おはよう、環」
「……お、おはよう。あなた、どうして」

 環はヘッドフォンを外し、俺を一瞬見て、目を逸らす。

 なんで私と関わるんだってか。もう関係は終わったのに、か?
 終わってなんかいない。俺たちの先にはたしかに理想がある。

「前に進むぞ」

 俺はそう言って一枚の紙を机に置いた。

「これは?」
「生徒会長選挙立候補用紙だ」
「え」
「お前が生徒会長になって、この学校というリアルを理想に変えるんだ」
「……理想に」

 環はやっと俺に目を向ける。

「お前ならできる。俺がいるからな」
「でも、私たちはもう……」
「ずっと思ってた。お前が勇気を持てるようになるまで俺はお前の邪魔にならないようにしようって」
「…………」
「でもそれはもうやめた。俺が、お前に勇気を与える。一緒に理想を追い求める」
「それが、これ?」

 環は視線を落とし、用紙を見る。

「ああ、そうだ。応援演説は俺がやってもしょうもないから一ノ瀬に任せてある」
「はーい、登場です。よろしくね、環ちゃん」

 そう言って元気に登場したのは我がクラスの学級委員長、一ノ瀬凛子だ。
 いつものように髪を後ろにまとめ、子犬のようにぴょんと跳ねる姿は可愛らしい。

 いつも通りだ。

「……一ノ瀬さん、でも、私……」
「自分を誤魔化さず、ちゃんと現実を見て、世界を変えたい。それが環ちゃんのやりたいことでしょ」
「でも、私にはそれができないって」
「一昨日はごめんね。言い過ぎた。でも、わたしは自分の言っていることが間違っていたとは思ってない」

 一ノ瀬は環を見てはっきりと言う。そして、続ける。

「でも、環ちゃんには猪尾くんがいる。だからきっと、できるよ」
「……宅也が、いる?」
「うん。たとえ偽物の関係でも、猪尾くんが環ちゃんを思う気持ちは本物だから」

 環は俺を見る。

「……私に、できるの?」
「できる。お前にしかできない。いや、違うな。俺たちにしかできない。俺たちは何も間違っていない。だから、堂々と胸を張ってやってみようぜ」
「あなたは壇上に上がらないの?」
「俺が上がって何になる。何も変わんねえよ」
「……堂々と言わないで。でも、そうね。これは、私がやるべきこと。私がしたいこと」
「できなそうなら代わりに俺がやってやろうか?」

 俺は不遜な笑みを浮かべて環に言う。

「あなたがやっても変わらないと今言っていたでしょう。それは事実だわ。あなたじゃできない」
「はっきり言ってくれんな……」

 しかし環は微笑んだ。

「わかった。やってみるわ。一ノ瀬さん、お願いしてもいいかしら?」
「もっちのろんだよ! じゃあ早速打ち合わせしようか。あ、猪尾くん、もういらないからどっか行っていいよ」
「えぇ……俺の扱い酷くない? いやまあ、俺にできることないけどさ」

 そう言って、俺はとぼとぼと自分の席に戻った。

「オレのいないところで色々あったみてえじゃねえか」

 隣の席、空馬から声を掛けられる。

「まあな。お前のいない間に成長しちゃったぜ。悪いな。俺たちの成長にまったく関わらせてやれなくて」
「嫌味かよ。まあいいよ。面白そうなもん見れそうだし」

 空馬はそう言って、腕を頭の後ろで組む。

「頼んだぞ、空馬」

 俺は空馬を見つめる。

「お前、何をする気だ」
「べつになんもしねえよ。つーか俺の出番終わったから。環を応援してくれって言ってんだよ」
「……当たり前だ」

 空馬は目を瞑る。


 選挙当日。昼休みが終わった後、全校集会という形で集められ、夏の暑さにうだりながら全校生徒が体育館に集まった。

 選挙に出る生徒、環と一ノ瀬はすでに壇上のパイプ椅子に座っていた。クラス全員が集まっているか担任が確認した後、着席する。座ると余計に暑さを感じる。

 全校集会が始まった。教頭が前置きをして、生徒会長選挙が始まった。選挙には環以外に3人の生徒が出馬していた。パイプ椅子の並びからして環の演説が最後のようだ。


 選挙演説が始まる。


 4人の生徒会長立候補者の前にそれぞれ応援演説という形で名前通り、出馬する生徒を応援する旨の演説を行い、その後、応援された出馬生徒が演説するという流れで行われている。

 3人の出馬生徒は真面目に、準備した用紙を見ながら生徒会長になったらこうしたいという旨の公約、方針、抱負を語ってゆく。どれもしっかりとした動機で、誰が生徒会長になっても誰も文句を言わない内容だった。

 まさか、こん中でオタク病のやつが生徒会長に立候補しているなんて、全校生徒も思わないだろう。

 一ノ瀬の応援演説が始まった。

「久遠環さんの応援演説をやらせていただきます、2年A組の一ノ瀬凛子と申します――」

 その後、一ノ瀬は核心・・を言わず、環の真面目な生活態度、そして他の立候補者にはない魅力を伝えた。そして――

 環の演説が始まる。

 環はパイプ椅子からゆっくり立ち上がり、ちらと一ノ瀬を見る。一ノ瀬は笑みを返した。

 その笑みを見て環は頷く。
 こと、こと、と上履きを鳴らしマイクの前に立つ。

 環は全校生徒を見やる。全校生徒を前にして恐れをなしたのか、マイクから一歩引いてしまう。

 しかし、ブレザーの右ポケットを強く握り、目を瞑る。

 そして開き、一歩進む。
 マイクの前で礼をする。

「ふぅ」

 マイクを通して緊張の息が聞こえる。
 一度俯き、再び目を瞑る。そして顔を上げ、全校生徒を真っ直ぐ見る。

 ゆっくりと口を開く。

「……さきほど紹介に預かりました2年A組の久遠環です」

 他の出馬生徒よりも少し小さな声で始まる。

「わ、私は……」

 環のもとに選挙演説用の紙はない。すべて、自分の気持ちだけで演説するためだ。

 俺もどんな内容の演説をするか知らない。だが、無難に終えることはないはずだ。

 必ず、あいつなら核心・・を言うはずだ。言えるはずだ。

 だが、どのタイミングで言う。どのタイミングでも難しいだろう。
 緊張が伝わってくる。俺は固唾を呑んで環を見守る。
 
そして、少しして環は告げる。


「わ、わ、私は、――――社会性欠乏障碍者です」


 さきほどよりもはっきりとした声で環は言う。俺は目を見開く。

 まじかよ……。いきなり言うのかよ。
 環はそれ以上何も言わない。

 そんな環の様子を見てか、環の言葉を聞いたからか、全校生徒はざわめく。
 それでも、環は口をつぐんでしまう。続きの言葉は出ない。

 驚かされた。まさかいきなり言うなんてな。
 俺は笑みがこぼれる。
 でも、言えたな。
 よく、やったな。

 後は、任せろ。

「よいしょ」

 俺は立ち上がる。

 そして、称賛の拍手――
 なんてする訳がない。


「おいおいおい! 社会性欠病障碍者だってよ!」


「えっ」

 俺は壇上の近くまで歩みを進める。環が口を開け、驚いている。
 全校生徒が俺に注目する。俺は構わず笑みを浮かべ、大きく息を吸う。

「社会性欠乏障害! 要はまともな人間じゃねえってことだろ? そんなやつが何堂々と出しゃばってんだよ。なんつーの、オタク? っつーんだっけ? まともに社会性がないやつのことを言うんだろ? そんなやつが生徒の代表の生徒会長に何立候補してんだよ。ここにいるやつはほとんどお前と違ってまともなんだよ。そんな俺らがお前なんかを支持するわけねえだろ。お前に何ができんだよ? 社会不適合者さんよぉ!」

 俺は全校生徒に聞こえるほど声を張る。普段こんなに声を張らないかところどころで声が裏返ってしまう。

「……どうして」

 環はマイクに乗らないほどの声を出す。

「なあ、言ってみろよ? お前に何ができんだよ」
「…………」
「何も言えねえのか? 何しにお前そこにいんだよ? やっぱ社会不適合者はなーんにもできねえんだな。なあ、お前ら!」

 俺は振り返り、全校生徒に声を掛ける。生徒はざわめくものの、俺や環に声を掛けるものはいない。

 いいねえ。これだから社会性のあるやつらはよ。みんなこぞって何もしないでいやがる。見えないルールに従って、よくわからん空気に逆らわずみんながいるところへとふわふわと浮かぶだけ。

 でも、お前は違うだろ。

 俺は環に向き合う。未だに環は戸惑っている。

「……言え。言えねえなら下がれ!」
「わ、私は……」


 言え。お前が望む未来へ進め! 理想を追い求めろ! 世界を、変えろ!

 お前は、主人公だろ!

 環は言い淀む。しかし、歯を食いしばり口を開く。

「私は、今のオタク差別をなくしたいと思っています」

 環は堂々と全校生徒に向かって言い放つ。俺はそれを鼻で笑う。

「はあ、差別ねえ。社会はお前らを社会不適合者として認識し、障碍者として区別してんだよ。差別じゃねえ、区別だ」
「オタクは障碍者じゃありません。社会不適合者でもありません」
「ど~う考えたって社会不適合者だろ。まともに社会性がないから今こうやって社会に区別されてんだろ。現にお前、社会性ないだろ? オタクは全員そうだよなあ!」

 不遜な態度で言う俺を環は睨み、そして全校生徒に向き合う。

 そうだ。それでいいんだ。

「オタクにだって社会性はあります! たしかに現実の人への関心が少ない人が多くいるのも事実です。でも! 同じような趣味を持つ人に関心を抱き、その人と寄り添いたいと思うのもオタクです。私がそうでした。最初は二次元という世界だけに、ひとりでその限定された世界にいるだけで満足していました。でも本当は自分を理解してほしい存在がいてほしいと思っていたことを知りました。

 そして実際に私を理解してくれた人がいました。その人のおかげで少しは、コミュニケーションを、社会性を持てたと、私はそう思っています。そうやってコミュニケーションを取るオタクの人たちは果たして本当に社会性がないと言えますか。私は、私たちに社会性がないなんてことはないと思っています! 私を、理解し、寄り添ってくれた人がいたから! 私はその人と寄り添いたいと思ったから!」

 環は必死に心の底にある気持ちを叫ぶ。

 よし。まだ、いけるだろ。

「結局、オタクん中で集まって、そん中でしかコミュニケーションを取れねえなら、他のまともなやつとコミュニケーションを取れねえなら結局、社会性がないのとおんなじだろ」
「その通りです」

 きっぱりと言い切る環にみんなは戸惑いのざわめきをたてる。

 しかし、環は堂々と前を向いて続ける。

「だから、私は社会を変えるのです。みんながオタクになる社会に変えます。そうすれば、みんなでコミュニケーションを取れます」
「俺らがお前らみたいな異端に合わせるわけねえだろ」
「だから、私たちがみなさんに合わせるのです」
「どういう意味だ」


「全人類オタク化計画です!」


 環は大声で言い放つ。全校生徒のざわめきは一瞬消える。

「『神滅の刃』、『私の名は』。これらの作品はオタクじゃない大衆に認められた作品です。これからもっと大衆に認められる二次元コンテンツを世界に届け、みんなをオタクにする。そして、オタクという存在の普遍を行ってゆきたいと思います。そうすれば二次元コンテンツに対する差別はなくなっていくと思います。それを! 私がやっていきます!」
「……そんなの、できるわけねえだろ。なあ、みんな! そうだよな!」

 俺はみんなに向けて叫ぶ。
 
 ざわめくだけで誰も環や俺に声を掛けない。

 環の言うことが荒唐無稽だと馬鹿にしているのだろうか。
 それとも急に出てきた俺に不信感を抱いているのだろうか。
 まあ、色々だろ。

 空気の中で、誰も自分の気持ちを主張しない。

 ただ主張するのは――


「できっかもしんねえよ?」


 ひとりの男子生徒が立ちあがる。
 織田空馬。

 ふんっ、やっぱお前は最高のダチだぜ。

 空馬は一瞬、下唇を噛み苦々しそうな表情をしていた。

「勇気振り絞ってやっていくっつってんだぜ。ちょっとは見守ってやってもいいんじゃねえか!」

 空馬は大声で言い、拍手をする。
 次第に拍手は生徒たちに伝染してゆく。
 みんなが、拍手をする。

「ありがとう、ございます」

 環は戸惑いながらみんなに礼を言う。

「なあ、みんな! 応援してやろうぜ!」

 空馬は全校生徒に向けて呼びかける。
 生徒たちは次第に立ち上がり、大きな拍手に比例するように歓声が上がる。

「絶対に! 絶対に! やり遂げてみせます! みなさん、私に力を貸してください!」

 さらに歓声が上がる。

 さてと、そろそろかな。

 教頭が俺に近づいてくる。
 環が俺を見やる。環は悲しそうな表情を俺に向ける。だが、それを笑顔で返してやった。

 やったじゃねえか。
 少なくとも、この学校はお前の力で変えられたぜ。

 環への拍手と歓声の中、俺は教頭に手を引かれる。

 環が壇上から動き、俺に手を伸ばす。
 しかし、それを一ノ瀬が抑える。

 一ノ瀬も、サンキュな。

 俺は体育館の出口まで連れられる。

 俺は見たかった理想の世界を眺め、そしてそれを記憶に収めるようにして目を瞑る。

 中には俺を避難する声も聞こえた。
 ふんっ、まあ慣れてっからいいよ。むしろ、今は最高に心地が良いわ。

 俺は歓声と罵倒を聞き、出番を終え――――


「っ! 宅也を馬鹿にするなあああああああああああああ!」


 体育館中に響き渡る。スピーカーからはハウリングが鳴る。
 何事かと俺を含め、体育館にいる人すべてが壇上を見やる。

 壇上にはマイクを持った環が立ち、全校生徒を睨むようにして見据える。

「なに、してんだよ……」

 つい声が漏れる。
 俺の手を引いていた教頭も何事かと歩みを止める。

 環は俺に指さす。

「はぁ、はぁ、はぁ……宅也は、あの人は、ここにいる誰よりも私を理解してくれた人です! あの馬鹿は! 私を救ってくれて、私に寄り添って、私を受け入れてくれた人です! あの馬鹿に勇気をもらって、私は今ここに立っているんです! 勇気のない私をいつも支えてくれた唯一の人なんです! 今も、宅也は私のために動いたんです! 宅也は、いつも私を支えてくれているんです! あの人は、あの馬鹿は、私の踏み台なんかじゃない! 私のパートナーなんです! 一緒に社会を変えてゆくバートナーなんです! だから! 誰も私の宅也を馬鹿にするんじゃない!」

 これでもかというほど大きい声で叫ぶ。

 環はマイクを強く握る。

「宅也! あなたもあなたよ! 何を恰好つけてるの! 毎回そう! どうしてそういうやり方で私を救おうとするの! あなたは私のパートナーなのよ! あなたにこんなやり方されなくても自分で言えた! あなたは十分私に勇気をくれた! それなのにどうして自分を犠牲にするの! あなたは私の犠牲じゃない! 隣に立つ存在よ! 勝手にいなくなるんじゃない! こっちに来なさい! 私と一緒にいなさい!」

 環は泣いているようだった。
 なんで泣くんだよ。
 なんで流れ止めちまうんだよ。

 はあ、まったく。
 馬鹿馬鹿言いやがって。

 お前が一番馬鹿だっつの!

「教頭先生、外に連れていってください」

 教頭は俺から手を離す。

「え」
「行ってやりなさい」

 俺は教頭に背中を押される。

 全校生徒が俺を見ている気がする。
 気まずすぎる。環のやつ、名指しで叫んでくれんなよ。

 俺は歩みを進める。

 そして壇上の前に立つ。
 環が壇上から降り、俺の手を引いて壇上に上がらせる。

 環がマイクを持つ。

「私、久遠環と! この馬鹿、猪尾宅也が! 社会を変えてゆきます! みなさん! よろしくお願いします!」

 環は堂々と言い放つ。
 全校生徒は何事か理解できていないのか、ざわめく。

「やってやれ! 久遠! 宅也!」

 空馬が大声で叫び、拍手する。
 全校生徒にも拍手が伝染する。
 
 そんな中、環は笑みを浮かべて深く礼をする。

「ありがとうございます! ……あなたもしなさい」
「えぇ……」

 もうこれ以上目立ちたく――――いやもうこれ以上目立つもくそもねえな。

 俺は環の隣で深く礼をする。

 教頭の制止があるまで、しばらく拍手は体育館中を響き渡った。


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