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「赤い糸を盗る」 第22話:無音

  放課後。

「ふぅ」

 狐人は校舎裏にやってきた。少し右の脇腹が痛む。

 芽衣はすでに校舎裏にいた。どこか寂し気に俯いていた。

「やあ、お待たせ」

 狐人は笑って言う。

「ううん、待ってないよ。というかごめんね。急に呼び出しちゃって。具合はもう大丈夫なの?」
「ああ、うん。大丈夫だよ。それで、ラブレターはいつ渡せばいい?」

「何を言ってるの?」

「え、違うの?」
「ふふっ、それに今どきラブレターは古くない?」

 中学の頃、散々渡されたことのある狐人としては苦笑しかできなかった。

「じゃあ、どうして僕を呼び出したの? 今どきの告白の仕方を教えてくれるの?」
「そうだね。今どき、というか、これはいつの時代でも変わらないと思うよ」
「?」
「ふぅー」

 芽衣は深く息をはき、胸に手をやる。


「黒崎狐人くん、私は、あなたのことが好きです」


 風が吹いた。校舎裏にある紅葉が揺れ、オレンジ、茶、黄、それぞれの葉が空に舞う。

「え」

 狐人は目を見開く。


「だから、黒崎くんのことが好き、なの」


 芽衣は頬を染め、真っ直ぐ狐人を見据える。

「…………僕?」
「うん」
「虎太郎じゃなくて?」
「どんだけ虎太郎くんに劣等感を抱いてるの」

 くすっと芽衣は笑う。

「私は、黒崎くんのことが好きだよ」

 花が咲くような笑みを狐人に見せる。

「本当に?」
「本当だよ。ずっとアプローチしてきたのに気が付かなかったの? 黒崎くんも魚金くんのこと馬鹿扱いできないね」

 たしかに芽衣は自分に対してある程度好意を持ってくれていると狐人は思っていた。

 だけど、本当に想ってくれているとは思わなかった。

「僕が……」
「うん、そうだよ。言ったでしょ? 素敵だって」

 たしか9月1日。始業式が始まる前に虎太郎と一緒に会話をしていたときの台詞だ。

 でもそれは冗談だと思っていた。いや、それだけじゃない。本当はわかっていた、と思っていた。

 どうせ芽衣も狐人に近づいて虎太郎に想いを寄せている。自分はまた架け橋にしかならないと、そうわかっていた、つもりだった。

「どうして、僕のことを?」
「うん? なんか改まって言うのは恥ずかしいなあ」
「あ、ご、ごめん」
「でもいいよ。鈍感黒崎くん」
「……何も言い返せない」
「黒崎くんは、いっつも可愛らしくて、でも、かっこいいところがあって。それで、たぶんだけど、わたしのことを見てくれてた」
「……ばれてたんだ」

「うん、それで、なんとなくわたしも黒崎くんを目で追うようになっちゃって。それで、いつの間にか好きになっちゃってた」

「そっか。改めて言われると恥ずかしいね」

 狐人も頬を染める。

「聞いてきたのは黒崎くんじゃん」
「そ、そうだね」
「それでね、聞きたいんだ。黒崎くんの気持ち」
「え」
「……わたしは頑張って伝えたんだよ? 黒崎くんの気持ちも知りたいな」

 芽衣は俯きがちに呟く。

 狐人は一歩前に進む。


「ぼ、僕も! 桜さんのことが好きだ!」


 狐人は大声で気持ちを伝える。
 芽衣は嬉しそうに微笑む。

「それは、嘘じゃない?」
「嘘じゃない。ずっと前から、好きでした!」
「嬉しいな。両想いなんだ」
「う、うん」

 狐人は思った。こんなことがあっていいのだろうか。こんなに幸せなことがあっていいのか。

 自分の想いが届くことがあるなんてこと、人生であるのだろうか。とてもじゃないけど実感が湧かなった。

「じゃあ、もうひとつ聞いていい?」

 芽衣が薄く微笑み言う。

「う、うん」


「どうして色んな人と関係を持ってるの?」


「え」

 風は吹かなかった。無音。

「だから、どうして色んな人と特別な関係でいるのかって聞いてるんだよ」

 芽衣の目は真剣、というより憎悪が混ざった瞳だった。

「ご、誤解だよ」

 芽衣は何を言っているんだ。何を、知っているんだ。狐人は冷や汗をかく。

「言ったでしょ? わたしは黒崎くんのことを見てるって。黒崎くんが魚金くんの妹、魚金子猫さん、生徒会長の萌黄リサさん、サッカー部のマネージャー灰音凪砂さん、そして――

 銀杏竜美さん」

「…………ど、どうして」

「わたし、好きな人のことは何でも知りたいって思っちゃうんだ。だから、黒崎くんの色んなものを見てきた。そうしたら、この真実にたどり着いた」
「ち、違うんだ! 全部、全部! みんなのことを思ってやったことなんだ!」
「へえ」

 芽衣はスマホを取り出す。

 そして画面を押す。

「9月1日」

 芽衣は言う。

『でも僕はキミのことが好きだ。できる限り、キミの願いを叶えてあげたい』
『先輩』

 狐人の家での狐人と子猫の会話。

「9月2日」

『僕にとっては、リサが何よりも大切な存在だよ』
『……うん、ありがとう』

 生徒会室での狐とリサの会話。

「9月3日」

『本当は、ずっと凪砂とこうして一緒にいたいよ。ずっと、キミの笑っている姿を見ていたい』
『…………』

 狐人の家での狐人と凪砂の会話。

「9月6日」

『好きだよ、竜美』

『私も、好き。狐人くん』

「…………」

 狐人は絶句した。

「黒崎くんはいーっぱい好きな人がいるんだね」

 芽衣は笑って言う。目は、笑っていない。

「だ、だからそれは――」
「まだ言い逃れしようとしてるの? 夏休みもいーっぱい楽しそうにしてたよね。全部聞かせてあげようか?」
「ど、どうして」


「何度も言わせないでよ恥ずかしいなぁ。言ってるでしょ? わたしは黒崎くんのことを見てるって。好きな人のことは何でも知りたいって」


「それで、こんなことしたの?」
「うん、だって、黒崎くんが他の人と関係を持ってるの嫌だもん。だからね」

 芽衣は目を見開き、笑う。


「わたしが全部消してあげる」


「け、す?」
「だってみんな黒崎くんに依存してる。いや、黒崎くんが依存させた。深い依存を今さら全部なくすことができるの? わたしは嫌だよ? 

 その中のひとりになるのは。ナンバー1じゃなくてオンリー1じゃないとダメ。だからその依存関係を全部消してあげるって言ってるの。良い提案でしょ? ……だって、わたしたち本物の両想いだもんね」

 芽衣は照れ臭そうに言う。

「ま、待ってって」
「待たない。だって全部、黒崎くんが招いたことでしょ? 彼女のわたしが、全部なんとかしてあげる」

「ぼ、僕が全部なんとかする! 何もなかったことにするよ!」

「庇ってる」
「え」
「そうやってみんなを庇ってる。やっぱりふか~く依存しちゃってるんだね。みんなのこと、黒崎くんは好きだもんね」

「そ、それは――」

「否定できないよね。今まで自信のない人生を送ってきた黒崎くんは自分を分け隔てなく接してくれる人を好きになっちゃった。みんなのことが好きになっちゃった。

 でも、ダメだよ? 本当に好きな人がいるなら他の人に手を出しちゃ。それじゃあ中学生の頃の二の舞になっちゃうよ?」

「……二の舞」
「黒崎くんは中学生の頃もそうやって魚金くんに群がる女の子をターゲットにして自分のモノにしてた。それで、人間関係がこじれてしまい、黒崎くんに依存している女の子のひとりが黒崎くんを殺そうと刺した」

「……なんで、そこまで知ってるの」

「同じ過ちは繰り返したくないよね? わたし嫌だよ? 本当に今度こそは殺されちゃうかもしれないんだよ? そんなの、放っておけないよ」

「…………ぼ、僕は――」

 狐人は俯き、言葉が続かない。

「僕は、なに?」


「……ふふっ」


 狐人は顔を上げる。

「何を笑ってるの」

「僕は清算できる」

 狐人は目を見開き、芽衣を見据える。

「え」
「中学までの子は今、みんなもう僕に依存していない。僕も、みんなに依存していない」
「……そう、みたいだね。でも、どうして」
「言ったでしょ? 僕は清算できるって。ちょっと待ってね」

 狐人はスマホを取り出し、メッセージアプリを開く。そして少しして閉じる。

「何をしたの」

 芽衣が怪訝の目を向ける。

「簡単なことだよ。中学の頃と同じことをしただけ」

 狐人は笑って言った。

 狐人が中学の頃。卒業を間近に控えたときにはすでに関係を持つ人間は10人ほどになっていた。
 こんなに多いとさすがにコントロールができなくなってきた。どう考えても、どうやってもボロが出る。

 だから狐人は手を打った。
 すべてを清算するために策を講じた。

――また一からやり直そう。

 そう狐人は笑顔で考え、10人にあるメッセージを送った。

『警告です。これ以上、黒崎狐人に近づく者は殺します』

 そうメッセージを送った。

 狐人が実際に刺されたことからその警告の信憑性を増した。

 たかが共依存だ。本気で狐人を愛している者はいなかった。だから、その警告で全員が狐人の前から消えた。

 そうして黒崎狐人は中学を卒業し、ここ、金曜高校に晴れて入学した。

 狐人は芽衣に中学で行った清算方法を話す。

「依存関係にある人全員に清算する旨のメッセージを送ったんだよ。所詮、依存関係。ほとんどの人は消えていったよ。でも、ひとり僕を本気で想ってくれる人がいてね。その人に刺されちゃった」

 狐人は笑って言う。

「……その人、許さない」
「天罰が下ったんだろうね」
「そんなの、認めない!」


「ふたりで一緒になろう」


「え」
「全員と関係をなくす。それで、ふたりで一生、一緒にいよう」
「……一生?」
「うん、一生。僕はキミだけが本当に好きだから」
「…………みんなを庇ってるわけじゃないの?」
「むしろ僕は桜さんを庇いたい」
「わたしを?」

「うん。だって、桜さんが手を出したりなんかしたら一緒にいられないでしょ?」

「……そう、だけど。でも、銀杏さんはどうするの? ただの依存関係じゃないよね?」

「簡単だよ。実は運命の相手は虎太郎でした。ちゃんちゃん」

 狐人は2回拍手をする。

「そんなに上手くいくの? 中学生のときみたいに刺されたり――」
「僕がふたりのネックレスを持っているんだ。たぶんだけど、それも知ってるんでしょ?」

 狐人は芽衣の言葉を遮る。

「……そうだよ」
「そのネックレスをふたりに返す。それでチャラ。まあ桜さんの言う通り、銀杏さんには恨まれて、もしかしたら中学のときみたいにまた刺されるかもしれないけど。

 ま、僕に何かあっても手を出しちゃダメだよ。それじゃあキミを庇った意味がなくなっちゃうからね」

 狐人は笑って言う。

「……笑いごとじゃ、ないよ」

 芽衣の心配を余所に狐人は言葉を放つ。

「そういう訳だから。僕は全員との関係を断ち切る。ごめんね、こんなクズな人間で。こんな僕でも……いい、のかな」
「わたしはずっと黒崎くんを見てきた。それで黒崎くんの想いが消えることはなかったよ。まあ、他の人と関係を持ってたのは反省してもらわないと許さないけどね」

「反省する。こんな僕を許さなくてもいい。一生かけて反省する。キミのもとで」

「わたしの、もとで?」

「うん。だから許さなくてもいいから、お願いします。

僕と一生、ずっと一緒にいてください」

 狐人は頭を下げ、手を差し伸べる。

 芽衣は狐人に近づき、狐人の手を取る。


「うん。私と一生、一緒にいてください」


 芽衣は言う。

「ありがとう」

 狐人は芽衣を抱きしめる。

「絶対、無事で帰ってきてね」

 芽衣も強く抱きしめる。

「うん。絶対、戻ってくるよ」

 狐人は芽衣から離れる。

「それじゃあ、バイバイ」
「うん、またね。待ってるからね」

 ふたりは手を振り合い、別れる。

「さて、と」


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