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第16話 好きだから 「小説:オタク病」
俺たちは大きな観覧車のもとまでゆき、チケットを買い、観覧車に乗った。
俺と環が隣に座り、俺の対面に一ノ瀬が座っている。
「ふぅ、やっと3人になった」
一ノ瀬は息をつく。
「なんだよその言い方。まるで空馬が邪魔だったみたいじゃねえか」
俺は一ノ瀬の物言いについ苦笑がこぼれれる。
「邪魔だったよ」
「え」
一ノ瀬は真っ直ぐ俺を見つめる。大きな瞳に吸い込まれそうだ。
「……ど、どうしたの?」
環も不安そうに一ノ瀬に問う。
「はっきりさせようか」
そう一ノ瀬は言って一瞬目を瞑り、目を開く。
「な、なにをだよ」
「ふたりの関係についてだよ」
「ふたりって」
「猪尾くんと環ちゃんの関係」
「お、俺たちの関係? それがどうしたんだよ」
一ノ瀬は大きな瞳を俺に向ける。
「どうしてわたしにだけ嘘を付くの?」
茶色の瞳は俺たちを焦がしそうなほど真っ直ぐ強く向けられる。
「う、嘘って、なんのことだよ。いやーつか、ここでもうけっこう高いな。ぶっちゃけ怖い」
俺は一ノ瀬から目を逸らし、観覧車の外を見やる。
「環ちゃんは優しいね」
「……え」
「彼氏でもないただのクラスメイトにずっと勉強付き合ってあげて」
「っ」
環は怯んでしまう。
「一ノ瀬」
目を逸らさずにはいられなかった。
「猪尾くん。ふたりが嘘を付いてたのが悪いんだよ。しかも、わたしだけにね。織田くんはなんとなく気づいてるみたいだったけど……。もう1回聞くよ。
――どうしてわたしにだけ嘘を付いたの?」
再び大きな瞳を向けられる。真っ直ぐ受け止めることが怖かったが、逃げるわけにはいかなかった。もうこれ以上、嘘を貫き通すことはできないと思った。
「訳があるんだよ」
「わかってる。環ちゃんに社会性を持ってもらうためだよね」
「…………」
どうしてそれを知っている。
「そのために付き合っていることにして社会性を持っているように見せたんだよね」
「空馬から聞いたのか」
「ううん、見てればわかるよ。わたしがどれだけ猪尾くんを見てきて、今も見ていると思っているの?」
「見て……る?」
「そう、ずっと見てきた。猪尾くんは1年生の頃から変わらない。周りの目なんて気にせず常に自分の世界に入ってた。すごいって思った。だって普通、周りの目を気にするでしょ。しかもこのご時世にだよ。自分が社会性欠乏障害だっていうことに何の劣等感も抱いていない。むしろ見せびらかすように、ね」
「べつに、見せびらかせてたわけじゃねえよ」
「自分の好きなもののために真っ直ぐ進む。しかも、周りから疎まれて厄介ごととか押し付けられても黙って、何も文句を言わずにやってた。そんな真面目で強い猪尾くんのことも知ってる。環ちゃんはそんな猪尾くんを知ってた?」
「……それは」
知らなくて当然だ。俺と環はつい最近知り合ったんだ。前の俺のことなんて知らない。
でも、一ノ瀬も1年のときは違うクラスだった気がする。一ノ瀬は俺のことを1年の頃から知っていたのだ。
まあ、たしかに学年でも悪目立ちしていたかもしれない。だが、それでも一ノ瀬が俺のことを知っていたことに驚いた。どうして、俺を見ていたのだろう。
「猪尾くんは強くて、かっこよくて純粋な人。病気なんて関係ない。猪尾くんそのものが素敵なの。それで、わたしはもっと猪尾くんを知りたくなった。それで、同じクラスになって学級委員長なんてやったんだ。それなら猪尾くんと話していても違和感ないでしょ?」
「そんな理由で委員長なんてやってたのか」
カウンセリング。そう銘打って俺に近づいてきたのは、俺がオタク病だから、じゃなかったのか。障碍者手帳を拾われ、それで知られ、同情され、近づいてきたからじゃなかったのか。
かっこよくて純粋、素敵。俺とは正反対のものだ。一ノ瀬は俺に対しどんな感情を抱いているんだ。
『あるよ。だから俺だけじゃない。一ノ瀬もきっとお前のことを羨ましく思ってる』
以前、空馬と話したときに空馬が俺に言った言葉だ。
一ノ瀬が俺を羨んでいる? 俺みたいなしょうもない人間を?
「わたしにとっては、『そんな』なんてものじゃないんだよ。それで実際に猪尾くんと話してみてわかった。やっぱり自分の好きなものを貫き通しているかっこいい人なんだって」
一ノ瀬は楽しそうに微笑む。
自分の好きなものを貫き通す。『リアルには何も求めない』俺からしたらそれは当たり前なことだ。でも、一ノ瀬はそれを良しとしている。
以前、スクールカーストの話をしたときに一ノ瀬は意外にもスクールカーストの存在を把握していた。
だから、一ノ瀬は周りの目を気にしている人間なんだ。それにも関わらず、一ノ瀬はわざわざ委員長になってまで俺に近づいてきた。
それは、周りの目を気にする自分と正反対の俺に、興味を持っていた、からなのだろうか。
「……一ノ瀬さんは、宅也のことが好き、なの?」
環は恐る恐る一ノ瀬に尋ねる。
「かっこよくて素敵だなと思う。もっと話していたいと思う。その感情が好きだってことなら、わたしは猪尾くんのことが、好き」
「…………好き?」
あり得ない。納得できない。たしかに一ノ瀬は正反対の俺に対して興味を持ったのだろう。でも、それで、俺を好きになる原理がわからない。
俺は鈍感系主人公じゃない。相手の好意に気づかないほど馬鹿じゃないと思っている。でも――
俺はまともにリアルと向き合っていない。誰かの気持ちを考えていない。
俺は、一ノ瀬の気持ちを理解しようともしていなかった。
俺は……人の気持ちを知ろうともしない、最低なクズ野郎だった、のか。
何が鈍感系主人公じゃない、だ。鈍感で許されるものじゃない。
心の奥底で俺は、誰かに自分を受け入れてほしいと思っていた。一ノ瀬は俺を受け入れてくれていたんだ。でも、俺は一ノ瀬の好意も知らず、疑ってばかりだった。
それはつまり、今の環との偽物関係は、一ノ瀬のことをまったく考えていない最低な行動だったんだ。俺は、自分のことしか考えていない、俺を見下し、執拗な弄りをして俺の気持ちを考えようともしないクズ野郎と……一緒、だったんだ。
一ノ瀬にとってこの偽物恋人関係は、とても残酷なものだったんだ。
「やっぱり、そうだったんだ」
環は目を細める。
「だから、わたしは今の猪尾くんと環ちゃんの関係を肯定できない。だって、本当のカップルには思えない。ふたりとも、お互いが恋愛対象として好きで一緒にいるとはとてもじゃないけど思えないもん」
「…………」
そりゃそうだよな。今まで偽物のカップルとして何もできていない。むしろ俺はカップルとしては矛盾した行動をしてしまった。
たとえ、それが環を思ってやったつもりでも、カップルとして正しい選択じゃなかった。
この偽物恋人関係で俺は、何もできていない。それどころか一ノ瀬と環の負担にしかなっていなかったのだ。
「ふたりは何がしたいの?」
「それは――」
「私と宅也は付き合ってます」
俺の言葉を遮るように環は口を開く。
「でも、それは一ノ瀬さんの言う通り嘘です」
環は俯きながら呟くように言う。
「やっぱりそうなんだね。それで、どうしてそんなことしようと思ったの?」
「私たちは社会性のない人間だと思っています。でもそれを否定するために恋人関係になろうとしたんです」
「知ってる。でも、それはちゃんとできていないよね」
「…………はい」
「じゃあ、やめてよ」
一ノ瀬は普段見せない真剣で、どこか敵意のある目を一ノ瀬に向ける。
「っ、なんで一ノ瀬にそんなこと言われなきゃなんないんだよ」
問うても、わかっていた。そう言われるのが自然だ。
「わたしが、猪尾くんのことが好きだから」
「…………」
「一ノ瀬さんの、言う通りだわ。最初から、間違っていたわ」
「た、環?」
「あなたはもう十分社会性があるじゃない。あなたを、受け入れてくれる人がいるじゃない。…………私と、違って」
「お前だってそうだろ! 俺だけじゃない! 一ノ瀬や空馬がいる。お前を受け入れてくれる人間はいるんだよ」
「それは全部、偽物なのよ」
「に、偽物……? 偽物なんかじゃないだろ。実際今日だって4人で遊んだ。みんなで楽しくいられた。それは、偽物じゃないだろ」
「偽物よ。今私がここにいるのは嘘でできたものだから。私の嘘で、作られたものだから。それで、一ノ瀬さんを傷つけてしまった」
「そ、それは――」
一ノ瀬が俺の言葉を遮る。
「これからわたしは環ちゃんが社会性を取り戻せるよう全力でサポートする。だから、今のやり方は変えてもらうよ。猪尾くんを犠牲にするようなやり方は許せない」
「違うんだよ一ノ瀬! それは俺が勝手にやったことなんだよ!」
俺が間違っていたんだ。間違ったやり方をしたからややこしくなってしまったんだ。
「勝手にやったこと。そうなんだ。猪尾くんの意思でやったことなんだ。ふーん、それじゃあ、尚更ダメだね。このまま中途半端な関係のままでいたらまた、猪尾くんは環ちゃんの犠牲になろうとする。猪尾くんはあまりにも純粋で、優しいから。だから、今までの関係はやめて。環ちゃん、猪尾くんを利用しないで」
「一ノ瀬! そんな言い方ないだろ!」
俺はつい立ち上がり叫ぶ。観覧車が少し揺れる。
「仕方がないわ。事実だもの。私は、あなたを利用しようとして、実際にあなたを利用してしまった。私は、ちゃんと自分の意思を貫けなかった。だから……仕方がないの」
環は声を震わせながらショルダーバックの中の何かを力強く握る。
「はい。じゃあ今日で偽物の恋人関係は終わり。それで、いいよね?」
再び一ノ瀬は目を見開き、有無を言わさぬ迫力で言う。
「……今は難しくても、いつかは環だって自分の意思を貫けるときがくるはずだ」
「そんな日が来るの? いつ? どうやって? 何があって? 無理でしょ? これから先ずっと、付き合っていると周りに言うことも、言わないことも」
「っ!」
顔が引きつってしまう。何も反論できなかった。
否定できなかった。俺が環と付き合っていると周りに知らしめたら環が俺と同類だとばれてしまう。だが、付き合っていないと言うならば、じゃあなんなんだという話になる。
確かに、今の状況は中途半場だ。俺が招いた、最悪な状況だ。
「今日でもう、やめましょう」
環は小さな声だが、ハッキリ言った。
「え」
「もう、偽物の関係は終わり。明日からは普通のクラスメイト」
「な、なんでそうなるんだよ……」
「意味がないからよ。結局、偽物じゃ何もできない」
「わかんないだろ。いつかちゃんと覚悟できるかもしれないだろ」
「そう、かしらね」
環は寂しそうな笑みを浮かべ、俯く。
「そんなっ、どうして……」
俺は体の力が抜け、座ってしまう。
「環ちゃんはこう言ってるけど、それでも猪尾くんは環ちゃんと偽物の関係でい続けたいの?」
一ノ瀬が真っ直ぐ俺を見つめる。
「お、俺は――」
「できないよね。だって、猪尾くんにはもっと大切なものがあるもんね。『リアルには何も求めない』だっけ? 今さら、現実に何かを求めることなんてできないもんね」
……『リアルには何も求めない』。俺の、信条だ。
たしかに、俺には二次元がある。二次元があるからこそ、今の俺がある。現実を否定したさきに今の俺の大切な場所がある。もし俺が現実に理想を求めたら、俺は自分の守ってきた世界を否定することになってしまう。
現実に理想がないからこそ、二次元という理想を作った。それを、今さら急に崩すことなんてできない。
俺は自分の信条に逆らえない。
逆らったら、現実を肯定してしまえば、二次元を否定することになる。
二次元を否定するということは――
俺の世界を否定するのと同時に、環の二次元の世界を否定することにもなってしまうから。
俺は俯くことしかできなかった。しかし、俺の手は前から引かれた。
「えっ」
「ふふっ」
一ノ瀬に手を引かれ、隣に座らされる。そして、腕をからめとられる。
「なっ、なにしてんだよ」
「え、だって猪尾くんは環ちゃんの彼氏じゃないんでしょ? だからべつにこうしていたっていいじゃん。嫌? でも否定できないよね。猪尾くんはとても、優しいもんね」
「っ!」
戸惑うことしかできなかった。何も言えなかった。自分が今何を考えているのか。何を考えるべきかもわからなくなっていた。
これが、リアル?
俺が求めていないリアル?
俺を求めて、受け入れてくれるこの世界がリアル?
リアルってなんだ?
現実ってなんだ?
理想ってなんだ?
訳が分からなくなり、俺はただ床の一点を見つめることしかできなくなってしまった。
ただ視界に入る横には一ノ瀬がいて、観覧車が高く高く、一番高い位置にいるということしかわからなかった。
「これからどうしていこうか、環ちゃん」
「……え」
環は小さな声を上げる。
「社会性を取り戻してゆく方法だよ」
「わ、私は、べつに社会性を取り戻したいわけじゃ――」
「猪尾くんみたいなことを言うんだね。でもね、それは違うよ?」
「ち、違う?」
「猪尾くんはこうして社会性を取り戻した。好きなものを好きでいたまま現実世界を受け入れることができた。わたしの計画通り。だからね、環ちゃん? わたしの計画に従えば環ちゃんもきっと社会性を取り戻せるんだよ? わたしの言うことを聞いていれば、世界は変えられるんだよ」
「世界を、変える……?」
「うん。とても簡単。わたしに任せれば環ちゃんを受け入れる人を見つけることができる。その人と一緒に歩めば、世界は違って見えるんだよ」
「……違って、見える。でもそれは、自分を誤魔化しているだけじゃ――」
「自分の立場わかってる?」
「え」
「自分を誤魔化しているのは、今、自分を誤魔化しているのは環ちゃん自身なんだよ? 創作物の中に浸って、今の自分を見ていないのは誰? ちゃんとした現実を見られていないのは誰? そう。環ちゃんだよね? だからね、一緒に頑張って、現実を見ていこう?」
「わ、私は、ちゃんと、現実を見ようとして――」
「でも、できなかった。猪尾くんに守られたまま、ただ黙って猪尾くんの傍にいることしかできなかった。それはもう仕方がないよ。だから、自分の行いから自分を知って、そこからどうしていくか考えていくことが大切なんだよ。今回の件で環ちゃんは自分のことが知られてよかったじゃん。じゃあ、次だね。どうしていこっか」
「それは……」
一ノ瀬が一方的に環を糾弾している。
俺はそれを止められなかった。そもそも止めるべきなのかもわからなかった。
自分の考えそのものが、正しいのか間違っているかわからなくなってしまった。
だから、そう思う自分の気持ちも、本物かどうかわからなかった。
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