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第5話 ヘッドフォン 「小説:オタク病」

 翌日の朝、俺は環の席の前に立つ。それに反応し、環はヘッドフォンを外す。

「…………お、お、お、おう、おう、」
「あら、人型のオットセイが目の前にいるわね。これは珍しい。写真でも撮っておこうかしら」

 そう言って環は俺の写真を撮る。環は俺に写真を見せてくる。汗ダラダラで気持ち悪いこの男は一体誰だ……?

「……誰がオットセイだ。挨拶しようとしてるだけだ」
「ごめんなさい。オットセイ語はわからないの。日本語かポルトガル語、あ、ごめんなさい。日本語はわからないんだったわね」
「オットセイ語なんてねえし、ポルトガル語なんてわかるか! ふつーに、あれだ。お、おはよう、環」
「おはよう猪尾くん」

 環は俺から視線を外し、本を読む。

「……昨日と話しが違うじゃねえか。名前で呼ぶんだろ」
「そんなこと私、了承したかしら」
「あ~わかった、お前照れてんだろ。なんだどうしたいきなりツンデレアピールか? そんなリアル、俺に通用するわけがねえだろ」
「口が減らないオットセイね」
「だからオットセイじゃねえ! ほら、来いよ! 名前で来いよ!」

 環は本を閉じ、ため息をつく。

「そんな熱血的な受け止められ方嫌なんだけれど、えっと、その……宅也」
「お~よくできました。そこでお前の心の中でこう思うわけだ。えっ、なにこの気持ち。もしかして――」
「いつまでそこにいるの? 早く席に着きなさいよ」
「せめて最後まで聞いて? おい、このやり取りで付き合ってる感全然出ねえだろ。どうすんだよこれ。もっとドキッとする感じ出せないの?」
「あなたがふざけるからいけないんでしょう」
「ふざけてねえよ。……んじゃあ、わかったよ。俺から行くぞ。おはよう環」

 そう言って俺は環の頭に手を乗せる。

「……おはよう、宅也。今日もいい天気ね。手、汚らわしいわ」

 そう環は言って、俺の手をはねのける。

「途中までいい感じだったじゃん? どうしてそう俺を貶さないと気が済まないの?」
「だってあなたの手って、色々なものに触れてるものでしょう。色々と」
「い、色々って、なんだよ」

 なんだよ色々って。言ってみろよ。ほら! なんて当然言えない。

「さあ、何かしらね。とにかく触れるのはなしよ」
「少女漫画だとありがちだと思うけどな」
「いきなり髪に触れないわよ。あなたリアルの女子の髪をなんだと思ってるの? あなたの命よりも重いのよ。謝罪しなさい。ほら。重力に逆らうんじゃないわよ」

 そう言って、環は床を指さす。
 俺はその場で跪く。

「はいはい、すみま――って、ちょっと待て。俺も流れで土下座しそうだったけど! カップルは普通、朝の挨拶で土下座しないだろ!?」
「あら、あなたてっきり謝罪だけは一人前にしてると思ったのだけれど。何も悪いことしていないのに、すみませんとつい口にしてしまう、あれよ」
「ぐっ、どうしてお前コミュ障特有の癖を知ってんだ」
「私がそうだからよ」
「誇らしげに自分のコミュ障を告白するな。つかお前なんでぼっちなの? そこら辺もラノベ主人公リスペクトしてんの?」
「友だちって何? 私の辞書にはないわ。それに、この子が私の唯一の親友」

 そう言って環は白いヘッドフォンを撫でる。

「なんか俺、お前と話してると悲しくなってくるんだけど。つーか、それだよそれ。お前ずっとヘッドフォンしてるから誰も話しかけられねえんだよ」
「私の親友を馬鹿にしてるの」

 環は俺を睨む。

「いや怖っ! あのな、お前、社会性を周りに見せるんだろ? せめてずっとヘッドフォン外せよ」
「嫌よ。このスタイルは私のアイデンティティなのよ。これがなきゃ今頃私は脚をがたがたと震わせ、生まれたての小鹿のようになるわ」
「お前どんだけメンタル弱いんだよ。はあ、まあわかったよ。じゃあ俺と話すときだけは外せよ」
「今外してるじゃない。あ、ちょっと待ってね。もうすぐでこいついなくなるから」

 環はヘッドフォンに話しかける。

「いやだから怖い! なんでヘッドフォンに話しかけてんの!?」
「愛する物には魂が宿り、妖精になるのよ。なに? あなた『ふぇありるふぇありる』も観てないの?」
「末期だよ! 妖精とじゃなくて人間と話せ!」

 いや俺も『ふぇありるふぇありる』は観てるけどさ。何かに魂宿って俺を癒してくれる妖精現れないかな……。

「私にはこの『ほわいと』だけで満足してるわ」
「名前までつけてんのかよ……。はあ、そんじゃ人紹介するか」

 ヘッドフォンを撫でる環をよそに、一ノ瀬の席に向かう。

 一ノ瀬に言うんだ。俺と環が付き合っているって。そうすれば、俺の見方を変えてくれるかもしれない。

「……お、おは、」
「おはよう猪尾くん! 猪尾くんから挨拶なんてはじめてじゃない!?」
「まあ、そう……だな。その、お前に頼みがあって」
「え、なになに?」
「お前と友だちになってほしいやつがいるんだよ、ほら」

 俺は環を指さす。すでに環はヘッドフォンをし、ラノベを読んでいる。

 おい、今から紹介するってのにデフォルトに戻ってんじゃねえよ。

「え!? 久遠さん!? な、何!? ついに猪尾くんは現実世界に興味を抱いたの!?」
「ま、まあそんな感じだ。とにかく、来てくれ」
「うん!」

 俺と一ノ瀬が環の席の前に行く。

「おい」

 環はヘッドフォンをしたまま本を閉じる。

「おい環。ヘッドフォン外せって」

 聞こえてるかわからないが、俺は声を掛ける。すると――

 ガンッ!

「あ?」
「何!?」

 一ノ瀬が驚く。

 驚くのも仕方がない。
 環が机に頭を思い切り打ち、ヘッドフォンを押さえたままま寝たふりをかまし始めた。

 いやというか、寝たふりにもなってねえ。

「おいこら環! ヘッドフォン外せって!」
「やめなさい! 今私は下界にいてはならない存在なの! というか、お願いだからやめて! 緊張して何も話せないから!」

 俺は環のヘッドフォンを掴み剥がそうとするものの、すごい力で抵抗される。
 そしてそのまま結局、環は机に伏してしまう。

「……マジでなんなんだよこいつ」
「え、ていうか、本当に猪尾くん、久遠さんと知り合いなの? なんか仲良さげ?」
「…………ああ、まあ、俺とこいつは、その、付き合って――」
「そんなんじゃない!」
「おお、びっくりした」

 環が勢いよく顔を上げ、叫ぶ。

「え、今、付き合ってるって言った?」

 一ノ瀬が首を傾げる。

「あ、ああ――んぐっ」
(ちょっと、待ちなさい!)

 俺は環に口を押さえられ、耳打ちされる。俺はその手を剥がす。

(なにすんだよ)
(その、いきなり付き合ってるとかって言ったら誤解されない?)
(誤解って?)
(だから、その……私たちが付き合ってるんじゃないかって)
(いやそれそれ。誤解じゃねえんだよそれ。それでいいんだよ)
(そう、なのかしら……)
「さっきからふたりでどうしたの?」

 一ノ瀬が近づいてくる。
 俺は環から離れ、一ノ瀬に向かいあう。

「一ノ瀬、お前に言いたいことがある」
「な、何?」
「俺と環は付き合ってるんだ」
「へ?」

 一ノ瀬は目をまんまるにする。

「俺とこいつは、恋人なんだよ」

 これで少しは俺の見方を変えてくれるだろ――

「え、えええええええええ!?」

 一ノ瀬は教室中に響き渡る声で叫ぶ。何事かとこちらを見るクラスメイトがいる。

「そこまで驚く?」
「そ、そ、そ、そんなことがあって、いいの……? ねえ、久遠さん。目を覚まして。相手は人間じゃないよ?」
「いや人間だよ? お前今まで何と話してたの? 俺のことなんだと思ってんの?」
「ねえ久遠さん、この虫――猪尾くんと付き合ってるの?」
「ねえ今虫って言いかけたっていうか、はっきり言ったよな? 傷つくんだよ? やめて?」

 一ノ瀬に肩を掴まれた環は顔を真っ赤にし、体を震わせ、目を泳がせている。

「……(こくり)」

 しかし、なんとか頷いた。

「そ、そんな……」

 一ノ瀬は顔を青くし、2、3歩ほど下がる。

「まあ、そういうことだ。そんで一ノ瀬委員長、この困ったぼっち女子の友だちになってやってくれよ」
「……こんな、はずじゃ……」

 どうしてか一ノ瀬は頭を抱えている。

 この状況何? マジでリアルの女ってなんなの? 意味がわからなすぎるんだけど?

「おっす、宅也。なんか盛り上がってっけどどうしたんだ?」
「おお、空馬。いやな、こいつ、環と一ノ瀬が友だちになろうとしてんだけど上手くいかなくてな」
「よくわからんけど大変だな。つか、お前もしかして久遠と付き合ってんの?」
「…………ああ、一応な」
「おお! あの宅也についに彼女ができたか! いやあ、俺は信じてたぞ。お前はやればできるやつだと思ってんだよ」

 空馬は俺の肩を叩く。

「織田くんはそれでいいの!?」

 一ノ瀬が空馬に飛びつく。

「そりゃダチに彼女ができたんだからいいに決まってるだろ」
「そ、そうかもしれないけど……」
「お前だって宅也に社会性を持ってほしいと思って今まで育ててきたんだろ。ああ、そうか。子離れってやつか。たしかに少し寂しい気はするな」

 空馬は手を頭にやり微笑む。
 一ノ瀬は俺に振り向く。

「……本当に、本当に、久遠さんと付き合ってるの?」

 俺は一ノ瀬から目を逸らす。

「…………そうだよ」

 俺がそう言うと、一ノ瀬は俯き体をぷるぷると震わせる。

「…………知らないっ!」

 一ノ瀬はそう言って自分の席に戻ってしまった。

 なんだったんだよあいつ……。

 まあでもこれで、多少、俺に対する見方は変えられたかな。
ていうかあいつ、誰にでも手を差し伸べる委員長キャラじゃねえのかよ。結局、環の友だちになってくれてねえじゃん。これじゃ環の世界全然変わらねえよ。

 事の一部始終を体を震わせながら見ていた環は再び机に伏す。何か呟いている。

「嫌われた嫌われた嫌われた嫌われた」
「いやもうだから怖い! 嫌われてねえから! 大丈夫だから! そんでほら、こいつは織田空馬。俺の友だちだ」

 俺は環を起こす。

「おっす、よろしくー」

 空馬は環に向けて手を上げ笑顔を向ける。

「…………リアルの男の人、怖い」
「あれま、怖がられちまったか」
「一応、俺もリアルの男なんだがな……」
「……(ぶるぶる、ぶるぶる)」

 環は相変わらずヘッドフォンを押さえ、体を震わせている。

 うーん、これ以上はちょっと厳しいか。

「まあそういう訳だからゆっくり仲良くなってくれよ空馬」
「りょーかい。でも意外だな。久遠ってもっとクールなイメージだったけどな」
「いや俺もあんな環を見たのは初めてだよ」

 あいつまじで社会性ゼロだな。よく今まで学校生活送れてきたよ。
 俺と空馬は席に座る。

「で、実際んとこどーなんだよ?」

 空馬が俺に小声で話しかける。

「なにが?」
「付き合ってるっての、嘘なんだろ?」
「なっ」
「それぐらいわかるっつの。ま、なんとなく理由もわかるし」

 空馬は笑いながら言う。

「お前はさすが俺の友だちだな」
「伊達にお前のダチじゃねえんだよ」

 俺と空馬が笑いあう。

 ちなみに環は未だにヘッドフォンを押さえ、体を震わせていた。

 あんなんで社会変えるなんて本当にできんのかよ……。


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