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第17話 遊園地 「小説:オタク病」

 ショッピングモールに行った翌日。俺は遊園地に来ていた。

「お待たせー。ごめんね待たせちゃって」
「いや、大丈夫だ」

 遊園地の入り口。人だかりがある中でもなんとか一ノ瀬と合流できた。
 
 息を切らす一ノ瀬はいつもより数段大人っぽかった。

 いつも後ろにまとめているポニーテールはおろし、川が流れるような綺麗な茶色の長髪。ピンクで袖にフリルの付いたフレンチスリーブに黒のタイトスカートを履いていた。

「どう、かな?」

 一ノ瀬は両手を広げてみせて俺に問う。

「お、おう。似合ってると思う。なんか、いつもと全然違うな」
「そりゃあデートだもん。気合い、入れなきゃね」

 昨日、観覧車で一ノ瀬に打ちのめされた後、よく覚えていないが、今日、ふたりで遊びに行くことになっていた。俺はそれを断れなかった。断る理由が思いつかなかった。

 俺を受け入れてくれる人間に、ただ従うことしかできなかった。俺が二次元に理想を求めているように、一ノ瀬が俺を求めてくれているなら、それを否定することはできなかった。

「猪尾くんは相変わらずだね。そんなに大きなリュックじゃアトラクション乗れないんじゃない?」

 一ノ瀬は上目遣いで首を傾げる。

「ロッカーあるからそこにしまうよ」

 俺たちはロッカーまで行き、俺は必要最低限の荷物だけを回収し、リュックをロッカーにしまう。

 その間、一ノ瀬は自販機でジュースを買って飲んでいた。

「飲む?」

 一ノ瀬は飲みかけのジュースを俺に向ける。

「い、いい」

 俺たちはそのまま遊園地に入場する。
 この遊園地は日本で最も大きい遊園地だ。

 世界的に有名なアニメをモチーフにしたアトラクションが多い。絶叫マシンも多くある。

「猪尾くんは『デズニ―』とかのアニメも好きなの?」
「うーん、あんま見ねえかな」
「そうなんだ。アニメといっても何でもかんでも見るわけじゃないんだね」
「まあ俺が好きなのは可愛い女の子が出てるアニメばっかだからな」
「むぅ、デート中に他の女の子のこと考えるのは厳禁だよ」
「に、二次元は別だろ」

 そういや、環は今頃何をしているだろう。昨日の観覧車の後、よく覚えていないが、ずっと俯きがちのまま去って行った。

 一ノ瀬が言うにはこれから環の社会性を取り戻すために全力でサポートしてゆくとのことだった。

 具体的にどうするのだろうか。

 環を受け入れてくれる人を見つけ、その人と一緒に歩んで、今までと違う世界を見られると言っていた。

 それってつまり、環が別の誰かと一緒に二次元とは別の世界を見てゆくってことだよな。

 環はそれを望んでいるのだろうか。環にとっての二次元は俺と同じくらい、もしくはそれ以上大切なものだ。それをちゃんと理解し、支えてくれる人がいるのだろうか。

 もしいるのならば、それで環の世界が変わるのであれば、それが一番良いのかもしれない。

 俺にできなかった、環の世界を変えること。それができる人間がいるなら、俺の出る幕じゃないんだ……。

 それに今の俺には――

「さ、じゃあどうしよっか」

 俺と一ノ瀬は入場し、メインエントランスで立ち止まる。周りには多くの人がいる。アキバよりも多くの人間がいる気がする。さすが国内最大遊園地。

「なんか、ショッピングできるみたいだし行ってみるか?」
「うーん、お土産とかは最後に買いたいけど、うん、そうだね。先に買いたいものがあるんだ。行こ」
「おう」

 ――俺には、一ノ瀬がいる。俺を求めてくれる人がいる。

 俺たちは天井のついた欧風なお店に入る。そこにも多くの人がいた。

「人混み大丈夫?」
「まあアキバで慣れてるからって言いたいところだけど、さすがにこの数がずっと周りにいると思うと少し疲れるかもな」
「そうだよね。さすがにわたしも疲れそうだよー。アトラクションの待ち時間とか1時間超えそうだしね」
「まじか……。そんなに待つの?」
「ま、その間ずっと話していようよ。カウンセリングだね」
「俺もう社会性取り戻せたんじゃないの……?」

 一ノ瀬は指を横に振る。

「まだまだなのです。というわけでちょっと買いたいもの買ってくるね」
「おう」

 一ノ瀬は人混みの中なんとか欲しいものを取ってレジで会計を済ませたみたいだ。

「いや……これはさすがに」
「いいじゃん。せっかくなんだしさ。ほら。ぷっ、あははは」

 一ノ瀬が買ってきたのはネズミの耳のカチューシャだ。俺はシンプルに頭にネズミの耳がついたカチューシャ。一ノ瀬のは耳にリボンのついたカチューシャだった。

 一ノ瀬は俺にカチューシャを付け、笑っている。

「おい、面白がってるだろ」
「いや、似合わなくて。あっははは」

 笑いをこらえきれないようでずっと笑っている。

「やっぱつけない」
「え~、ごめんって。ほら、わたしも付けるからさ」

 そう言って一ノ瀬はリボンの付いたカチューシャを付ける。

「…………」

 似合ってる、と思う。少しいつもの雰囲気になった。
 それにしても今日の一ノ瀬は大人っぽい。
 いつもの子犬みたいな一ノ瀬と全然違い、なんだか調子が狂う。

「なあに? そんなに無言で見つめて」
「いや、お前いつもと違い過ぎてちょっと違和感がな」
「変かな?」
「いや、変とかじゃない。むしろ良いと思う。その、ギャップ的な?」
「ふふっ、ありがと」

 俺は結局、ネズミのカチューシャを付けられ、そのまま遊園地を周ることになった。

「うわあ、でけえ城」

 俺はマップを見る。俺たちがいるのはちょうどマップの中央付近。中央からは白を基調とされた城で、あまり詳しくない俺でも見たことのある城だった。城。マジで城。迫力ありすぎて語彙力がなくなる。

「あのお城の前でプロポーズとかってよくするみたいだよ。なんだかロマンチックだよね」
「こんな大勢の前でプロポーズするのか? 逆に変じゃないか?」
「『シンダレラ』知らないの? まさにあのお城の前でプロポーズされることに意味があるのですよ。あー、わたしもいつかプロポーズされたいなー」

 一ノ瀬は城を見て目を輝かせている。

「一ノ瀬は結婚願望があるのか?」
「そりゃああるよ。私の前にいつか王子様が現れて、その王子様と結ばれたい。王子様は強くてかっこいい感じね」
「俺とは正反対だな」
「……それは、どうかな」
「…………」

 俺と一ノ瀬はそれぞれ違う方向を向く。

『わたしが、猪尾くんのことが好きだから』

 昨日の観覧車での一ノ瀬の言葉を思い出す。

 ……本当に、一ノ瀬は俺のことをその、好きなのだろうか。
 想像がつかない。
 俺は今まで誰かに好意を抱かれたことはない(二次元を除いて)。

 だからその好意が果たして本当のものなのかわからない。そしてそれを疑うことがとても残酷なことだとわかっている。それでも疑ってしまう。

 そもそも好意とはなんなのだろうかということさえわからない。

 俺は二次元の女の子にしか恋愛感情を抱いたことがない。そして、それとともに異性として欲情することもある。

 好きとは、異性として欲情を抱くことなのだろうか。
 だとしたら……一ノ瀬も俺を異性として――

 って! 俺何考えてんだ!
 そんなわけないだろう。

 一ノ瀬の俺に対する感情はきっと純粋な好きとは違うだろう。今まで世話をしてきた対象としての母性的な好意だと思う。というか、それしか考えられない。

 俺を異性として純粋に好きだとは思えない。俺はそれだけリアルの自分に魅力があるという自意識はさすがに持っていない。俺が憧れの対象とは、今でも思えない。

 母性的な好意だとしたら、一ノ瀬が俺に求めているのは成長だ。
 今回の遊びで、少しは成長したところを見せなくてはならないだろう。

「じゃあ、行くか」
「え、うん。どこに行くの?」
「どこに行きたい? そこに行こう」
「そうだなー。やっぱり絶叫系は行ってみたいな。あと『デズニ―』っぽい世界観のある乗り物とか」
「よし、それじゃあまずは絶叫系マシンに行くか」

 俺は歩き出す。それに一ノ瀬は付いてくる。

「エスコート、してくれるんだ」
「べつにそんなつもりじゃない」

 俺は前を真っ直ぐ見て答える。

「ふふっ」

 一ノ瀬は微笑んでいるようだった。その微笑みは同情の微笑みじゃない。


「100分待ち……? え、単位おかしくない?」
「こんなもんだよ」

 俺たちはマップ右側にある『ギャラクシーマウンテン』という絶叫系マシンの列に並んだ。列から見える電光掲示板には待ち時間が表示されている。

「よし、帰ろう」
「ダメだよ! この100分をどう過ごすかも社会性が試されているんだからね」
「100分の間何をすれば社会性があることになるんだよ……」
「ずっとおしゃべりするとか」
「大学教授もびっくりなスキルだな」
「まあまあ。積もる話もあるじゃないですか」

 一ノ瀬はそう言って、列に並ぶ。

 はあ、マジで100分も待つの? 100分って何? アニメ5話? この遊園地の待ち時間だけでアニメ2クール分観られるわ。あ、そうか。アニメ観ればいいのか。

 俺はスマホを取り出し、アニメ見放題のアプリを開く。

「ちょっと? 何いきなり会話を放棄してるの? そういうところだよ?」
「そういうところって言うのやめて? なんか人格全否定されてる感じになるから」
「否定してることは否定しない」
「そこは否定して?」
「猪尾くんは社会性がない人です」
「いや俺の人格を否定してって意味じゃないから」
「ふふっ、本当に不思議な気分」

 一ノ瀬は楽しそうに微笑む。

「なにが?」
「教室でずっと自分の世界に入っている猪尾くんと、世界を共有できてる感じがすごく不思議」

 俺だけの二次元の世界。今は俺だけの世界じゃない。俺と一ノ瀬だけのリアルの世界。

「大げさだな。俺だって普段教室でみんなと世界共有してるから。二酸化炭素レベルで」
「それ空気の中でもほとんど共有してないよね。というかなんか空気共有してるって気持ち悪いからやめて」
「気持ち悪いとかも言わない。こう見えてダイヤモンドのメンタルなんだから」
「やっぱり猪尾くんは強いよね。もう人間じゃないね。ゴキブリなの?」
「たしかにあいつらメンタル強いけど一緒にするな。というか俺のこと気持ち悪いと思い過ぎてない? どんだけ俺のこと嫌いなの?」

「嫌いじゃない。好き、だよ」

 一ノ瀬は上目遣いで頬を染め言う。

「…………」
「あ、照れてる」
「照れてねえ! 俺は断じてリアルには照れない!」
「え~? じゃあどうしたの? 顔赤いけど風邪でもひいた? この一瞬で?」
「そうだよ一瞬で風邪ひいた。あーもう救急車来ないかな。お前、救急車に運ばれてどっかいけよ」
「あー、そういうこと言う。救急車に運ばれるのは猪尾くんだよ? 運ばれたらわたしが病院で看病してあげる。首に注射すればいい?」
「いや致命傷。殺意高すぎだろその看病」
「ま、猪尾くんはそれぐらい刺激的に看病してあげないとまともに話してくれないからね。すぐに二次元、二次元言い出すから。だから、こっちからどんどん攻めるの」
「やめたげて? もう攻められすぎてぼろぼろだから」
「もっとぼろぼろにしてあげる」
「ドS過ぎんだろ」

 一ノ瀬はにししと笑う。ああもう、なんかやっぱり今日の一ノ瀬は普段と全然違う。完全に一ノ瀬のペースにのまれている。

 それからも一向にペースを一ノ瀬に握られたまま話し続けた。そうしたいつの間にか順番が回ってきていた。

「ほら、話してたらあっという間でしょ?」
「ああ、たしかに。時間が短く感じた」

 スマホで時間を確認する。
 実際に待った時間は90分ほどだったが、一ノ瀬と話していたらいつの間にか時間が過ぎていた。

「まずは第一関門合格ですね」

 一ノ瀬は頭の上で丸を作る。

「よし、合格したことだし帰るか。ほら見ろよ。非常口あるぞ。非常だ。今の状況は誠に非常だ。避難しよう」
「ダメ!」
「いっ!」

 俺が非常口を指さしていると一ノ瀬が俺の腕を絡み取る。
 その瞬間、一ノ瀬の体の柔らかさを感じてしまった。

「どうしたの?」

 きょとんと首を傾げている。どうやら無意識のようだ。

「い、いやなんでもない。ああでもそれにしてもだ。絶叫系大丈夫かな俺」

 俺はなんとか話を逸し、意識をべつにする。

「え、猪尾くん絶叫系苦手なの?」
「いや、わからん。乗ったことがない」
「家族とかで来たことないの?」
「俺がこんなところに連れられても来ると思うか?」
「……猪尾くんは昔から変わらないんだね」
「不安だ。ぶっちゃけ昨日の観覧車とかもめちゃくちゃ怖かったし」
「えー、夜景綺麗だったじゃん」
「うん、まあ」

 俺が恐怖したのは観覧車の高さだけじゃなくて、お前の迫力のせいでもあるんだがな。

「さて! 順番来たことだし乗ろっか!」
「ああ」

 俺と一ノ瀬はロケット型の座席に座り、やけにテンションの高いスタッフさんに何か言われた後、ロケットは動き出した。

「うわあ、マジで動き出したよ。速いよぉ。怖いよぉ」
「まだ全然動いてないじゃん。こっからだよ~」

 一ノ瀬は体を横に揺らし、はしゃいでいる。なんでこんな拷問にはしゃげるんだよ。

 ロケットはどんどん速度を上げる。周りは暗く、星のような光がきらきらと輝いている。

 うわあ、綺麗だなあ。このまま観てるだけでいいんじゃないでしょうか。
 と、俺が恐怖で身がすくんでいる間、どんどんロケットは速度を増し、縦に揺れ、横に揺れ、縦横無尽に暴れまわる。

「ぬわああああああ!」
「きゃああああああ!」

 俺が叫んでいる中、一ノ瀬も叫んでいる。
 俺は頭をがくがく揺らしながら、絶叫した。


「はあ、はあ、はあ」
「大丈夫?」

 絶叫アトラクション『ギャラクシーマウンテン』を終え、俺は外で息を切らす。

「予想以上に速かった。というか真っ暗過ぎて何が起きてるかわからなかった。気絶するかと思った」
「もう~男の子なのに情けないなー。ほら! 次行くよ次!」

 一ノ瀬が鼻歌を歌いながら歩みだす。

「ちょ、待って」


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