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「赤い糸を盗る」 第21話:刺し傷

 9月8日。

「おはよう、銀杏さん! 体調は大丈夫?」
「おはよう。大丈夫よ。心配かけてごめんなさい」

 朝のホームルームが始まる前、竜美は教室に入ってきた。その様子を見た芽衣が席から飛び上がる勢いで竜美のもとにやってきた。

 虎太郎と狐人も竜美のもとに寄る。

「狐人とのバスケのせいで休んだんだろ? 大丈夫か?」
「ええ、黒崎さんには今度、リベンジもかねて付き合ってもらうわ」
「えぇ、僕のせいなの?」
「ふふっ」

 竜美は微笑む。

「お、銀杏が笑うとこ初めてみた。そんなに狐人とのバスケが楽しいか」
「ええ、黒崎さんの敗北した姿がとても滑稽で良いものだわ」
「ふん、残念だね銀杏さん。僕は負けないよ」
「その虚勢、いつまで続くかしらね」
「虚勢じゃないんだよなあ」

 ふたりは仲良さげに話し合う。

「…………」

 虎太郎はその様子を黙って見つめていた。

 まだ、しっかりと確かめられていない。竜美が自分の運命の相手の可能性がある。

 それをどうやって確かめるか。ネックレスがない今、見つけたとしてもどうやって自分が運命の相手とわかってもらうか。

 課題ばかりだ。狐人の協力があってもなかなか難しいかもしれないと虎太郎は懸念する。

 しかし、懸念しているのはそれだけじゃなかった。

「どうしたの虎太郎?」

 狐人が険しい表情をする虎太郎に声を掛ける。

「ああ、いや、銀杏に狐人が取られてちまうような気がして、気に食わなかっただけだ」
「ほんと魚金くんは黒崎くんのことが好きだよねー」

 芽衣は目を細めて言う。

「まあな。オレと狐人はデキてるからな」
「気持ち悪いからやめて? 自分で言ってて気持ち悪くないの?」
「気持ち悪いぞ?」
「じゃあ言うな」

 虎太郎と狐人は笑いあう。

「そうだ」

 芽衣が突然口を開く。

「どうしたの?」

 狐人が反応する。

「黒崎くん、今日の放課後空いてる?」
「え」
「…………」

 竜美が芽衣を見やる。
 狐人は今日、竜美と新しいネックレスを探しにゆく予定があった。

「ご、ごめん今日は――」
「黒崎さんはいつも暇でしょう」

 竜美が目を瞑りながら言う。

 これは、行けという合図だろうかと狐人は察する。

「う、うん。今日は生徒会もないから大丈夫だよ」
「そっか、ありがとう。じゃあ、待ってるね」

 芽衣はそう言って席に戻って行った。
 竜美は狐人を見やる。狐人は首を傾げる。


「ついに来たか」


 虎太郎は険しい表情を狐人に向ける。

「なにが? もしかして告白? そんなんじゃないでしょ」
「…………」

 竜美は狐人を睨む。

「うん、絶対そういうんじゃないと思う」
「…………」

 虎太郎は両腕を頭の後ろにやる。

「仮にそういうのだとしたら今、こんな堂々とみんなの前で言わないでしょ」
「そうだな」

 そう言って、虎太郎は席に戻って行った。

「どういうこと?」

 竜美が小声で狐人に尋ねる。

「本当にわからない。でも、たぶん僕は関係ないよ……。ネックレスはまた明日探しに行こう」

 狐人は微笑みかける。

「ええ、楽しみにしてる」

 竜美は微笑みを返す。
 竜美と狐人も席に戻る。


――本当になんだ?


 狐人は本当に何事かわかっていなかった。まさか本当に告白、というのはまずありえないだろうと思っていた。それだけ狐人は自意識を過剰に持っていなかった。
 

 嫌な予感がする。

 狐人は過去を思い出す。

 小学生の頃、中学生の頃。
 同じように狐人は校舎裏に呼び出されることがあった。


『黒崎くん』
『な、なに?』

 その相手は狐人の想い人だった。狐人と想い人はクラスが一緒で虎太郎と一緒に話していた。

 狐人に分け隔てなく。
 そうして狐人はその相手に想いを寄せていた。

 そして女子生徒はゆっくりと口を開いた。

『これを、魚金くんに渡してほしいの』
『これって』
『手紙、魚金くんに渡して』
『この手紙って、その、佐藤さんは虎太郎のことを、その、好き、なの?』
『うん』

 女子生徒は頬を赤らめ言う。
 その瞬間、狐人の視界は白黒になり、音が消えた。


「痛っつ」


 右の脇腹が痛む。思い出す度に痛むのだ。過剰なストレスを感じたときに、狐人の右の脇腹が痛む。

 その女子生徒だけではなかった。

 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、狐人は同じ思いをしてきた。
 虎太郎に近づく者は大抵、自分に近づく。そうして狐人に気があるかのように見せて、その度に裏切られ、虎太郎に告白をする。

 いつも狐人は想いを寄せる相手と虎太郎を繋ぐ架け橋でしかなかった。
 

 ――今回も、そうなのか……?


 右の脇腹が痛む。狐人は耐えられなかった。

「……虎太郎」

 狐人は冷や汗をかきながらなんとか隣の席に座る虎太郎に声を掛ける。

「ん? って、お前どうした!?」
「右の脇腹がっ……」
「わかった」

 虎太郎は慣れていた。時々、狐人は刺された右脇腹の痛みが突然発生し、具合が悪くなることを。そしてその度に虎太郎は狐人を保健室に連れていった。

 虎太郎はすぐに席から立ち上がり、狐人を背負って教室を後にした。

「待ってろ。すぐ保健室に連れてってやるからな」
「……ありが、とう」

 狐人は冷や汗をかきながらなんとか礼を言う。


「……狐人くん?」
「黒崎くん?」

 竜美と芽衣が心配そうにそれを見ていた。

   ×    ×

 狐人は目を覚ました。時刻は10時20分。狐人は2時間ほど気絶していた。右の脇腹に触れる。痛みはひいている。

「はあ」

 狐人はおおきなため息をつく。

「大丈夫?」
「っ、竜美」

 ベッドの横には竜美が椅子に座って心配そうに狐人を見ていた。

「い、一応、学校では苗字で呼んで」

 竜美は頬を赤く染め、狐人から目を逸らす。

「ごめん銀杏さん。看病しにきてくれたの?」
「ええ、私もまだ調子が優れないからと言って来たの」
「ありがとう」

 狐人はベットから身を起こし、竜美に微笑む。

「それより、どうしたの?」

 竜美は本当に心配げに尋ねる。

「ああ、ちょっとね。持病というかなんというか」
「教えて」

 真剣な表情で竜美は問う。

「…………」

 隠せないか、と狐人は観念する。

 狐人はズボンに入れたYシャツを上に上げ、右の脇腹の傷を竜美に見せる。

「これって」
「僕が中学の頃、刺されたときの傷だよ」
「っ! 刺されたって、どうして!?」

 竜美は狼狽する。

「……人間関係のもつれ、かな。僕のせいなんだ」
「どういう意味?」
「虎太郎の好きな人がね、恋が実らず、それが僕のせいだって言って、それで――」
「そんなの、逆恨みじゃない……」

 竜美は歯噛みする。

「でも、気持ちはわかるんだ」
「どうして?」
「僕もずっと銀杏さんに再会することを願っていた。でももし、銀杏さんが他の人と付き合ってたら、僕も同じような感情を抱いたと思うんだ」

「でも、それは恋敵としてでしょう? 黒崎さんは関係ないじゃない」

「うん、でも僕はずっと虎太郎と一緒にいたからさ。似たような感情を抱いてしまったんじゃないかな。どうしてお前はずっと虎太郎の傍にいられるのに、私は一緒にいられないの。

 私は振られて一緒にいられないのに、どうしてお前だけ偉そうにずっと一緒にいられるのって」

「そんなの……間違ってる」
「さすがに僕も、理不尽だなと思うよ」

 狐人は苦笑いをする。

「……黒崎さんを刺した人はどうなったの?」
「わからない。どこで、何をしているかもわからない」
「それじゃあ、また襲われる可能性が――」
「ああ、それはないよ」

 狐人は笑って言う。

「なんでそう言い切れるの?」
「最後に、もう二度と会わないって言われたから」
「……そんなの、信じられない」

「でも、僕は今こうして平気でいられてる。大丈夫だよ」

「…………」

 竜美は俯いてしまう。

「大丈夫だよ」

 狐人は竜美の頭を撫でる。

「本当に?」
「うん、大丈夫。そもそもが逆恨みだしね。もし次襲ってくるとしたら虎太郎だよ」
「それはそれで放っておけないじゃない」

「大丈夫。僕がそんなこと絶対にさせない」

「……うん。信じる」

 竜美が険しい表情をする。

「そんな顔しないでって」
「……え、ええ。でもどうして急に痛み出したの」
「刺されたときのことを思い出しちゃってさ。さっき桜さんが僕を校舎裏に呼び出したでしょ? だから、また同じような目に遭っちゃうのかもしれないなって無意識のうちに思っちゃったんだ」

「そんなこと、させない」

「大丈夫だよ。桜さんはきっとそんなことしない」
「随分信用しているのね」

 竜美は目を細める。

「逆に、普通に考えてそんなことする人なんていないでしょ」
「……狐人くんは、本当に桜さんのことが好きじゃないの?」

 竜美はあまりの心配に、問うてしまった。

「好きじゃないよ。僕が好きなのは竜美だけだ」
「…………そう」

 竜美は顔を赤くし、そっぽを向く。

「ま、大丈夫だから。心配しないで。もし僕に何かあってもその人に手を出しちゃダメだよ。一緒にいられなくなっちゃうから」
「冗談でもそんなこと言わないで。私も、一緒に行く?」
「大丈夫だよ。どうせいつものことだから。もう覚悟はできてる。だから、大丈夫だよ」
「本当に?」
「うん、それじゃあ、教室に戻ろうか」
「ええ」

 狐人はベッドから立ち上がり、服装を正す。

「ありがとう、来てくれて」
「ううん、こちらこそ、言いたくないこと聞いてごめんなさい」
「いいよ」

 そうしてふたりは教室へと戻った。


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