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第8話 勇気 「小説:オタク病」

「デートはどうだった?」

 休みが明け月曜日。登校し、教科書を机に入れていると一ノ瀬が俺の席へと来た。

「まあ、普通」
「普通って。ちゃんとエスコートしてあげた?」

 一ノ瀬は首を傾ける。

「色んな場所に一緒に行ったよ。楽しかったって言ってくれた」
「そう」

 一ノ瀬は目を伏せ、微笑む。

「猪尾くんは、楽しかった?」
「ああ、楽しかったぞ。フィギアとか等身大パネルとか、あとまあ、メイドとか。今度お前も一緒に来るか?」
「いかないよー。それに、今度ってまた環ちゃんと行くの?」
「何かまた機会があったらって感じでな」
「じゃあ次の機会を与えて差し上げましょう」
「は?」

 一ノ瀬は笑顔で言う。

「次は4人で遊びに行こう!」
「4人って?」
「環ちゃんと猪尾くん、それと織田くんとわたしの4人」
「……うーん、環のやつ大丈夫かね」
「そこをフォローするのが猪尾くんの力だよ」
「えー」
「えーじゃないの。それが猪尾くんと環ちゃんのためなんだから」
「べつに俺のことはどうでもいいけど」
「ダメだよー、せっかく更生してきたんだから。この調子でどんどん進もう! それとも、ふたりのお邪魔はされたくないかな?」
「べつにそんなんじゃねえよ。ただ環が心配なだけだ」
「……猪尾くん、ほんとうに――」
「え?」

 一ノ瀬は俺に聞こえないほどの声で呟く。「ほんとうに、変わったね」と言ったか?

「ううん、なんでもない。環ちゃんにその旨、相談しておいてね」
「ああいいけど、断られても文句言うなよ?」
「そこを説得するのが猪尾くんの仕事なのですよ?」
「えー」
「えー、じゃない。頑張りなさい!」
「……わかったよ」
「よぉし! じゃあ頑張ってね」

 一ノ瀬はそう言って、手を振り自分の席に戻って行った。

 はあ、本当におせっかい委員長だな。
 どうしてそこまでして俺たちの面倒を見ようと思うんだ。

 まだ、俺は同情されているのだろうか。少しは同情されなくなったと思ったんだけどな。

 あいつの考えていることはさっぱりわからん。

 俺は授業の準備をしたのち、本を開いた。

「あなたのせい」
「は? なんだよ急に」

 昼休みになり、俺と環は机を合わせ一緒に昼食を食べていたら突然、環が俺を睨んできた。

「足が痛い。筋肉痛」

 環はそう言いつつ、ブレザーの右ポケットに触れている。

「それは運動不足のお前が悪いんだろ。良い運動になってよかったじゃねえか」
「キモオタのあなたは筋肉痛にならなかったの?」
「キモオタ関係なくない? 俺は自転車通学だから、普段から多少運動してる」
「そう」

 さして興味のなさそうに環は言い、弁当を食べる。

 しかし、少し様子がおかしい。
 さきほどからブレザーの右ポケットを何度も触れている。

「なんかポケットに入ってんのか?」
「えっ」
「いや、さっきからごそごそしてるから」
「あっ、いや、それは、その――」

 環は頬を染め、右ポケットに手を入れる。

「?」
「これ」

 そう言って環は右ポケットからそっと缶バッジを取り出す。

「『あい♡ぷり』のやつじゃねえか。持ってきてたのか」
「ええ。付けなくてもこうやって持ってくればいいかと思って」
「いいじゃん」

 笑みがこぼれる。

「えへへ」

 環は恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに微笑む。
 環は缶バッジをポケットに戻す。

「そうだ。一ノ瀬がさ、今度4人で遊びに行きたいってさ」
「え、よ、4人で……?」
「ああ、俺たちと一ノ瀬と空馬の4人で。……やっぱりまだきついか?」
「…………」

 環は目を泳がせる。

「無理にじゃなくていいから」
「……頑張る、頑張り、たい」

 環は俯きながら言う。

「そっか。じゃあ一ノ瀬に伝えておく。きついと思ったらすぐに言えよ。みんな理解してくれるから」
「え、ええ。大丈夫かしら。迷惑をかけそう……。どこに行くの?」
「お前が行きたいところでいいんじゃないか?」
「家」

 環は即答する。

「じゃあお前ん家に行くぞ。アニメ鑑賞会でもするか?」
「嫌」

 再び即答。

「はあ、どこか適当なショッピングモールだろ」
「ショッピングモールね……」
「アキバよりは人混みないし、そこまでずっと歩くわけじゃないから大丈夫だ。休憩も挟んでな。無理に話そうとしなくてもいい。だから心配すんな。な?」
「え、ええ。でも心配なものは心配だわ」
「大丈夫だ。俺もいるから」
「…………」

 環は目を細めて俺を見つめる。

「なんだよ」
「あなたのそのときどきやる主人公アピールなんなの? 私をギャルゲヒロインだと思っているの? 分をわきまえなさい。あなたじゃ主人公は無理よ」
「お前を攻略する気はまったく! ねえ! 人とのコミュニケーションはギャルゲとかラノベを参考にしてんだから仕方がねえだろ」
「ああ、通りであなたは口が悪いのね」
「え、俺口悪い?」
「自覚ないの?」
「自覚ないです」
「はい鈍感ポイント1。鈍感ポイントが3溜まると見事に鈍感系ウザ主人公の称号を得られます。頑張ってください」
「そんな称号は頑張って得たくねえ。……マジか。俺、口悪いのか」

 地味にショックだ。俺のどこが口悪いんだ……?

「まあ、今さら気をつけなくてもいいのだけれどね。私はあなたのような頭のおかしい人間の方が接しやすいし」
「やっぱお前、ただ俺を貶したいだけだろ」
「そうとも言うわね」
「そうとしか捉えられねえんだが」

 そんなことを話しながら昼食を終えた。

 環が缶バッジを持ってきたことには素直に驚いた。
 それを嬉しそうに見せる環の姿は――
 なんというか、ちょっと良かったかもな。

 その日の放課後。異変が起こった。

「久遠さん」
「えっ、な、なんですか……?」

 環が帰りの支度をした後、ヘッドフォンを被ろうとしたところ、とある女子生徒数人に話しかけられていた。

 環の手は震えている。
 大丈夫かあいつ。俺が行った方がいいか。

 と思ったところで予想外の言葉を女子生徒は言い放った。

「あの、猪尾、には近づかない方がいいと思うよ」
「えっ」
「…………」

 俺はため息をつき、教科書を鞄につめて帰る準備をする。

「あの人、変な人だから。変な目で見られちゃうよ」

 はあ、好き勝手言ってくれんな。
 ま、慣れてるからいいけど。

「…………え、あ」
「久遠さん、美人だから。たぶん、変な目で見られてると思う」

 女子生徒たちは本当に心配そうに環に言う。

 環は俯いてしまう。

「……………………う、うん。ありがとう、ございます」
「じゃあ、それだけ。ばいばい」
「…………はい」

 未だに環は俯いている。

 クラスメイトと話すなんて、少しは社会性出てきたじゃねえか。

 俺は席を立ち、教室を後にする。

 鞄を背負い、廊下から窓を眺めながら下駄箱に向かう。

 そうだ。それでいいんだよ。
 俺は『リアルには何も求めない』。

 下駄箱につき、上履きを脱ぐ。

「待って! はぁ、はぁ、はぁ」

「あ? 環か。どうしたそんなに息切らして」

 環は走ってきたのか息を切らしている。俺を見つめしかし、すぐに目線を逸らす。

「ご、ごめんなさい」
「なにが」
「その、さっきの会話、聞いてたでしょ?」
「ああ、警告な。ウケるよな。俺はリアルの女に興味ないっつのに」
「全然、笑いごとじゃない!」

 環は大声を出す。

「どうしたんだよ」

 俺は靴下のまま環に近づく。

「……わ、私」

 環は俯く。そして、廊下には水滴が落ちる。
 泣いている、みたいだ。

「お、おい。本当にどうした」
「……悔しい」
「なにが悔しいんだよ」
「私、あなたと付き合ってること言えなかった」

 環は歯噛みする。

「気にすんなよ。あんな風に言われた後に、いや付き合ってるんで、なんて普通言えねえって」
「でも! 私は社会を変えるために……それなのに、どうして私には、こんなに勇気がないの」
「勇気はあるよ。だからこうやって俺と話せてるし、デートにも行けた」
「でも、それはあなただからできたことで」

 俺だから、か。
 
 たしかにそうかもしれないな。

 同じような趣味を持つ人間を仲間だと思う。親近感を得られる。少しだけありのままの自分をさらけ出していいかもと思える。

 それもオタクの習性だと思う。

 いや、オタクだけじゃないだろう。自分に近しい人間だと思ったら、近寄りたくなる。

 それはオタクというより、人間の習性だ。

 俺と環はそういう意味では話しやすい存在同士かもしれない。
 だからこそ、俺たちは話せている。少しはありのままでいられる。

 でも、勇気のある環ならゆっくり、次第に自分とは違う価値観を持つ人間とも話せてゆける気がする、いや、そう思いたい。

「ゆっくりでいいんだよ」
「こんなんじゃ、いつまで経っても変わらない……」

 そんなことないと思う。けど、口には出せなかった。

 俺は一ノ瀬とは結構話している。わりとありのままで話せている。それは、一ノ瀬なら俺のペースを受け入れてくれると思っているから。一ノ瀬は例外なんだ。

 一ノ瀬だけじゃない。空馬もそうだ。
 俺は空馬に対しては素の状態で話せてると思う。でもそれは、自分の価値観を受け入れて、肯定してくれるからできていることだ。

 今の世の中は、俺たちオタクに対する偏見が強くある。偏見を持った相手にありのままの自分で接するのは難しい。

 否定されるかもしれないから。
 自分だけじゃなくて、自分の好きな物も否定されるかもしれないから。

 それは環が一番嫌だと思っていることだ。

 羞恥心もあるだろうが、それよりも自分の好きなものを否定される恐怖があるから堂々と自分の好きなものを好きだと言えないんだ。

 どうすれば、俺たちオタクはみんなに受け入れてもられるのだろうか。

 考えたこともなかった。
 自分を、自分の好きなものをどうやって理解してもらうようにすればいいかなんて。

 空馬に対しては、ただ自分の好きなものを紹介してもそれを否定されないとわかっているから布教できる。ありのままでいられる。

 でも、全員がそうじゃない。ましてやこのご時世だ。受け入れてくれる人間の方が少ないだろう。優しい一ノ瀬でさえ、オタク文化には肯定的というわけではないのだから。

 環の願いを叶えるのは、とても難しいことなんだよな。

 俺は俯き考えた後、勇気を出して顔を上げ口を開いた。

「このままじゃ、ダメか?」
「え」

 環は潤んだ瞳で俺を見つめる。

「俺たちは互いに理解し合える仲だと思ってる。完全にお互いの価値観を理解できてるわけじゃないけどな。ぶつかることも多いし。それでも狭い空間の中かもしれないけどさ、俺たち、一緒にいて楽しめてるじゃん。わざわざ、広い孤独な空間に行く必要なんて、ないんじゃないか?」
「……それは、そう、かもしれないけれど」
「いいじゃんべつに。今まで通り教室っていう広い空間では適当に過ごして、たまに俺と狭い空間で趣味を分かち合って楽しむ。そういうのでも、十分素敵なことだと思う。お前、頑張ったよ。俺は、お前の味方だからさ」
「ええ。それは、実感した。私を受け入れてくれる人がいるっていうだけで、とても安心した。嬉しかった」
「じゃあさ――」
「でも!」

 環は下を向き、大声を出す。

「…………」
「でもそれじゃあダメなの。それじゃあ、報われないじゃない……」

 報われない。前に障碍者の話をしたときに出た台詞だ。

 やっぱりだ。
 ただ環は自分の好きなものを否定されるのが嫌で、この社会に反発しているわけじゃない。

 いや、否定されるのが嫌で反発しているのだろう。でも、俺にはない何か強い意思、使命感を持ってやっているんだ。

 なんていうか本当、やっぱりこいつは主人公、だよな。俺とは正反対だ。

「すまん。お前の意思を否定するようなことを言って」
「いえ、私にもあなたと同じ気持ちがあるって実感できたから構わないわ。でももうひとつ実感した。自分の好きなものを否定されるこの社会が間違っているって改めて実感した。私たちの狭い空間を否定される社会が間違ってるってやっぱり思った。だから私は勇気を出して社会に立ち向かわなくちゃならないの。そのために一歩ずつ前に進まないとならない。でも私は……進めなかった。進めなかっただけじゃない、あなたを、肯定できなかった」

 環はずっと下を向きながら歯噛みする。

「俺のことはべつに気にしなくていいよ」
「ダメよ。あなたを肯定できないなら、この社会を否定することもできない。それに、どうしてかわからないけど……あなたを否定されたことが、すごく、腹立たしかった。それなのに、私は何もできなかった。それが一番、悔しい」
「……環」

 本当に、俺のことなんてどうでもいいのに。俺はただ、環が求めるものを手に入れてほしいだけなんだ。

 くそっ、俺のせいで、環は余計につらい思いをさせてしまった……。

「…………うぅ、悔しい、よぉ」

 環は腕で拭う。右のポケットの中身を強く握っている。

 すると、さきほどの女子生徒たちが下駄箱にやってきた。

「っ! 久遠さん!? どうしたの!? 猪尾に何かされたの?」

 女子生徒たちは環に近寄り、様子をうかがう。

「猪尾! 久遠さんに何したの!」

 女子生徒たちのひとりが俺に問い詰める。

「えっ、お、俺は……す、すみません」
「すみませんじゃないよ。なんで久遠さんを泣かしたの?」

 俺は泣かしてねえよ。
 そう言ってやりたかったが、言えなかった。

 何かを言ってしまったら、俺と環の間に特別な関係があると思われる。それは、環が俺と同じ人種だとばれてしまう。それに対し、環は恐怖心を抱いている。

 まだ――環はその恐怖に立ち向かう段階じゃない。

 そう思い口をつぐんでいると環が女子生徒たちに俯いたまま体を向けた。

「くっ、…………宅也は、変な人じゃ、ありません」

 環が顔を上げ、女子生徒たちに向かって一歩進む。

「え、どうしたの久遠さん?」

 環は目元を拭い、女子生徒を真っ直ぐ見つめる。

「間違えました。宅也は、猪尾くんは変な人です。でも、それは宅也を知ってる私だから言えることです。宅也は変で気持ち悪いです」

 ぼろくそ言ってくれんな。馬鹿にしていい理由にはなってねえだろ。

 環は続ける。

「でも、優しくて勇気のある人です。それも宅也を知ってる私だから言えることです」

 なんだよそれ。

 でも、よく頑張った。一歩前進したな。

 俺は呆れ笑いをする。

「なんかよくわかんねえけどその女泣いたから後はお前らでなんとかしといて」
「えっ」

 環は目を見開く。

「ちょ! あんたが泣かせたんでしょ!」
「知らねえよ。じゃあな」

 俺は上履きを下駄箱にしまい、靴を取りだし、学校を出る。
 
 ちょっと無茶振りだったかもしんねえけど、後は上手くやれよ、環。

 俺は笑みを浮かべて帰途に就いた。


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