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「赤い糸を盗る」 第23話:黒雨の中の手

 狐人と芽衣は別れ、狐人は校舎裏から去り、駐輪場へと向かう。

「狐人」

 狐人の自転車の前には虎太郎がいた。

「あ、虎太郎。部活は?」
「今は抜けてきてる」
「何か僕に用事?」
「ちゃんと断ったか」
「なにが」
「桜の告白だよ」

 虎太郎は真剣な目を狐人に向ける。狐人は笑う。

「どうして断る必要があるんだよ」
「オレは桜の本性を知ってる。つい最近知ったんだけどな。あいつは歪んだ愛情をお前に抱いている」

 9月6日。虎太郎、狐人、芽衣、竜美の4人で遊びに行った帰り際、虎太郎は芽衣の写真フォルダを見た。

 写真フォルダには狐人の写真しかなかった。そして、狐人と関係を持つ女子たちとの盗撮写真も見受けられた。

「そうみたいだね。あ、ちょっと待って」

 狐人は鞄の中身を確認する。やはり芽衣がこっそり忍ばせていた盗聴器が入っていた。

 狐人はその盗聴器を投げ捨て、他に盗聴器らしきものがないか確認する。他にはそれらしきものはない。

「お前もお前だ。どうしてこんなことしてる」
「ああ、桜さんから聞いたんだ」

 虎太郎は芽衣を通じて、狐人が裏でやっていることを知らされていた。ネックレスのことは伝えられていない。

「わからないの?」
「あ?」


「全部、虎太郎が悪いんだよ」


「オレだと?」
「僕の好きな人は全員もれなく、虎太郎のことが好きだった。だから、お前の当てつけでもあるんだよ」
「…………」

「虎太郎が鈍感な振りをして、誰とも向き合わないから悪いんだよ。みんな、虎太郎という届かない太陽に手を伸ばしている。いや、届かないから手を伸ばしているんだ。

 でも、決して手を伸ばしても届かない。だから、その伸ばした手を僕が手に取った。そして今、お前が伸ばしている太陽も僕のものだ」

「銀杏か」
「さすがペテン師虎太郎。やっぱり気付いていたんだね」
「それもオレへの当てつけか」

「そうだよ。今まで僕が味わった苦しみを、味わうといい」

 狐人は歪んでしまった。事あるごとに虎太郎の架け橋になってきた人生。常にストレスを抱えた人生。

 そしてそのストレスで黒い髪はすべて白髪になった。

 だから必ず、その根源である虎太郎に復讐すると決めていた。

 いや、本当は、惨めな過去の自分をなくしたかった。自分を、守りたかった。

 狐人は寝る前、そして起床する度に虎太郎に対する女子生徒たちの好意が黒雨のようにひたすら自分に降りかかる。

 布団にもぐっても黒雨からは逃れられない。

 次第に真っ暗な深海に沈んでゆく。未だにそれはなくならない。

 でも、深海の中から虎太郎に伸ばす手がある。

 だから狐人はその手を取り、伸ばされた多くの手で自分を包み込み、黒雨から身を守る。

 手はあたたかく、大切にすればするほど、手は自分の心を優しく掴んでくれる。異様な光景だ。

 多くの手が狐人を包む。だが、それが狐人にとってはとても落ち着くものだった。

 もっと、もっと、もっと、手が欲しい。そうすればいつか黒雨から逃れられると信じて。


「お前に邪魔をされても、オレは必ず運命の相手と結ばれる」


 虎太郎の目は闘志に満ちていた。

「ま、精々頑張ってみなよ」

 狐人は多くの手に包まれたまま、その手の隙間から目を濁して言う。

「お前はまだやり直せる」
「もう、無理だよ」

 数々の手を狐人は優しく触れる。どれも、失くしてはいけない。

「本当にこんなことしてお前は幸せなのか。オレへの当てつけだけのためだけにやってんだったらやめろ。ちゃんと向き合う。お前を苦しめることもしない」
「あ~、当てつけもあるけどさ、実際僕には、かけがえのない存在なんだ」

 この多くの手があるから、狐人は自分を保てるのだ。

「…………」

「ネックレス見つかるといいね。また今度、会うのは少し先になるけど、どうキミが動くか楽しみにしてるよ」
「お前は何をする気だ」

「秘密。とっておきだよ」

 狐人は寂し気に空を見上げる。芽衣に好意を寄せられたと知っても――
 

 黒雨は止まなかった。


「晴れなかったかあ……」

「なあ、狐人」

 虎太郎が俯きがちに口を開く。

「なに」
「オレたちの友情は、偽物だったのか」

 小学生になる前から一緒にいて、一緒に馬鹿やって、ときには困難もともに乗り越えてきた。いつも笑って怒って、それでも楽しく虎太郎と狐人は過ごしてきた。

 その日常は、とてもじゃないが偽物だったなんて虎太郎には思えなかった。

 狐人は虎太郎との日常を思い出す。さんさんと輝く太陽のもと、笑いあうふたりの姿を思い出した。

 笑顔で肩を組み、狐人が呆れて笑う。小学生になる前の頃、ふたり川辺で遊び、小学生の頃、ふたりでサッカーをした。中学生の頃、一緒にバスケをした。

 高校生になって、授業中、馬鹿なことをした。


 それが本物か、偽物か。それは――

「……さあね」

 そう言葉を残し、狐人は去って行った。

「……狐人。どうしてお前は……!」

 最初から自分のせいだったのか。自分が鈍感という言葉ひとつで現実を誤魔化していたからこんなことになってしまったのか。虎太郎は歯を食いしばる。

 他人の気持ちを理解することから逃げていたからこそ、狐人の気持ちを理解することもできなかった。

 もっと、もっと早く狐人の気持ちに気付いていればこんなことにはならなかった。今の狐人の歪んだ愛情は虎太郎が作ってしまったものだった。

 それに、気が付かなった。

――どうして! 気が付けなかったんだ! なんで一番近くにいたオレが気付いてやれねえんだよ!

「くそがあっ!」

 虎太郎は罪悪感と怒りで駐輪場にある自転車を蹴り飛ばした。


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