見出し画像

第10話 自分の世界 「小説:オタク病」

 放課後。俺は教室の掃除をしている。週を明け、今週は教室の掃除になったのだ。

 真面目に掃除する中、他の生徒は談笑している。

「あー猪尾、悪いんだけど後、掃除任せてもいい? 俺ら用事あるから~」
 同じ掃除当番の男子生徒が俺に言う。
「…………」

 いいわけねえだろ。つーか、この量ひとりで掃除すんの無理だから。

「えー、猪尾、後掃除してくれるの? 優しいー」

 女子生徒が言う。
 だから、ひとりでやんの無理だから。引き受けてねえし、優しくねえから。
 つーか何この典型的なモブ生徒。お前ら絶対主人公になれねえからな。

「そんじゃ後は頼むわー」

 そう言って他の掃除当番の生徒たちは教室を後にした。

「はあ」

 ま、慣れてっからいいけどさ。
 俺は教室の埃をほうきで集め、捨てる。
 そして床を雑巾で拭く。

 ああ、そうだ。今日は環に勉強教えてもらうんだった。
 待たせちまうな。

「よ」

 俺が他の掃除当番を心の中で呪っていると空馬が教室にやってきた。

「空馬、どうした」
「べつにー」

 そう言って空馬は雑巾をベランダから持ってきて床を拭き始めた。

「お前、バイトは?」
「ちょっとぐらい遅れても大丈夫」
「ダメだろ。早く行けよ」
「バイトなんてどうでもいいよ」

 空馬はそう言ってテキパキと教室の掃除をする。

「……慣れてっからお前は気にすんな」
「綺麗な教室の方が居心地いいんだよ」
「…………」
「害がないなんて嘘じゃねえか」

 空馬が俺を見ずに言う。

「これぐらい害でもない。むしろ雑音がなくなって掃除に集中できる」

 俺と空馬は床を雑巾で拭き終わり、机を所定の場所へと運び始める。

「お前は昔からそうだよな。なんで言い返さねえんだよ」
「そっちの方が効率悪い」
「良い機会じゃねえか」

 空馬は笑みを浮かべる。

「なにが」
「久遠のプロデュース大作戦。お前も乗っかればこんな状況にはならねえだろ。野ブ〇パワー注入」

 空馬はよくわからないポーズをとるが、よくわからないのでスルーする。

「俺のことはどうでもいい」
「どうでもよくねえよ」

 空馬は急に真面目な表情をする。

「なんでだよ」
「少なくともお前は今の状況を嫌ってんだろ。今の状況だけじゃない。お前はずっと人生に絶望してる」
「しょせんリアルに理想を求めたって碌なことにはならないからな」

 俺の信条は『リアルには何も求めない』だ。

「今はそう思ってねえんだろ」
「…………」
「久遠の理想を、叶えたいんだろ。現実世界に期待してないと言いつつ、久遠には期待してんだろ? どうしてそこまで久遠にこだわんだよ。お前べつにあいつのこと恋愛対象として見てねんだろ?」
「当然だ。俺はあいつを好きというわけじゃない」
「前者の質問には答えねえんだな」

 俺は天井を見上げる。

「俺も、わかんねえんだよ」
「どうして久遠に期待してるか、をか?」
「ああ。俺は久遠が好きなわけじゃねえし、ぶっちゃけ久遠にこの社会を変えてほしいとも思ってない」
「じゃあ何を期待してんだよ」
「それが、わかんねえんだよ」
「そんなわからねえもんに、お前は自分を犠牲にすんのか? そんなんだったらやめろ。見てるこっちが腹立たしい」

「お前は関係ないだろ」

「関係ねえわけねえだろ。お前はオレのダチだ。そんでダチだからわかる。お前はただ純粋なだけだ。それだけでお前はこんな目に遭ってる。本当は俺がお前をこんな目に遭わせてるやつに一言言ってやろうかと思うけどさ、そんなことしたらお前こう言うだろ。『余計ないことはするな』って」
「そうだな。余計なことだ。俺のためにお前が犠牲になる必要はない」
「じゃあお前もそうだ。久遠のためにお前が犠牲になる必要ねえだろ」
「べつに犠牲になんてなってねえよ」
「なってんだろ。聞いたぞ。お前、久遠と仲良くしてるところを見せないために動いたんだってな。これを犠牲じゃなくてなんて言うんだよ」
「事実だからな。俺と環はべつに仲良くなんてない」
「じゃあどうして偽物のカップルなんてやってんだよ。矛盾してんだろ」
「………」

「久遠はお前に期待してんだよ。一緒に歩める仲間として信じてんだよ。お前もそれはわかってるよな。でもそれを理解しつつ、久遠を庇ってる。お前は常に久遠のために動いてる」

「はあ、知らねえよ。俺がそんなお人好しなわけないだろ」
「それは知ってる」
「そこは否定しろ」

 ふたりで笑い合う。

「で、どうしてお前は常に久遠のことを考えて動いてんだよ」

 空馬は俺に真面目なトーンで問う。

「だからわかんね――、ああ、もうわかったよ。そんなマジな感じで聞くなよ怖えな。たしかに俺は環に期待してるよ。だってあいつ、ただ自分が好きなものを好きなだけなのに毎日怯えてんだよ。でもあいつには自分の世界を変えたいっていう意思がある。だからあいつなら、あいつの世界を変えられるって思うんだよ。社会なんて変えなくていい。ただあいつの見る世界が変わればいい」
「それはオレも同じだよ」
「お前も久遠を思ってくれんのか」
「違う。久遠じゃねえ。宅也、オレはお前に、お前の世界を変えてもらいたい。やろうと思えばできんだろ。オレや一ノ瀬、そんで今は久遠もいる。そんな中、自分だけ犠牲になって、世界を変えようとしない。それが腹立つって言ってんだよ」
「そんな怒んなよ。俺は自分の世界を変えるつもりがない」
「なんでだよ」

「今の俺の世界を変えたら、俺は今までの俺を否定することになるからだ」

 俺の信条『リアルには何も求めない』。

 これは、二次元という世界を純粋に肯定するためにあると言ってもいい。もしこの信条を曲げ、リアルに何かを求めてしまったら、俺がずっと守ってきた二次元という世界を純粋に肯定できなくなってしまう気がする。

 俺は嗜好物として二次元と接しているわけではない。二次元が俺にとってのすべてなんだ。そのすべてにリアルという不純物を混ぜたくない。

「どういう意味だよ?」
「リアルがくそだから、二次元がより好きでいられるような気がするんだ。俺がずっと自分だけで守ってきた俺だけの二次元の世界。それを今さら捨てようとは思わない」

 俺ははっきりとわからない言葉を紡ぐ。

 こんなんじゃ空馬は納得しないだろ。

「現実と二次元の両立は無理なのかよ」
「俺には無理だ。でも、環ならできる。あいつがそうしたいと思ってるから。俺、あいつに聞いたんだよ。わざわざ世界に変えずに俺と環で狭い二次元って世界で楽しめればいいじゃねえかって」

 思い出して、少し恥ずかしくなって、笑みがこぼれる。

『リアルには何も求めない』と言いつつ、俺は変なことを口走ってしまった。

「そんで?」
「あいつはそれじゃダメだって言った。あいつはあいつなりに俺と違って広い世界に進みたいと思ってんだ。俺にはそんな風に思うこともできねえ。でも、あいつならできる気がする。その理想を叶えるためなら、俺は、俺にできることがしたい。あいつはきっと、俺と違って、主人公だから」
「主人公?」
「俺、馬鹿だよな。矛盾してるよな。リアルに何も求めないと言いつつ、リアルと二次元の区別もつけてんのにも関わらず、あいつを主人公だと思って、そんで、俺を踏み台にして報われてほしいと思ってる」

『報われないじゃない……』

 環のことを思い出す。
 何が報われないのか、未だわからない。

 でも、なんだかよくわかんねえけど、俺はあいつに報われてほしい。

「環に、ふたりだけで二次元の世界を一緒に楽しもうって提案して、それを否定されたのは、正直ショックだった。でも同時に、やっぱりこいつは俺と違って主人公なんだなって思った」
「お前は、自分の世界を守ったまま、現実の久遠という主人公が報われる世界が見たいんだな」
「矛盾してるよな」
「ああ、矛盾している。お前はお前だけの世界を求めつつ、お前はお前の世界じゃない現実で理想を追い求める。わけわからん」
「だよな」

 再び俺と空馬は笑いあう。

「でもなんとなく、お前の気持ちはわかった」

 空馬は頷く。

「さんきゅ。そんで、お前に頼みがある。友だちとして、いや、親友として」
「なんだよ。なんでもやってやるよ」
「俺があいつの背中を押すとき、お前には俺の背中を押してほしい。あいつの願いを叶えるための俺の行動を受け入れて、そんでその手伝いをしてほしい」
「また、自分を犠牲にするつもりか」
「さあ、そんなときが来るかもわかんねえ。でも、そうなったら頼む。絶対にあいつの理想を叶えてやりたいんだ」
「…………わかった」

 空馬は苦虫をかみつぶしたような表情をする。

「そんな顔すんなよ。それが俺のリアルでの、唯一の理想なんだよ。俺の願いなんだよ」
「どんなことになっても、オレはお前の味方だからな」
「ああ」

 俺は努めて笑う。
 話しながらふたりでやっと教室の掃除が終わった。

「やっぱオレ、羨ましいわ」

 空馬が微笑する。

「なにがだよ」
「お前みたいに、純粋に好きになれるものってないからさ。……昔からそうだ。お前は、俺にとって憧れだよ」
「それはこっちの台詞だ。俺を羨む要素ねえだろ」
「あるよ。だから俺だけじゃない。一ノ瀬もきっとお前のことを羨ましく思ってる」
「は? 一ノ瀬が?」

 俺は意外な人物の名前が出て、素っ頓狂な返事をする。

「ま、あいつの考えてることはなんとなくわかるってだけで、完全にわかってるわけじゃないけどな。でもな、だからこそ、お前は自分を犠牲になんてするなよ。ショックを受けるのはお前だけじゃないんだからな」
「はあ」

 一ノ瀬が俺を羨む。とてもそんな風には思えない。あいつは俺に同情しているだけだ。それ以上俺に対して思う気持ちなんてないだろう。といっても、あいつは同情してる割に俺を馬鹿にするからな。

 本当、リアルの女は何を考えているかわからない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?