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「How much are you?」 第9話:成海胡桃

 会社から帰る途中、仁の人生においてとても奇妙なことが起こった。

 どうしてこんなことになっているのだろう、と仁はこめかみに手を当てる。

 仁は遊園地に来ていた。
 決して仁の趣味というわけではない。
 むしろ、仁は遊園地などのテーマパークをあまり好む質ではなかった。

 人混みがとても嫌いだ。

 規律のとれていない雑踏の中、どこからともなく聞こえる人の声、それらが耳に入るだけで頭痛を起こす。

 現に今も頭が痛い。
 それでも仁がここにいる理由は仕事の一環? だからだ。

「おにいちゃん! 次はあれに乗ろっ!」

 甲高い声が仁を呼ぶ。
 やれやれ、俺はガキが嫌いなんだ。
 うるさいし、理屈が通じない。
 どうして、こんなガキに連れ添わなきゃならんのだ。

 仁は深呼吸する。

「いいね! 行こうか!」

 仁は元気よく返事をする。

 はぁ、やっぱり小学生は最高だぜ!

 仁を呼ぶ少女の名前は成海胡桃なるみくるみ。小学3年生でイギリス系のハーフだ。

 ハーフだけあって、髪色は黄金色。黄金色は綺麗な川のように眉にかかる。後ろでふたつにまとめ、腰まで長くある。笑うとその黄金色の髪よりも輝きを放つ。

「くるみちゃんは何か好きな食べ物ある? お兄ちゃんなんでも買ってあげるよ」
「うーん、アイスが好きっ」
「俺もアイス大好き! よぉ~し、それじゃあアイス100個買ってくるよ!」
「そんなに食べられないよぉ~、ふふっ、おにいちゃん面白い」

 胡桃は口元に手を当て清楚に微笑む。

 まるで天使のようだ。いや、天使だ。
 どうして俺がこんな天使と一緒にいるか。

 それは――

 午後3時。会社を退社する。

 仁はこめかみをマッサージする。
 少し疲れた。
 平日は学校と放課後に会社で仕事をする。
 休日は忙しさによるが、基本的に土日は午後まで仕事をする。

 少し休もうと帰途に着く途中、仁は少女に話しかけられる。

「おにいちゃん!」
「っ」

 仁は驚き、その少女を見やる。

 天使がいる……!?

「ど、どうしたんだい? 人を間違えているんじゃないかい?」

 仁はどうにか平静を保ちつつ、少女に疑問を呈す。

「ううん、おにいちゃんで間違いないよ。おーるばっくでメガネをしている人、桐生仁おにいちゃんだよね?」
「そ、そうだけど……」

 どうして自分のことを知っているんだろうと仁は一瞬気になったが、仁は目の前にいる天使に気を取られ、そんな思考はすぐに消え去ってしまった。

「おにいちゃんと一緒に遊びたい!」

 どういうことだ?
 脳が混乱する。
 これは何かのドッキリか?
 最近は一般人に向けてドッキリを仕掛けるテレビ番組があるという。
 仁はテレビを見ないが、それだけの知識はあった。
 だとしたらこれは、罠だ。

 気を付けなければならない――――

「いいよ! 遊びに行こう!」

 仁は笑顔で答える。

 仁が心の底から笑ったのはいつ振りだったか。
 彼は疲れていたのだ。

 少女はその笑顔を見て、ひまわりのように輝かしい笑顔を仁に向ける。

「胡桃の名前は、成海胡桃。よろしくね! おにいちゃん!」
「よ、よろしく。その……」

 仁が言い淀む。

「なぁに?」

 胡桃が純粋な顔で仁を見つめる。

「……くるみちゃんって呼んでいいかな?」
「いいよ!」

 胡桃が満面の笑みを浮かべ、仁はほっと胸を撫でおろす。

 ああ、本当に可愛いな……。

「それで、くるみちゃんはどこに遊びに行きたいの?」
「うーん……遊園地!」
「オーケーわかった! へいタクシー!」

 仁は勢いよくタクシーを止め、近くの遊園地に向かった。


 仁と胡桃がアトラクションの順番待ちを最中、ほんの少し沈黙があり、そこで仁はふと冷静になった。

 あれ? 俺、何をしているんだ?
 ありのまま起こったことを考えよう。
 たしか、仕事をして家に帰ろうとしたところ少女に話しかけられ、そのままその少女と一緒に遊園地で遊んでいる?

 何を言っているかわからないが、俺にもわからない。

 そもそも胡桃は誰なんだと仁は冷静に考える。

 自分のことを知っていたことから仕事の関係者だと考えられるが、顧客に胡桃は当然入っていない。

 ナルミ……クルミ……
 仁は頭の中で名前を復唱する。

 ナルミ……成海か!

 冷静さを失った仁は出逢った当初気づかなったが、いま現在仁が担当している顧客、成海瑠美菜と苗字が同じだ。文字を見たわけではないから本当に同姓かどうかはわからないが、おそらく瑠美菜の関係者だろう。

「くるみちゃん」
「なぁに?」

 常に話すときは仁の目を見て、笑顔で話す。
 仁はその輝きが眩しく、仕事を忘れそうだが、なんとか平静を保つ。

「くるみちゃんの名前は漢字でなんて書くの?」

「みょうじは、成長の成で、海! 名前はね、食べ物のクルミ。それで胡桃って言うんだよ!」

 成海、胡桃、か。やはりそうか。

「そうなんだ。それと、くるみちゃんって、瑠美菜って人知ってる?」
「うん! 知ってるよ! 瑠美菜お姉ちゃんでしょ?」
「お姉ちゃん? 姉妹なの?」

 そんな情報は瑠美菜からも霞からも聞いていない。

「うん! 胡桃のママと瑠美菜お姉ちゃんのママは違うけど、パパは一緒だよ」
「そうなんだ」

 ということは胡桃と瑠美菜は異母姉妹ということか。
 これは、何か重大な情報な気がする。

「そもそも、くるみちゃんはどうして俺のことを知ってたの?」
「うーんとね、仁おにいちゃんは胡桃の夢を叶えてくれるって教えてくれた人がいたの」
「夢?」
「うん! 胡桃はね、アイドルになりたいの! 瑠美菜お姉ちゃんと一緒にね!」
「っ!」

 まさか、胡桃は瑠美菜と同じくアイドルを目指していたとは。

 しかも、成海と同じということは同じアイドル事務所のオーディションを受けている?

 仁は顎に手をやる。

 なるほどな……。
 全貌がなんとなく見えてきた。

 おそらく、成海とくるみちゃんの父親が今回の件で強い影響をもたらしている可能性が高い。

「アイドル、いいね。くるみちゃんはどうしてアイドルになりたいの?」

 胡桃は笑顔で言う。

「アイドルはね、輝いてるってパパが言ってたの。それで、胡桃もアイドルを見て、輝いてるって意味がわかったの。胡桃もね、アイドルになって輝きたいって思った!」

 やはり父親が影響しているのか。

 だとしたら、瑠美菜がアイドルを目指している理由も何らかの形で父親が関与している可能性が高い。

 親に諭され、夢を抱くことは本当に本人にとっての夢と言えるのだろうか。

 仁は自分に置き換える。

 物心ついたころから財務や金のことを勉強し、今では父が経営している銀行にバンカーとして勤めている。

 それは、俺の意思なのだろうか。
 意思とは、夢とは、希望とは何なのだろう。

 そこで、仁は霞の言ったことを思い出す。

『聖城くんの狙いは、キミ、仁くんなのかもしれない』

 仁と瑠美菜、胡桃は自分と似たような状況に置かれている。
 そんな中、仁は一体どんな選択をするのか。

 試されているのかもしれない。

 それが聖城の狙いだとしたら、本当に腹立たしい。
 他人の事情に土足で入り込まれるような気持ちだった。

「ねえ、おにいちゃん! 胡桃、アイドルになれるかな?」

 胡桃が少し不安そうに問う。

 仁は胡桃を観察する。

 ビジュアルはS! 中身もS! 人を惹きつける性質もS!
 完璧なアイドル体質だ。

「絶対になれるよ!」

 バンカーが『絶対』なんて言葉を使うのはバンカーとして失格だ。
 それでも今の仁は完全に胡桃に酔っていた。
 
 仁は思う。
 聖城がどんな目的を持っているのであれ、このような天使に巡り合わせてくれたことに感謝しなければならない。

 おっと。

 仁は頭を横に振り、正気を取り戻す。

「そういば、誰に俺を紹介してもらったの?」
「えっと、たしか……せーじょうさんって人。パパの知り合いなの」

 完全に黒だ。
 
 頭を整理するため、一旦、今の状況を振り返ろう。

 成海瑠美菜はアイドルを目指している。その一方で病気の母の治療費を賄うという目的を持っている。

 成海胡桃も同様にアイドルを目指している。それは父に諭されたからだ。

 このことから、瑠美菜と胡桃の父親は娘ふたりをアイドルにさせようとしている。

 目的はおそらく、金だ。

 アイドルは今のエンターテインメント隆盛時代には金稼ぎにもってこいの産業だ。

 娘が大きな財産を得たら、それを自分の財産にするつもりだろう。

 しかし、気になる点がある。
 胡桃がアイドルになり、それを自分の財産にするのはわかる。

 ひいき目が多少・・あれど、胡桃にはたしかにアイドルとしての素質がある。
 それは、わかる。

 しかし、瑠美菜はどうだ。
 アイドルとしての素質は薄い。

 それでも、なぜ父親は瑠美菜をアイドルにさせたがっているのか。

 ましてや、仮にアイドルとして瑠美菜が大成しても、それは瑠美菜の母親の治療費、及び、アイドル活動費、生活費に消えるだろう。

 それにも関わらず、成海をアイドルにさせようとする魂胆がわからない。

 いや、もしかして……。
 また霞に頼まなければならないことが増えたと仁はため息をつく。

「どうしたのおにいちゃん?」

 胡桃が心配そうに仁を見上げる。

「ううん、なんでもないよ」

 仁は頭を横に振り、胡桃に笑顔を向ける。
 
 とにかく、今は目一杯遊びつくそう。
 ストレスが溜まっていたんだ。
 多少、少女と遊び、戯れていても神様も納得してくれるだろう。
 仁は久方ぶりに楽しみ、笑顔で一日を過ごした。


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