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「赤い糸を盗る」 第1話:運命の相手

 9月1日。朝7時20分。
 今日は雲ひとつない晴天だった。

「いい天気だなー!」

 魚金虎太郎うおがねとらたろうは軽快に自転車を漕ぎながら満面の笑みを浮かべる。

 ストレートな黒髪が風に揺れ、さらさらと黒いカーテンが前髪にかかる。 

 自転車を立ち漕ぎすることによって高身長がより高く見える。半袖半ズボンの体操着の肩にはサッカー部専用の大きなショルダーバッグが掛かっている。

「僕としてはもう少し曇っていた方がいいね。暑すぎる」
 黒崎狐人くろざききびとワイシャツを扇ぐ。

 夏休み明けの9月。

 未だ夏の暑さを残す空気に狐人はうだり、呆れた表情でため息をつく。

 学生にしては珍しい白髪の天然パーマが風に揺れ、前髪が目に入る。

「夏休み明けの登校初日が雨よりはマシじゃねえか。部活も最高の気分でできるしな」

 虎太郎は白い歯を見せ狐人に笑みを向ける。

「今日は午前中で学校は終わりでしょ? 今日も部活あるんだ」
「当たり前だ。キャプテン権限」

 虎太郎が所属するサッカー部は夏の大会を終え、3年生が引退し、虎太郎がキャプテンになった。

 1年生の頃からエースを張っていた虎太郎がキャプテンになるのは必然だった。

 それにしても、夏休み明け初日にも関わらず当たり前のように部活動をさせられる他のサッカー部員がかわいそうだと狐人は苦笑いする。

「それにしてもだよ。登校初日から朝練はどうなの? というか、サッカー部じゃない僕まで巻き込んでさ」

 7時20分。朝のホームルームが始まる1時間前。虎太郎と狐人は早すぎる登校をしていた。

「お前も生徒会の雑用があるから早く出るって言ってたじゃねえか。ちょうどいい」
「はあ」

 狐人は生徒会の書記をやっていた。今日は始業式のためその準備を生徒会が行うことになっていた。

 8時に生徒会役員は集合とのことなのでさすがに早すぎる。

 そんな狐人の都合は関係なく、虎太郎は狐人の彼女かごとく家の前まで迎えに来た。

 さすがに無視することはできなく、こうして狐人も一緒に登校している。

「よっしゃ! 飛ばすぜ!」
「ちょ、待ってって」

 虎太郎はママチャリを漕ぐスピードを上げ、校門を曲がる。しかし――

「やべっ!」
「虎太郎!」

 虎太郎が勢いよく曲がった先にちょうど生徒がおり、虎太郎は急ブレーキを踏む。ブレーキが急すぎて虎太郎は自転車から吹っ飛ぶ。

 吹っ飛んだ虎太郎は華麗に受け身をとったものの肘をすりむき、血が出ていた。

「痛ってえ」

 虎太郎が起き上がる。

「大丈夫?」

 狐人は自転車を降り、虎太郎に駆け寄る。

「ああ、それよりも、あんた大丈夫か」

 虎太郎が顔を向ける先には女子生徒が立っていた。

「っ!」

 狐人は目を見開く。

「…………」

 夏服用の肌色のカーディガンに縦横のラインがあるスカート、その女子生徒は虎太郎を無言で見つめる。

 艶のある長い黒髪は夜空のように美しく煌めく。風に揺れ、まるで小さな星空がそこにあるかのようだ。

 小さな羽のような長い睫毛のもとには、前髪が少しかかる大きな瞳があるが、生気がない。

 鼻先が高く、艶のある黒い髪とは対照的な真っ白な肌から洋風な雰囲気を醸し出している。

 可憐な黒髪の少女は無表情のまま虎太郎から目線を外し、校舎に歩いて入っていった。

「無視かよ」

 虎太郎は「いっつつ」と言いながらジャージに付いた土ぼこりを払い、立ち上がる。

「…………」

 狐人は黒髪の少女を目で追う。

「どうした?」
「ああ、いや、なんでもないよ。それより、血出てるから保健室……は、まだ開いてないか。とりあえず傷口を水で流そう」
「そだな」

 虎太郎と狐人は駐輪場に置き、体育館の裏にある水道で傷口を水で流す。

「ああ、痛ってえな。ったくよぉ、登校初日から散々だぜ」
「あんな勢いよく曲がるからだよ。……それにしても、綺麗な人だったね」
「ん? あんまよく見てねえからわかんなかったよ。つーか、たしかにオレが悪りいのはたしかだけどさ、心配の一言ぐらいあってもよくね?」
「…………」

 虎太郎が少し体をかがめ、肘を洗っている首元にはハートの半分の形をしたネックレスが揺れている。

「おい」
「え、なに?」
「いやだからあの女子よお、心配の一言ぐらいあってもいいんじゃねえかって話」
「そうだね。ま、勝手にひとりで事故ってる虎太郎に一笑いぐらいあってもいいよね」

 狐人は微笑む。

「笑ってほしいわけじゃねえ。つーか、こんな時間になんで校門に生徒がいんだよ。もしかして、生徒会のやつ?」
「……いや、違うよ」
「じゃあなんなんだろうな」

「転校生、とかじゃないかな」

「は? なんでそんなことわかんだよ」

 虎太郎は首を傾げる。

「だって、始業式初日から部活をやるなんてサッカー部ぐらいだし、生徒会の人じゃないなら残りの選択肢はそれぐらいでしょ」
「ああ、たしかにそうか?」

 虎太郎はいまいち納得がいってなかった。たしかに狐人の言う通りだが、それで転校生だと断定はできないだろう。

 狐人が人の言動の裏や機微によく気づくことを虎太郎は知っていたから、そういうものかと思う反面、少ない情報だけで転校生だと言う狐人の言葉には疑問を覚えた。

 何か狐人しか知らない情報があるのかもしれないと虎太郎は思った。例えば、生徒会役員の狐人は転校生が来ることを知っていたとか。

 ま、どうでもいいかと虎太郎は思考を止め、傷口を見やる。

「とにかく、事故にならなくてよかったね」
「そうだなー。うし、こんなもんでいいか」

 虎太郎はシャツで傷口の水を拭う。

「それで朝練するの? 大丈夫?」
「サッカーなんて怪我しててなんぼなスポーツだからな。もはや格闘技」
「これだから体育会系は。相容れないね」
「そういうお前がオレと体力テストで大差ないのが腹立つわ」

 狐人は肩をすくめる。

「運動能力も勉強も虎太郎には敵わないレベルだよ。はあ、もしかして自慢?」
「ひねくれてんな~。そんなんだから彼女できねえんじゃねえの?」
「うるさいな。それは虎太郎も一緒でしょ」
「オレには、これがあっから」

 虎太郎は胸元にあるネックレスを見つめる。半分に割れたハート型のネックレス。

 もうひとつの半分に割れたハート型のネックレスがあることによってハートが完成する。

 虎太郎の初恋の女の子。小学生になる前に出逢った女の子とそのネックレスを交換し、今も虎太郎はそのネックレスを大切にしている。

 片方のネックレスを持つ運命の女の子を探し求めているのだ。

 虎太郎は文武両道、才色兼備。当然モテる。告白も雨のように止まない。しかし虎太郎は初恋の相手に固執し、誰とも付き合わないのだ。

「はあ、羨ましいよ。そんな運命の子を探し求め、しかし、数々の女の子に好意を寄せられる。まるで物語のハーレム主人公だね」

 狐人は白い前髪に触れる。

「お前だって見た目悪くねえだろ。お前が必要以上にその髪を気にして、誰からも一線引いてるからみんな近づけねえんだよ」
「……まあ、そうかもね」

 狐人は自信の見た目にコンプレックスを抱いていた。幼い頃から白髪が少しずつ生え、今では元の黒髪がすべて白く染まっている。

 狐人は虎太郎が羨ましくモテたい時期があった。

 それは中学生の頃だった。

 その頃には完全に白髪だった狐人は黒髪に染めたりもしていたが、それでも結局、モテるのは虎太郎。

 狐人はその現実を見て自分が馬鹿馬鹿しくなり、黒髪に染めるのを止め、今に至る。

 どうせ自分の見た目を変えたところで環境は変わらない。それならばもうどうしようもない。

 狐人は諦めた。

 しかし、諦めたとは言ってもそれでも狐人は誰かに恋をすることを止められるわけじゃなかった。

 虎太郎はニヤニヤと笑う。

「今学期こそはさくらと仲良くなれるといいな」
「本当にうるさいな」

 狐人は頬を染める。

 桜芽衣さくらめい。狐人が想いを寄せる相手だ。
 金曜高校2年A組。

 虎太郎と狐人、そして桜芽衣がいるクラス。

 誰も寄り付かない狐人に対しても分け隔てなく接してくれるクラスメイトの女子、桜芽衣。

 狐人が恋に落ちるのは必然だった。

「オレが手助けしてやろうか?」
「本当に言ってる?」
「ったりめえだろ。親友の恋路の手伝いなんて面白そうじゃねえか」
「面白がらないでくれない? こっちは真剣なんだから」

 狐人は目を細め、虎太郎を見つめる。

「オレは面白いことしかしない」
「やっぱり協力してくれないでいいよ」
「冗談だって! ちゃんと考えてっからさ」
「考えてるって?」
「お前が桜とお近づきになれる方法をよ。オレに任せればきっと上手くいく」
「良いことを教えてあげるよ。よおく聞いてね」
「なんだよ」

 虎太郎は眉間に皺を寄せる。

「虎太郎は馬鹿だから当てにならない」
「誰が馬鹿だ! これでも勉強はできんだぞ!」

 事実、虎太郎の成績は完璧。常に学年1位だ。そして、狐人は2位。

「勉強ができるのと地頭の良さは別なんだよ。現に、虎太郎は鈍感だ」
「オレのどこが鈍感なんだよ」
「一度でも自分に好意を持っている女の子の気持ちを察したことある?」
「ぐっ」

 虎太郎は顔を歪ませる。

「ほら」

 狐人は笑って言う。

「……そういうお前はどうなんだよ。自分に好意を持ってるってわかんのかよ」
「うん、わかるよ。そうして僕は何度も自分に好意を持っていると思っている女の子にアプローチをして、何度も振られている」

「うん、ごめん。オレが悪かったよ」

「だからそんなお馬鹿恋愛体質の虎太郎に頼るのは泥船に乗るようなものなんだよ」
「言い過ぎじゃない? オレそんな馬鹿じゃないよ?」

「鈍感系ハーレム主人公。地に落ちろ」

「いや悪意がすげえ! お前オレのこと嫌いなの?」
「まあ、僕の好きな子が虎太郎に好意を抱いていると知ったときに殺意が芽生えるぐらいには好きだよ」
「うん。だからそれを嫌いって言うんだよ? わかったよ! ちゃんとふざけないで無難に手伝ってやっからよ」
「本当に?」
「ああ、マジだよ」
「じゃあ頼りにしてるよ」

 狐人は微笑む。真面目な顔で言うとき虎太郎は嘘をつかない。それは長い付き合いの狐人だからこそわかっていた。

 多少、期待できるかもしれない。

「任せとけ。そんじゃ、そろそろ部活行くわ」
「うん、頑張って」

 虎太郎は怪我を一切感じさせない笑顔で手を振り、部室棟に向かってゆく。

 狐人も少し早いが生徒会室に向かった。


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