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第18話 夢の終わり 「小説:オタク病」

 それから俺は一ノ瀬に付き合わされ、昼食をはさみつつ3つほど絶叫マシンに乗った。

「はっ、ははははは!」
「だ、大丈夫!? ついにおかしくなっちゃった!?」
「いや、なんかめちゃくちゃ怖いんだけど、なんか癖になってきた。怖さが逆に気持ちいい。快感だぁ。超キモチイイィ!」

 俺は興奮のあまり両手を空に掲げる。

「まあその気持ちはわかるけど、表現の仕方が気持ち悪いから素直に共感したくない」

 俺が両手を掲げニヤついていると、一ノ瀬は俺から一歩離れる。

「なあ! 他に絶叫マシンはないのか!?」
「うーん、だいたい乗っちゃったからね。それにもう結構いい時間だし、他のも乗りたいな」
「ああ、そうだったな。何乗る?」

 俺は興奮を抑えて一ノ瀬に問う。

「『イッツアビッグワールド』とかかなー」

 俺はマップを見て、『イッツアビッグワールド』の場所と概要を見る。

「上ら辺にあるのか。えっと、『世界で一番幸せな船旅』。人気アトラクションなんだな」
「けっこう迫力あるんだよー。ほら、行こっ」
「おう」

 俺と一ノ瀬は目的地に向かう。


 何度見てもビビるスタッフさんのハイテンションに合わせ、船が動き出す。

「おお、本当に船だな。めっちゃ水」

 俺は船から身を乗り出す。

「危ないよ。ほら、それよりも景色を見てよ。すごいでしょ?」
「ああ、たしかに」

 軽快な曲に合わせて船が進む。周りには小さな山で踊る小人、上を見上げると三日月の上に小人が座っている。
 ゆっくりと、ゆっくりと船は進む。色んな世界の土地を模した作り物の上に小人がいる。そうか。ここは世界を表現しているのか。
 たしかに一ノ瀬が言った通り世界観に迫力がある。なんだか気圧されるほどだ。

 怖いとまでは言わないけど、身が引く。鳥肌が立つ。それだけこのアトラクションに表現力があるのだ。

「これ、全部作り物なんだよな」
「そうだよー。ほんと、すごいよね」

 一ノ瀬は目を輝かせて景色を眺めている。

 作り物でこれだけの表現ができるのだ。このアトラクションが人気なのも頷ける。

 作り物、フィクション、偽物。
 そんな事実と感動は関係がなかった。作り物で、これだけ人は感動できるんだ。
 その事実は、俺には覚えがあった。

 二次元。無限大に広がる世界に俺は感動をする。リアルという世界にはない感動がそこにはあった。
 たとえリアルじゃなくても、作り物、フィクション、言ってしまえば偽物でも、そこには確かな感動があった。
 感情を揺さぶる世界がそこにはあった。そこにしかない感情があった。

 やっぱり俺は、二次元の世界が好きだ。

 このアトラクションを乗って改めて思わされた。二次元には無限大の可能性があって、その可能性ひとつひとつに感情を揺さぶられる。そうして、俺の感情は作られていた。


 ――――二次元、フィクション、偽物でも、人の心は動くのだ。


 それは事実だ。創作物はときに現実よりも心を揺るがす。それを否定する人もいるだろう。結局、作り物は偽造でしかない。それ以上のものはない。

 でもきっと、このアトラクションに乗って感動している人はそういう考えを持っていないのではないだろうか。そして、このアトラクションが人気ということは、多くの人がフィクションによって心が動かされているということなのではないだろうか。

 この無限大な世界に、多くの人の感情が揺さぶられている。

 それは決して間違っていない。悪ではない。
 だから、同じように無限大な世界が繰り広げられている二次元が人の心を揺さぶるのは決して悪とは言えないのではないだろうか。無限大な世界に熱狂的であることは、決して間違っていることではないのではないだろうか。

 それでときに現実世界に目を向けず、フィクションに没入することもある。

 でも、それは本当に悪なのだろうか。

 フィクションに、二次元に心を動かされる人、俺や、あいつ・・・は間違っているのだろうか。

 俺はたとえ俺たちを間違っているという人たちがいても、決して自分たちの世界を否定することはしない。なぜなら、二次元にはたしかに本物が、本物の心が動く力があるから。

 あいつ・・・はたしかにフィクションに心を動かされ、そして社会を変えるために動いた。絶望の最中、フィクションによって救われ、勇気を持って、前に進んだ。

 そうだ。二次元でも、フィクションでも、偽物でも、それでもいいんだ。

 そこには確かな本物がある。だから、胸を張って偽物を誇っていいんだ。
 
 俺もあいつ・・・も、胸を張って前に進んでいいんだ。リアルに何もなくても、その先にある無限大の理想を追い求めてもいいんだ。

 俺は広大な世界を前に目を瞑る。


 俺たちの世界は、理想は、無限大に広がっている。


「ありがとう、一ノ瀬」
「え?」
「お前のおかげで、前に進めそうだ」
「何のこと?」

 一ノ瀬は首を傾げる。

「後で話す。今は、この世界を楽しもう」

 一ノ瀬は今何を考えているのだろう。俺を好きだと言ってくれた一ノ瀬は今、幸せな気持ちでいてくれているだろうか。だとしたら嬉しい。

 二次元とリアルは違うけれど、それでもちっぽけな俺でも一ノ瀬に希望を与えてあげられたのなら来た甲斐があった。

 でも、申し訳ない。こうして改めて思ってしまったんだ。フィクションの偉大さを、無限大に広がる理想があることを知ってしまった。

 それは、今目の前にあるリアルを否定することになってしまうから。今ではない、その先にある理想を俺は、求めてしまうのだから。

「うん!」

 一ノ瀬は俺に向き、大きく頷き、満面の笑みを浮かべる。
 今、俺を求め、受け入れてくれる人がいる。はっきり言って幸せだ。
 でも、俺は前に進むと決めたんだ。

 俺たちはゆっくり、ゆっくりと船に揺さぶられ、やがて夢の世界が終わる。


「いやーすごかったね! でもさすがに疲れたー」
「そうだな」

『イッツアビッグワールド』に乗った後、日も暮れる頃、一ノ瀬の笑顔は輝いていた。

 俺たちは遊園地を出るため中央の城が見える広場を歩いていた。

「それで?」
「うん?」
「さっき言ってた、前に進めるってどういう意味?」
「ああ、それな。やっぱり、偽物でもいいんだって思えたんだ」
「どういう意味?」
「偽物でも、人の心は動く。そしてそれは間違っていないってことだ」
「また二次元のお話? それとも別のお話?」
「どっちもだ。俺たち・・は間違っていないってことに気づいた」
「俺……たち。そっか」

 一ノ瀬は薄く微笑みながら下を向く。

「だから俺はやっぱりあいつと――」
「待って」
「え」

 俺の言葉は一ノ瀬に遮られる。

「なんとなく、わかったよ。だから、一応さ、わたしが後悔しないために言わせて」
「何をだよ」


「わたしは猪尾くんのことが好き」


「お、おう」


「だから、わたしと付き合ってください」


 大きな城の前で、小さな手が俺に差し伸べられる。

「すまん。それはできない」

 俺は身が引き裂かれる思いで言葉を発した。しかしはっきりと意思を持って。

 もし、俺が二次元に興味を持っていなかったら別の返事をしていただろうか。いや、そもそも二次元が好きで、それを貫いてきたからこそ、一ノ瀬は俺に興味を持ってくれたんだ。

 それじゃあもし、俺が環と偽物の恋人関係になっていなかったらどうなっていただろうか。

『リアルには何も求めない』。しかし、自分を求めてくれる人がいたら俺はどんな世界を選択していただろうか。

 たぶん、俺はリアルの、一ノ瀬の本物の気持ちを選んでいただろう。俺はそういう人間だ。

 『リアルには何も求めない』と言いつつ、誰かが俺を求めてくれていることを望んでいたんだ。俺は本当に中途半端なダメ人間だと実感させられる。

 でも、俺はそれを知った俺だからこそ、前に進める。自分が中途半端な偽物だったからこそ、今確かにある本物の気持ちを持てた。もう逃げない。もう中途半端にはしない。

 今、目の前にある本物の幸せがあると知っていても、俺は、その先にあるフィクション、理想を追い求める。

「そっか」

 一ノ瀬は俯きがちに呟く。

「……すまん」

 逃げない。中途半端にしないと決めているにも関わらず、俺は後悔のような気持ちが心の中でざわめく。幸せなリアルを突き放すことが、こんなにもつらいと思わなかった。

 俺は歯を食いしばる。

「なあにそんな顔してるの。わかってたから。そう言われるの」

 寂し気に一ノ瀬は微笑む。

「…………」
「猪尾くんは本物じゃなくて、偽物を選ぶんだね」
「そうだよ」

 俺はもう決めた。リアルじゃなくて、理想を追い求めることを。その覚悟を決めた。

「じゃあ、今度こそちゃんと向き合うんだよ」
「ああ」

 俺は真っ直ぐ、一ノ瀬を見つめる。一ノ瀬の気持ちを切り捨てた。リアルの幸せを切り捨てた。

 だからもう、絶対に逃げない。

 どんなことをしてでも俺は理想を掴んでみせる。その気持ちを真っ直ぐ一ノ瀬に向き合い、逃げないことが俺の誓いだ。

「ごめん、ひとつだけお願い聞いて?」

 一ノ瀬は俺から目を逸らし、呟く。

「なんだ?」
「出口まで、夢の終わりまで、手、繋いで」

 再び手を差し出される。

「わかった」

 俺はその手を取り、夢の出口までともに歩いた。


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