見出し画像

いつから女性は大変で不幸な存在として扱われるようになったのか

地球のため、全人類、夜は戒厳令(79)

「いつから女性は大変で不幸な存在として扱われるようになったのか」

折しも、今、参院選が始まり、女性議員の少なさなども取り沙汰されている。
これにかこつけ、「育児は女性」「家事は女性」社会がいけないとされている。

女性は、いつから不幸になったのか。

長い経済史によって築かれた価値観だと私は思う。
そして、これまでの男どももいけなかったのだ。
人類史上、昔は、命がけの肉体労働が多く、生命や肉体の一部が欠損するのは日常茶飯事であった。
女性が、そんな危険な肉体労働をして、生命や肉体の一部に損傷を受ければ、授乳などの子育てもできなくなり、住処も守れなくなり、社会を維持できなくなる。
だから、労働に参加せず、子育てや家事に専念した。
しかし、男どもが馬鹿で、稼いでくるからという理由で偉くなってしまい、女性を弱い者、ともすると低い者にしてしまったのだ。家族や家を守ってくれていたのに。

そこへ、本格的な資本主義経済が動き始め、資本側は、搾取する労働者が多ければ多いほど都合が良いので、女性の社会進出を求めた。
そうはいっても、多くの肉体労働は、相変わらず、力仕事が多く、非力な女性はどうしても労働生産性が低くなりがちで、稼げる男は偉く、稼げない女は価値が低いこととなった。

資本側が男性1人で十分に家族を養えるに足る賃金を払い、男どもが稼いだからといって偉くならなければ、女性が不幸な存在にならなかったはずだ。

労働とは、いわば、狩りみたいなもので、生命・肉体・精神などを損傷しがちだ。

現代社会でも労働で身心を壊す者が後を絶たない。

資本主義経済という馬鹿げたシステムではなく、世帯ひとりに十分な賃金が支払われ、身心を損傷する恐れのある労働に出ず、育児や家事に専念できるなら、「育児は女性」「家事は女性」は、むしろ幸福なことで、これをさせてくれない資本主義経済社会がいけないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?