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【1982】より少なく消費し、より少なく働くことによって、よりよく生きよう。

【1982年の卒論回顧】代替エネルギー開発におけるソフト・エネルギー・パス理論の有効性(15)

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2 ソフト・エネルギー・パスとハード・エネルギー・パスの相互補完関係
 
 従来のハード・エネルギー・パスは環境問題などの多くの問題を生み出し、行き詰まりを見せている。
 
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 そこで、ソフト・エネルギー・パスとハード・エネルギー・パスの相互補完関係を追究するにあたり、資源とは何かを再び考え直す必要がある。
 他の原材料、一次資源と呼ばれる物とエネルギー資源とを分ける基本的な違いは、エネルギー資源は適切な技術が与えられるとき、他の燃料の助けなしに増殖することができるという点にある。
 石油や石炭といった化石燃料源は、それを採掘する機械を作り、また動かす動力源として利用され、このような動力源として使用される石油や石炭1単位ごとに、1単位を上回る新しい石炭や石油を産出、輸出することができる。
 
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 つまり、エネルギーの産出量が、それを産出するために投入されたエネルギーより絶えず大きいのが、資源である。そして、産出量から投入量を差し引いたものを剰余生産率(あるいは収率)という。
 
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 例えば、中東の石油の剰余率は、2455(注5)で、日本までの輸送エネルギーを差し引いても32(注6)である。
 ハード・エネルギー・パスを主張するテクノクラートは、原子力等の代替エネルギーの導入を主張する。
 しかし、原子力がエネルギー資源であるということには疑問が残る。原子力から得られるのは電力と核分裂生成物(放射性廃棄物)だけである。さらに、この電力から、初めに投入した量より多くの核燃料を取り出せるか疑問である。ウラニウムの採掘、運送、精錬、濃縮などに必要なエネルギーをその電力で賄えるかも疑問である。原子力発電によって得られる電力は、エネルギー源というよりも、石油を大量に使う、しかも危険な「最終消費財というにふさわしいもの。」というべきである。
 
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石油のような剰余率の高いエネルギー資源は、絶対量に限界があり、地域的に偏在しているという点ばかりでなく、剰余率が高いという性格そのものから大きな問題を引き起こしている。
 
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剰余の大きいエネルギー源は、また大きなエントロピーをもたらし、他の資源を廃物にしてしまう。環境破壊や生態系をかき乱すことは、地球をひとつのエネルギー系と見た場合、化石燃料という剰余のあまりにも大きいエネルギー源を利用した結果として生じたエントロピーを巨大化したにほかならない。そして、それは資源としての生態系や自然を廃棄物にしようとしている。
 
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 しかし、石油に代わって太陽エネルギーを使えば解決策に向かうという点にも疑問が残る。
 現在のエネルギー消費構造と、それを必要とするテクノロジーに執着している人々は、代替エネルギーとして、太陽エネルギーを持ち上げている。
 問題点は、やはり、既存のエネルギー消費構造や消費を自己目的化した社会のシステムそのものにある。単に、太陽エネルギーを利用すればいいわけではない。ますます管理社会の抑圧的な道具となっているとともに、それ自体が大量のエネルギーを浪費する。
 
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 いわゆる高度な技術によって太陽エネルギーを利用するのは矛盾を生ずるばかりでなく本末転倒である。だからこそ、フランスのエコロジストが主張しているのは「より少なく消費し、より少なく働くことによって、よりよく生きよう。」であり、「道具を変えよう。」なのである。
 
(81頁)
 
 技術(そして科学)が管理する者と管理される者との間に分裂を生み、人間性の自由な発展を妨げているばかりか、生態系の破壊をもたらす元凶となっているとき、それを変えることなしにすますことはできない。
 従って、自然のものをフルに利用しようとするソフト・エネルギー・パスは、自然・生態系を破壊するハード・エネルギー・パスと相互に補完することはあり得ない。表面上で成り立ったといっても、それは転換期にすぎない。
 
(つづく)マガジン「ソフト・エネルギー・パス理論の有効性」に編綴

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