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すべての悩みは人間関係 では、すべての悩みの解決は〇〇

はじめに

アドラーの本を読み返していました。
アドラーは「すべての悩みは人間関係である」と言い切りました。

たしかに、
上司の悩み、夫婦の悩み、子どもの悩み、お金の悩み、見た目のコンプレックスの悩み・・・突き詰めれば、人間関係ですよね。

その解決策としてアドラーは
「愛」や「他者貢献」などをあげました。

これは、個人による対処法です。
しかも、人々が苦手で大嫌いな「思考法を変える」という対処法です。
個人による対処法では、大きな効果が得られにくいと思われます。
だから、アドラーがこの考えを提唱してから、長い年月が経ちますが、大衆には受け入れられていないという事実があります。

なので、社会の仕組みとして解決していくべきだと考えます。
では、どうすればよいのでしょうか。

それを、ずっと考えていました。

そして、ふと思ったのです。
それを、メモ代わりに書き記します。
読んでいただいて、ご意見をいただけると嬉しいです。


悩みの解決法

すべての悩みの解決法
それは、

適材適所です。

怒り狂うめんどくさい上司も、中小企業の社長であれば頭角を表すかもしれません。
コミュニケーションが苦手な人は、おしゃべりが少ないので、黙々と素早く商品をきれいに並べることが、できるかもしれません。
単純作業が得意な人は、AIを動かすための皆が嫌がるデータ入力を、そつなくこなしてくれるかもしれません。
デスクワークが苦手で無能扱いされているけれど、体力と根気がある人は、街中の草やゴミをきれいにしてくれるかもしれません。

自分の特性に基づいた仕事・場所にいれば、どんな人も素晴らしいのではないでしょうか。

それを実現するためには、次の3点が必要になると考えます。

1仕事を細分化する
2転職しやすい社会になる
3勉強だけの物差しで人間を評価しない

それぞれ、詳しく述べてみます。

1 仕事の細分化

分業という発明は素晴らしいと思います。
例えばレジ打ちですが、ものすごく早く処理し、きれいに籠詰めしてくださるおばさまがいます。分業によるプロフェッショナルな仕事だと思います。
しかし、コンビニのバイトとなるとそうは行きません。
レジもやり、陳列もやり、ごみ捨てもやり、清掃もやり・・・仕事が多すぎて疲弊します。
同時に処理できない人は、できません。
日本は、こういった働き方が多いと思います。
何でもできる人が良いと思われているフシがあります。
どうしてでしょう?
考えられるのは、1.人件費の削減、2日本人は優秀で大体の人ができるという理由だと、ボクは思いました。

2 転職しやすい社会になる

自分に合っているものを見つけるには、いろいろやってみないといけません。
そのためには、すぐに職を変えられる雰囲気と仕組みが必要です。
どうすればよいのでしょうか。
アメリカやヨーロッパの映画を見ると、コロコロと転職しています。
外国が参考になるのでしょう。
勉強しないといけません。

3 勉強だけの物差しで人間を評価しない

学校でもらう通知表。
国語、数学、理科、社会、英語・・・全部ができている人が褒められます。
なぜでしょう。
数学だけ天才的にデキる人は価値がないのでしょうか?
図工の才能がずば抜けているが、字が読めない人は価値がないのでしょうか?
勉強は何もできないけれど、身体が丈夫で、学校を休むことなく登校できる人はダメなのでしょうか?
掃除が丁寧、親切にできる、手の巧緻性がずば抜けている、草むしりを何時間でもできる、先生の手伝いを笑顔で引き受ける、たくさんのものを運べる、シールをまっすぐに貼ることができる・・・
多様です。

職業も多様です。
炎天下の中での交通整理の人
超一流ホテルのトイレの清掃員
空港の荷物を運ぶ人
ひたすらシールを張り続ける仕事・・・

それぞれのプロフェッショナルがいるから社会は素晴らしいのだと思います。

勉強だけの評価で、無能の烙印を押され続けた人間は、劣等感の塊になってしまうのではないでしょうか。
勉強で負け知らずな人間は、ほんの一握りなので、ほとんどの日本人が劣等感を感じながら生きているのではないのでしょうか。

テストや通知表、受験、そもそも、15歳まで勉強ができるかできないかの物差しで評価し続けるのもどうなのでしょう?
小学校6年生くらいで、勉強は向いていないから、違う道をという選択肢すら与えられないのは、苦しいと思うし、自殺の原因にもなっていると思います。

でも、ボクに何かできるかといえば、何もできません。
日本は、平和で、とても豊かなのは、教育のおかげだと思います。
今の教育制度が悪とは、口が避けても言えません。

まとめ

ボヤキのように、だらだらと自分の意見を述べました。
ここまで読んでいただいた方がいらっしゃったら、感謝です。
日本は、とっても良い国です。
平等は、みんなの足並みを揃えるために、少しずつ我慢していかなければなりません。
他方、多様性は、みんなのわがままを尊重するために、少しずつ我慢をしていかなければなりません。

現代は、この平等と多様性という反対向きに近い考えが、共存してこうとする素晴らしい時代だと思います。

人々の多様な能力に、ある程度平等な報酬と尊厳が配分されれば、もっと素晴らしい国や世界になりませんか?

ふと、こんなことを思いました。

賢い人達、ボクに正しいことを教えて下さい。

ありがとうございました。

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