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その推し活という言葉ですけども


意味深なタイトルで突然何事と思いますね(笑)でも一番これがしっくりきまして。

私は常々推しの存在よりも
推しを応援するペンの存在に目がいってしまうことが多くありまして。
というのも、以前書いた記事にもあるように同じARMYからたくさんの影響や推しを応援する上での人間性、モラルや倫理観を教えて貰っているような気がしているのです。

だから、たまに思うんです。
私はバンタンが好きなの?
ARMYが好きなの?って。←え

それくらい魅力を持っている人たちだと思っていて。

でもですね、

私はいろんなバンタンの活動を短い間ですが見させて追っかけている中でいろいろ思うことも増えてきて。

それを消化したくて書いています。

SNSを見ていると思うのです。


これはあなたの承認欲求を満たすためにバンタンを使っているのでは⋯?と。

かなりひねくれた見方をさせてもらうとSNSは基本、承認欲求を満たすためにあるものだと私は思っていて、それは私もそうやって使っているし、ある程度暗黙の了解が存在していると思っています。

それに、この点については全然悪いことではないと思っていて。価値観が違う場合は離れられるし、合えば繋がれるし、かけがえのない出会いになることもある。
ただ、その移り変わりの速さ、希薄さ、脆さもある。それを理解した上で、私は使っています。

話を戻して、承認欲求を満たしながら生きていくということ。

バンタンの記事で、私がずっと印象に残っているものがあります。推し活をする上でも弁えておきたいことが書いてあるのでたまに読み返しています。
こちらを書かれた鳥羽先生は、色々な経緯があり、今後はバンタンのことを語ることはやめてしまった方ですが、それについてもいつか書きたいです。残念です。

すみません。分かっています。

前置きがとてつもなく長いことを、、w

この記事の中で鳥羽先生のナムさんのコンサート中の言葉を解釈した文章が出てきます。

僕は、あなたたちARMYを使用することで自身が自己変容を遂げてきたことを感じます。一人では立ち行かない僕は、あなたたちを使用してきたことを知ることで、あなたたちに深い敬意と感謝の念を抱くようになりました。そしてそのことを通して、自分を愛するということを学んできました。だからAMRY、あなたたちも、僕を使用してください。僕たちを使用することで自己を変容させ、自分を愛することを学んでください。
とは言え、自分を愛することは何なのか、あなた自身を愛するとはどういうことなのか、いまだ僕にはわかりません。なぜなら、自分自身を愛する方法や法則を定義することなど、僕たちにはできないからです。一人ひとりが使用を通して自分自身の愛し方を見つけ、明らかにしていくことが僕たちの任務なのです。

BTSはいかにしてARMYに愛され、ARMYに何を与えたか。「推し活」で自分を愛し、世界とつながる(文:鳥羽和久 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)

この言葉の解釈がすんごくしっくり
きていて。推しを使用する。
何その言葉?と思うけれど、私はさらにそれをこう解釈して自分に落とし込んでいます。


”現実社会で自己実現し、生きるためのモチベーションや活力に私たちを使ってください。”


分かりきったことを何言ってんだ
と思った方ごめんなさい。
私は、決して偉そうに言うつもりも
マウントを取るつもりもありません。
本当にそう思って推し活を私はしています。

推しの存在や言葉、楽曲、パフォーマンスに心打たれ、共感し、尊さを感じ明日からも頑張って生きたい、推しにエネルギーをもらいたい。と思って推し活をして、現実を生きています。

グッズや課金系でお金を積むことはなかなかできないけど、できる範囲で。

遠征やライブには自由に動けるフッ軽さはまだ(まだ)ないけれど、推しについて愛でる時間はたくさん確保しようとしている。

アミ活やアミ友とすぐに会える距離はないけれど、大事にしたい関係性はたくさんあって、繋がりを大切にしていきたい。

推し方は人それぞれ。
事情も人それぞれ。
何を言って、どう感じようが人それぞれ。

私はまだ現場を一度も経験したことがないので、なんだかそれに囚われていたんだけど、現実それは実現が難しい私のキャパの狭さや余裕がなかった。

でもそれを人のせいにすることはしたくなかったし、決めたのは私だし過ぎ去ったことはいつしか思い出になるとバンタンが教えてくれたから、たぶん乗り越えられる。

推し活をする上で、上を見たらキリがないと私は思っているので、自分の身の丈をいつも考えながらほかの方の推し活を見させていただいています。羨ましいとも思うし、楽しそうだとも思うし、私もいつかその中に⋯という淡い願いもあったりして。

そこで思うのは
時間
お金
仕事
家族
暮らし

何かを犠牲にしたり少し無理をすることもありつつ、推し活をしているのかなと。
犠牲とか無理とかネガティブな言葉なんだけど、実際、本当に追いかけようと思うと一日中スマホに向かわないといけない気がするし、お金も稼がないといけないから副業とかしてる人もいるのかも、とか考えたりする。

正直、途方もない。
どっかで自分で折り合いをつけないと。
と思います。推しに生かされてる、とも思うんだよ。
本当はお金もあったらとっくに積んでるだろうし、遠征もしているだろうし。

この折り合いをつけることと
現実社会を生きながら推し活をしていく。このバランスが大事なんだろうなって思う。

いろんなこと思っても自分はこうやって推していくって、気持ちは大事にしていきたい。
いつかバンタンアカウントゆのさんが言っていた、「好きという気持ちを継続する難しさ」についてのポストが過ぎる。


ベースは好き、という気持ちがある。

それがいつの間にか
周りと比べたり、推しを置きざりにして、話が進んでいないだろうか。

「〇〇をしないといけない」
「〇〇を持っていないといけない」
「こんな私、ARMYと名乗っていいのかな」

ネガティブなことに潰されないようにしたい。基本、推したいように推せばいいと私は思っているけれど、必要なモラルや自分の好きな気持ちは大切にしてね、と思う。

自戒の意味も込めてつらつら書いてしまいました。不快な思いをされた方もいると思います。本当にすみません。


その推し活という言葉ですけども


この推しを応援する活動について、
今一度気持ちを整理して、明日からまた推しの力をお借りして人生を豊かに生きていきたいなと思います✨


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