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日記1/1 内科医の日記「ドクトル・ヴィルガーの運命」を反正月視点で


一九〇九年一月六日
彼女のベッドのそばに腰かけて、私は絵模様を彫った銀の盃を眺めていた。
それは新年に彼女がくれたものである。
「お礼に」と彼女はそのとき冗談めかして言った。
「お勘定があまり高くつきませんように」ーー
文学の中にも新年は現れる。
しかしそれは決してカウントダウン会場や初詣の神社やパーティー会場でなくても良い。

カロッサ「ドクトル・ビュルゲルの運命」 高安国世訳

前書き:元旦と日常


いくらテレビが華々しい元旦を画面や文章として象っていようとも、それに倣って福袋を買い込んだり、混雑した境内へ乗り込む必要はない。
いつも通りの日常。ほんの少しの遠出。
溜まっていた作業を進めるための3日間。

日々の中、代わり映えのない一日。
そうして過ごす人たちは現実にも、文学の中にも存在する。

今回は、日記の題材を探すべく本棚を漁っていたら、他人の日記が出てきたのでそれで一つ記事を書いてみる。
見出しや引用機能を、折角新年を迎えたので、新たな試みとして試みつつ。


ドクトル・ビュルガーの運命


Hans Carossa (1912) ドイツ語版wikpediaより

カロッサのデビュー作「ドクトル・ビュルガーの運命」は、本人がゲーテ好きなのも相まって、現代版若きウェルテルの悩みとも呼ばれる作品だ。
本人が素晴らしい詩人なのもあって厭世的な世界観でも輝くような名フレーズが飛び出す上に、最後には長詩が添えられている。

私の目に光があふれる、——闇よ、さあ、私をつかめ。

なんて、字面にゾクゾクさせられるだけでない。
単に厨二病とならないのは、絶望の中で更に悲劇的な方向に一歩踏み込んでしまう勇気がひしひしと伝わってくるくるからだろう。好きなフレーズです。

話が逸れた。
ざっくり三行であらすじを書こう。

あらすじ

ビュルガーは、献身的な医者を目指して開業したものの、日に日に患者を作業的に裁く自分に苦悩する若き内科医。
更には独身である彼には婦人患者への誘惑に悩まされる中、あるとき一人の女性ハンナと知り合い、後に偶然彼の患者となる。
患者との恋は厳禁という父からの教えと、惹かれ合う二人の関係は衝突を起こし、一つの運命に向かっていく……といった短編小説と主人公の残した長詩がセットになった作品。

年末年始の記載


結末や内容の感想はネットですぐに出てくるから置いといて、これは日記体の告白文章で書かれている。
だから小節の次には冒頭の引用のように、必ず日付や時間帯が書かれている。

注意しておくと、この物語の面白い点は、別に年末年始じゃなくて若き医師の苦悩やそれが表現された美しいポエム。
なので年末年始を意識した読みをするのは、正月に暇なブロガーくらいであって、作品自体の面白さとは別なので誤解無きよう。


上の日記は一月六日。
直後の文から、二人が寄るに寝床を共にしていたことが分かる。
では新年の記載はというと……ない。

前の日付は十二月二十九日だ。
更にそこに書かれてるのは、ハンナに対する期待と不安の三行のみ。
年末年始のイベントに触れてもいない。日記書きとしては、今年を振り返ったり新年の抱負を書いたりと、一番筆が乗りやすいテーマの詰まった日だというのに。

それについて日記が触れてるのはただひとつ。

彼女のベッドのそばに腰かけて、私は絵模様を彫った銀の盃を眺めていた。
それは新年に彼女がくれたものである。

ここから全てを察せよという、メタ的にはカロッサの意図かもしれない。
あるいはヴィクターにとって、日記に書かずとも一生忘れない出来事があったのかもしれないし、イベントを楽しみすぎて日記を書く余裕がなかったのかもしれない。

もう少し日記を読むと、他の日に新年の様子が浮かび上がる。

(一月十六日)
本当だ、いつか私がハンナの医者なのだということを悟っても、おそすぎる日がくるのではないか。こんなことが考えられるだろうか。
はじめて接吻を交わし、彼女に銀の盃を送られた新年の晩から、彼女のところへ来るのに彼女が病人であり、助けを必要としている者であることを、けさまですっかり忘れていたのだ。

一九〇九年に、新年を祝う習慣がなかったというわけではない。
むしろあったが、幸せのうちにいる中で、新年を迎えることの心がけなどがないために記述しなかったとも読める。
彼にとっては、彼女との仲が進展したことが重要なのであって、それが新年でも初夏でも晩秋でも、季節など気にしなかったのである。


後書き:元旦を気にしないこと

私たちも、新年を祝うイベントが多いから、それに釣られて年末年始気分となる。
ただそれでも、三が日に人口の2割かは普通に出勤するし、休暇の人も家に篭って作業をするだけでもある。

つまり何が言いたいかというと。
元日でありながら、うだうだしながらこんな文章書いてるのもまた、悲観される言われ何てない一日だということだ。

そんな愚痴を呟きつつも、私は賑やかに新年を楽しむSNSを覗いてしまう。
だから当然、液晶が鏡となって私の醜い表情を映してしまう。

Noteでは皆、ご来光の素晴らしい写真を載せている。
綺麗ですねと、素直にスキを押せるのは、私に何とか人間性が残っているからだ。

私の目に初日の出の光があふれる。
——新年よ、さあ、私をつかめ。

参考文献

世界の文学〈第38〉カロッサ (1965年)美しき惑いの年 ドクトル・ビュルゲルの運命 ルーマニア日記 指導と信従 |本 | 通販 | Amazon
ドクトル・ビュルゲルの運命 (岩波文庫 赤 436-1) | カロッサ, 手塚 富雄 |本 | 通販 | Amazon
(岩波文庫版のほうが確実に手に入りやすい)

Hans Carossa – Wikipedia

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