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日記3/5 忙しい人のための平安の【日記文学】

偉人の日記を見ると

あの大事件直後だというのに記述が簡素だったり
この騒動のときの心境を知りたいのに文字として吐露してくれてない
…といったことがよくある。

これは日記をある程度書くようになると分かるが
殴り書きでなく、紙に向かって綺麗な字で
読める文章を書こうとするのは
神経がけっこう疲れる。

普段ならともかく
大騒動などでは始末書など
仕事や火消しの書類を大量に書くというのに
余計な愚痴を丁寧な文字でしたためなくてはならない
日記というのは時として、
個人的なものであるのにストレスとなる。

……と、思いながら大河ドラマを見ていると
後世に残る日記を書いた人々が次々登場する。
主人公のまひろは「紫式部日記」
ききょうは「枕草子」
三郎こと藤原道長は「御堂関日記」
ロバート秋山(藤原実資)は「小右記」
「蜻蛉日記」は愚痴を書き連ねるという意味で、
一番現代の日記っぽい日記かもしれない。

ともかく平安時代の日記は
仕事用にしろ鬱憤話にしろ
宮中あるいは後世に広まり
日記といいつつ、現代のブログと遜色ない扱われ方もした。

だから文章も、自分のためでなく
後に読まれるだろう読者のことを考え
その読者が作者をどう想像するか考えて
十人十色の書き綴り方をしたりしなかったりした。

文学や和歌が
出世街道と直結する平安時代

……とは違うのが、この現代。
バズりやアフィで収益があるかもしれないが
基本的に無利益だから、好き勝手書いて全世界に解き放ってもいい時代。

私もそんな気持ちでつらつらと
文章を散々打った昼間の仕事を嘆きつつ
こうやって愚痴だか何だか分からない日記を綴っていく。

例えば紫式部のように
清少納言を愚痴った日記が後世ネタにされるわけでもなし
自分のために自由に書いて
自由に非難批判をしてみたいものだ。

……まあ、
ネットに載せてる以上は誰かに読まれたい気持ちもあるので
結局、自分勝手になどなりきれないんだけど。
読者の反応というのは嬉しいもので
例え非難であっても

恥づかしげの歌詠みやとはおぼえ侍らず。
(自分が恥ずかしくなるほど、素晴らしい歌人とは(あの人のことを)思えないです)

紫式部日記

などと、著名人に雅に乏され、後世に日記が残るのならば
それもまた羨ましきことと、あはれな私は思いけりぬ。

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