たろぺッツ

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最近の記事

“関心領域”を観て

 人のエゴは第三者の目線つまり社会的評価によって、善悪の判断さえも全く異なってしまうのが主題のように思える。  興味深いのは、戦時下特有の時代背景によるというより、現代社会でも十分通じるものだということだ。  ウクライナやパレスチナの紛争で、モスクワやエルサレムの意外に裕福にみえる様子は、程度の差はあれ映画と同様な状況にも映る。  国家という枠に一般の人が抗うことは到底難しく、大多数の人間は、その中で関係性を構築しようとするのかもしれない。  それでは、関心領域とは悪なのか。

    • ” マッドマックス フュリオサ“を観て

      北斗の拳に影響を与えたジョージ・ミラーの作品は、他の追随を許さない突出した世界観の一言に尽きる。 今回は怒りのデスロードのフュリオサに焦点当てた番外編の位置付けだが、本作並みの見応えである。 この世紀末の破滅感は、二十世紀に出来たものだが、隣国との紛争が絶えない現状では、性善説として風刺しているようにも見え、爽快感すら漂う。 行き詰まる社会には、やはり強烈な個性が求められるのだろうか。

      • “シーソーモンスター”を読んで

        対立する二人という螺旋プロジェクトの設定で書き下ろされた作品で、”スピンモンスター“との二作で分かれているが、時代設定が違っており、本筋は違うが実は一つの繋がった世界が元になっている シーソーモンスターは嫁姑、スピンモンスターは交通事故を共にした同級生が、犬猿の仲のような敵対関係として描かれるが、どちらも最終的には助け合いや共存に近い関係へ進化していく これは、敵対と思っていたのは自身の心の中に作っていた虚像であって、それが真のモンスターだということなのだろう

        • “ゴジラ-1.0”を観て

          CGを使わずに昔ながらの特撮で、戦後の日本を撮っているが、フィルムやカメラワークは今風であるギャップが心地よい斬新さを醸し出している。 戦時、戦後の過程での人との関わり方が、現実離れしたフィクションの印象を強く受けるが、神木隆之介、安藤サクラら俳優の演技力は一級だし、アカデミー賞で視覚効果部門賞をとったのは納得の内容だった。

        “関心領域”を観て

          “オッペンハイマー”を観て

          クリストファー・ノーランらしく、フィルム・ノワールでないが、映像や世界観にグレーな印象を受ける。 エンリコ・フェルミ賞を受賞した知識人であり、先入観をもつが、あくまで人物像に焦点が向けられ、戦争の映像が一切ないのは意図的だと受け取れる。 冒頭の星が圧縮する空想世界は、ブラックホール発見に繋がったが、原爆を完成させる起源にもなる。 知的探求の好奇心が倫理観を越えるといったとこか。 人一倍強い探求心が周りを惹きつけるが、制御が効かないため、デカダンス的な衝動にも受け取れる。 世紀

          “オッペンハイマー”を観て

          “東京都同情塔”を読んで

          キーワードから話が展開し、そこから次のワードが出てまた話が展開し マトリョーシカのように、開けたら次といった印象を受けた だが、キーワードを調べてみると、 シンパシータワートーキョー = 東京都同情塔 サラ・マキナ = マサキ・セト ザハ・ハディド = マックス・クライン ホモ・ミゼラビリス = ウェル・ビーイング と完全ではないが、対応の関係にある言葉がみつかる気がした すなわち、言葉から構図を作り、話を挿入していったのかもしれない そして、唯一、東京都同情塔だけが漢字であ

          “東京都同情塔”を読んで

          ”逆ソクラテス”を読んで

          伊坂幸太郎の話は大抵、題名が本題と絡むことはないが、十中八九、話の道標になっていることが多く、今回は決めつけを無知の知の逆であるとして比喩っているところからきている。 話は担任の先生の決めつけや先入観を打ち負かすために、仲間でカンニング、絵コンテスト、通り魔事件、プロ野球選手からの指導といった機会で鼻をへし折るような画策を練り上げ、淡々とスリリングな展開が繰り広げられる。 ただ、ラストは一気に時間が進み、淡々と過去を振り返る、何かハッピーエンドを裏切るような展開で終わる。 し

          ”逆ソクラテス”を読んで

          "君たちはどう生きるか"を観て

          演題からくる道徳観は全くなく何か自分探しの旅の感じで 海辺のカフカのように現実から非現実世界へ飛び込み そこから一気に深層心理が具現化する感じでもあった 亡くなった母が銀河鉄道の夜のカムパネルラのように 成長途中の自我の抑制を背中を押してくれ 父と継母との関係性の構築へ現実へと戻るのだが 申し分のないジブリの世界観が素晴らしかった

          "君たちはどう生きるか"を観て

          ”首”をみて

          これは脚本が相当練られている ラスト”俺にとっては首なんてどうでもいいんだよ”で一気にエンディングに入るが そう、別にタイトルに意味はないけどって感じな喜劇に受け取れる ただ、全編を通して、史実は変わらないが、そこからの人物描写や会話は今までのドラマや映画のそれともまるで異なる独自色を出してる点が秀逸過ぎる 名古屋弁丸出しの信長やどちらかというと家康のイメージ感がある秀吉などは、今までに無いキャラ設定だが、何故か的を得ていて、小気味がいい 映像が美しく、黒澤明の影武者を彷彿さ

          ”首”をみて

          “二番目の悪者”を読んで

          噂を流した者が悪者というのは誤りだと考える 勧善懲悪とは常に片側視点の疑念が生じる 例えば第二次世界大戦の勝者は連合国であるが ファシズムを産んだ一つのきっかけは賠償金であり 1320億マルクを課した英仏の貸付先は米国である 当然ながらモルガン商会が責められることはない 帝国主義による覇権争いが第一世界大戦の端であり レーニンが唱える資本主義の最終段階を是とすれば 元は産業革命が産み出した市場原理の自由競争である 産業・市民革命の目的は絶対・封建主義の解体であり その思

          “二番目の悪者”を読んで

          “キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン”を観て

          デイヴィッド・グランのノンフィクション「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」が原作で、石油発掘で一財を手にした先住民オーセージ族を言葉巧みに操り財産を強奪していく話である。 レオナルド・ディカプリオが、往年のマーロン・ブランドと重なって見え、ロバート・デ・ニーロが霞んで見えるぐらい、演技力が熟していた。 マーティン・スコセッシのフィルムワークもまた素晴らしい。 時代背景が開拓史にも関わらず、サウンド・トラックにロックが多いのが見事にはまっている。 また、バ

          “キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン”を観て

          ”フーガはユーガ”を読んで

          不幸とは、逆境を越えることで、運命を切り開くことに繋がる。 双子の風雅と優雅は母に捨てられ、明らかなDV依存症の父親に育てられる。 暴力に対する諦めに似た従順性があり、DV家庭に特有の症状である。 だが、この話の風雅と優雅は逞しく生きていく。 誕生日に2時間おきに入れ替わる超能力的な力を授かった。 このギフトが様々なトラブルを解決する力になる。 だが、ギフトはあくまでキッカケに過ぎない。 あくまで、その向かっていく勇気が大事なのだろう。 虐めや誘拐といったことに、諦めや後ろ向

          ”フーガはユーガ”を読んで

          “アステロイド・シティ”を観て

          スカーレット・ヨハンソン、トム・ハンクス、ティルダ・ウィンストン、エドワード・ノートン、ウィレム・デフォー、マーゴット・ロビーと出演者の顔触れが凄い 劇画のような話の展開だが、色褪せたパステルカラー調のフィルムが独特の世界観を産んでいる 話の内容より、独特の世界観と豪華キャストの演技に魅せられる感じ 中でもスカーレット・ヨハンソンの妖艶な感じとトム・ハンクスの厳つい感じがさすがだった

          “アステロイド・シティ”を観て

          ”カード・カウンター”を観て

          マーティン・スコセッシの代表作で知られる”タクシー・ドライバー”、”レイジング・ブル”を手がけたポール・シュナイダーが監督・脚本を手がけた作品。 マーティン・スコセッシが製作総指揮をしてるだけあって、画像と音楽にかなり魅せられる。 ウィリアム・テルを演じるオスカー・アイザックがニヒルな役どころを見事に演じきっていて、みるとコーエン兄弟の”インサイド・ルーウィン・デイヴィス名もなき男の歌”でゴールデングローブ賞の主演男優賞にノミネートされたそうで納得である。 ストーリーは意外に

          ”カード・カウンター”を観て

          “街とその不確かな壁”を読んで

          ”きみがぼくにその街を教えてくれた” 話はそこから始まり ”街は高い壁にまわりを囲まれているの” ときみは語り出す まるでウォールマリアを彷彿させる言い回しである ただし、冒頭のみで、話の展開は異なる ”本当のわたしが生きて暮らしているのは、高い壁に囲まれたその街の中なの” ”ええ、今ここにいるわたしは、本当のわたしじゃない。その身代わりに過ぎないの。ただの移ろう影のようなもの” 話が進むと、壁の中には影をつれて入ることができず、影も外で一人で生きていくことは難しいことが述

          “街とその不確かな壁”を読んで

          ”658km、陽子の旅“を観て

          20年以上、父親と会ってない娘が訃報に遭う 18歳で家を飛び出し、東京に出たものの 成果が出ず、引き篭もり、重度の吃りになる 従兄弟が訪ね、葬儀に向かうが サービスエリアで逸れてしまい そこからヒッチハイクが始まる いわばロードムービーであり自分探しの旅である 行きすがら同乗者に語り合う ”何もかも失ったが、ヒッチハイクで父と向き合えた” 半ば極限状態に追い込まれたことで見失った自分を取り戻す 失敗し、傷付き、時には泣き叫び、語り始める あたかも止まっていた時が歩み始めるかの

          ”658km、陽子の旅“を観て