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書く習慣1ヶ月チャレンジ Day19 自分があまり賛成できない常識

私のあまり賛成できない常識は、
貴賤:金持ちと貧乏人では、金持ちの方が偉い
賢愚:頭の良い人と頭の悪い人では、頭の良い人の方が偉い
男女:男性と女性では男性の方が偉い

などの、あるカテゴリーの持つ潜在的イメージをそのまま個人の人間に当てはめることである

「金持ち」「頭の良い人」「男性」がただそれだけで偉いというわけではないことは、みんな理解していることだろう。
でも、貴賤、賢愚、男女の差が実際に存在し、上記のような潜在的イメージが社会に浸透していることも知っているだろう。この潜在的イメージの正体こそが常識であり、虚構であると私は思う。

歴史家のユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』でこう言っている。
虚構とは、人々の集合的想像の中にのみ存在する共通の神話である。誰もがその存在を信じていて、その共有信念が存続する限り、その想像上の現実は社会の中で力を振い続ける。
つまり、「金持ち」「頭の良い人」「男性」が偉いという神話を信じている人が一定程度存在し、その神話が途切れることなく世代を超えて受け継がれていく限り、人がその潜在的イメージでもって判断されることは無くならない。

そもそも、どうして貴賤、賢愚、男女のような二項対立が生まれ、そこに優劣がつけられるようになったのだろうか。
理由のひとつは、人間が人間を理解しやすいようにするためだと思う。二つに「分けた」のは「分かる」ようにするためであり、その人間がどちらのカテゴリーに属するかが分かることによって、安心する。どんなに不確かな情報でも何もないよりはましだからである。
どうして優劣がついたかは、正直わからない。いろいろな理由があるだろうから一概にこれが理由だと断定できない。

しかし、人間を分けるのに、たった二つに分けるのでいいのだろうか。二つに分けるのは簡単で誰にでもできる。理解もしやすい。ただ、誰にでもできるからこそ、精度は低い。貴賤、賢愚、男女、これらの境目は曖昧だし、程度の差も考慮されていない。
どこからが「金持ち」「頭の良い人」「男性」といえるかの基準は人それぞれで、正解もない。
こんなに曖昧で不確かな分け方なのに、なぜ多くの人が「金持ち」「頭の良い人」「男性」が偉いという神話を信じているのかを考えてみると、答えはその神話が強力だからだと思う。

貴賤:金持ちと貧乏人では、金持ちの方が偉い、は本当か。
金持ちは難しい仕事をすることができ、優秀で、社会に多く貢献している素晴らしい存在だというイメージがある。貧乏人は、簡単な仕事しかできない能力の低い存在だから、人間として劣っているというイメージがある。これは本当だろうか。

森博嗣の『「やりがいのある仕事」という幻想』という本に、
職業に貴賤はなく、どんな仕事でも偉い、偉くないということはない。
無職であっても人間の価値が下がる訳ではない。
同様に、金持ちが貧乏人より偉いわけでもない。
どんなに仕事で成功しても、人間として偉くなれるわけではない。
という言葉がある。
金持ちが人間として偉いわけではない、貧乏人が人間として偉くないというわけではない。それがわかっている人はどのくらいいるだろうか。実際の人間にその潜在的イメージを当てはめていないと断言できる人はそう多くないと思う。

賢愚:頭の良い人と頭の悪い人では、頭の良い人の方が偉い、は本当か。
頭が良いとは、何を指すのだろうか。学歴か、先天的な知性か、要領の良さか。仮に、頭が良いを学歴で判断するなら、どこからが頭が良いになるのだろうか。東大以上か、早慶以上か、MARCH以上か。

MARCH以上の大学出た人を頭の良い人とするならば、同世代の上位16パーセントがそれに当たるらしい。つまり、100人中16人が頭が良くて、残りの84人は頭が悪いということになる。思ったよりも少ない。

頭が良い人がみんな人間的に偉いわけではない。頭の良さと人間的な偉大さは相関関係はあっても、因果関係はない。同じ理由で、中卒でも高卒でも学校を出ていなくても、人間的に劣っているわけではない。それがわかっている人はどのくらいいるだろうか。実際の人間に潜在的イメージを当てはめていないと断言できる人は少ないと思う。

男女:男性と女性では男性の方が偉い、は本当か。
男性と女性の差は何だろう。

福沢諭吉は『学問のすすめ』の八編でこう述べている。
そもそも世に生まれたる者は、男も人なり女も人なり。この世に欠くべからざる用をなすところをもって言えば、天下一日も男なかるべからず、また女なかるべからず。その功能いかにも同様なれども、ただその異なるところは、男は強く女は弱し。大の男の力にて女と闘わば必ずこれに勝つべし。すなわちこれ男女の同じからざるところなり。

つまり、違いはただ腕力の差だけだと言っている。それ以外で、男性と女性の差が何かあるか。
もしなければ、いったい男性の何が偉いのだろうか。女性の何が劣っているのだろうか。男性が男性であるだけで偉いところってどこなのだろうか。

典型的な「金持ち」は存在しない。典型的な「貧乏人」は存在しない。
典型的な「頭の良い」人は存在しない。典型的な「頭の悪い」人は存在しない。
典型的な「男性」は存在しない。典型的な「女性」は存在しない。
そんな存在しない虚構の曖昧で不確かなイメージを、私に当てはめて一体どうするのだろう。私の何がわかったのだろうか。

常識と呼ばれるもののほとんどが、事実ではない。
国が変われば、時代が変われば、人間が変われば、常識がいとも簡単に非常識になる。

カテゴリーの持つ潜在的イメージをそのまま個人の人間に当てはめることは、ただの思考停止だ。何も確かなものは得られない。その人をわかった気になって満足しているだけだ。

常識を疑おう。常識を盲信する人間を疑おう。


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