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大丈夫って私が決めた

朝、パートナーの作ったキャベツたっぷりのシチューを頂きながら、ゆっくりと今の私たちが抱えている問題について話し合った。私の心身の状態が悪くなると彼女の状態も悪くなり、逆も然り。Vice versaってやつ。私に仕事をやめてほしい、休んでほしいと言ってくれる彼女は、とてもじゃないけど就労できる状況にはない。そして、私は本当は仕事がしたい。お互いの願望や要望のベクトルがあちらこちらに向いていて、小学生の寝癖みたいなことになっていた。

話し合うにつれて分かってきたことは、「私のしんどさ」と「彼女のしんどさ」のバランスが釣り合っていなくて(現状は私のほうがしんどいということになる)、そのせいで自責の念を抱いた彼女の精神状態が悪化していた、ということ。じゃあ私のしんどさをいくらか彼女に肩代わりしてもらえばいいのかといえばそういう問題ではなく、「二人とも軽くならなければならない」のだ、という話になった。私の負担を減らすこと。それでなんとかやっていくこと。それが私たちの目指さないといけないところなんだ、と。

それじゃあ来年度は基本的にもう一年非常勤講師として、コマ数を減らした状態で頑張っていこうというところでご馳走様をして、食器を洗ってもう少し話し合い。実際にどれくらいの給与がもらえるのか、どれくらいの家計の予定でいけば暮らしていけるのかを彼女が計算しだしたところ、急激に私の状態が悪化。思わず、彼女の障害年金(社労士さんに相談予定)をあてにしたことを言うと、今度は急激に彼女の状態が悪化。これはまずい。でも、だって、そうでもしないと暮らせない。でも、だって、強迫性障害では障害年金は取れないかもしれない(ここんとこの制度、どうにかなりませんかね)。でも、でも、だって、だって。

でも、でもね、私たちのすごいところを一つ自慢すると、話し合いがとことん深くて長いことなの。彼女の不安は、障害年金がもらえるかどうか不確実なのにそれに頼った計画を立てたくない、ということ。そこで、よく、よーーーーく考えてみた。そうか。私は、今年度の自分の勤務状況から大学教員としての自信を失っていて、だから私にとっては「来年度の自分が、減らしたコマ数であっても、必ず、確実に、100%、完璧にこなせる」というのは「不確実」なことなのだ。私からしたら彼女の障害年金と同じように、不確実なものに縋られるのが怖いのだ。出来なかったらどうしようかと、そんなことを思ってしまったのだ。

そこまで突き詰めたら、形は違えど同じ理由、同じ理屈で不安なんだと分かった。だから、私は、膝を突き合わせた自分たちの間に目に見えない軸を突き刺した。「生きてはいける」。母が電話で言ってくれた言葉。何があっても生きてはいけるから、絶望しないでね。そう。例え障害年金が貰えなくても、万が一私がやっぱり働けなくなっても、生きてはいける。計画を立てないと足元はおぼつかないけれど、来年度はそれさえも受け入れつつ、ある意味行き当たりばったりで、ゆるると生きていこう。生きてはいける。生きていこう。それだけを決めて、それだけは絶対に誓って、笑顔で話し合いを終えられた。

大丈夫って私が決めた。来年度は非常勤講師のまま、今年よりは控えたコマ数で働こう。もしめちゃくちゃ魅力的な専任教員の求人が今年度中に出たら、駄目元で試すくらいはしてもいいけど、あんまり期待しすぎないこと。大丈夫って私が決めた。二人一にゃんで暮らしていくんだ。のんびりと、生きていくんだ。

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