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あなたのいない人生

10月1日。あなたのいない人生を想像してみる。

まず、私はこの部屋にいない。年季が入って薄汚れた壁に囲まれていない。若い頃のあなたが壁中に貼った蓄光性のプラスチックの星にも囲まれていない。熱心に毛づくろいをする愛猫も傍にいない。何より、あなたが私の傍にいない。

出会ってたった三年。まだ三年。前の恋人と八年交際したことを思えば三年なんてあっという間の出来事のはずなのに、なぜか毎日があまりに濃厚で、幸せで、あなたのいない人生を想像すると胸がぐっと苦しくなる。あなたがいなかったら、まだ私は一人で安全な実家の自室に籠っていたのだろうか。それとも、自分の本当の姿を世間に明かすことなく、異性が好きな振りをしながら(前の恋人は異性だった)、幸せな振りをした結婚をして、どこかの綺麗な家に住んでいたのだろうか。壁はきっと綺麗だろう。でもそこに星は瞬かない。

私はあなたの人生を大幅に変えた。私のいないあなたの人生は、よっぽど大きな変革が起きていなければ、そこそこ厳しいものだったんじゃないかと想像する。毎日毎日、暮らすために働いて。働くために生きて、生きるために働いて。その繰り返しから脱するには二つの方向しかないと思う。どうにかあなたに出会えて、こっちの方向に引っ張り出せてよかった。あっちの方向に行ってしまう前に、こっちに引っ張り出せてよかった。あなたの人生に私がいてよかった。

あなたの人生に私がいなかったら、私の人生にあなたもいなかった。それは当然同義であって、同じ言葉を繰り返しているだけのように見えるかもしれない。でもそうではなくて、あなたの人生を私が救えたから、私の人生をあなたは毎日救えている、そんなニュアンスがあるのだ。色んな人に守られて生きてきた私だから、あなたがいない人生だったとしてもそれなりに明るくて綺麗で、素敵に見える人生を送れたかもしれない。でもそれじゃあ駄目だった。あなたのいない人生で、私は自分の本当の心の内を誰かに晒すことなんて出来なかっただろう。セクシュアリティのことだけではない。そんなことは些末に感じるくらいだ。日常の細やかなこと、例えば今日はマクドナルドのサイドメニューをフライドポテトではなくてチキンナゲットにしたいだとか、そんなことも言えずに、ずっと生きていたと思う。人の顔色を窺いすぎて、自分がどんな顔をして笑っているのかも忘れて、丁寧に丁寧に生きていたと思う。そんなことばかり蓄えて、私という星が光るはずもない。夜闇に消えていく寸前だった私に、光を与えてくれたのはあなただった。

苦しみながらも、どこかマイペースで自由に生きるあなた。好きなことに正直で、それでいて好きでないものに対してもそれなりの思いやりを持って接しようと努力するあなた。いや、そこまでの聖人ではないのかもしれないけど、今はそういうことにしておこう。あなたの優しさと伸びやかさに救われて私は毎日生きています。あなたのいない人生、何も貼られていない綺麗な壁に囲まれてフライドポテトを食べながら、魂の内側から毎日暗闇に侵食されていただろう人生。そんなものよりも、私に背を向けて居眠りしている姿を横目に、こんな恋文を書いている方がずっと幸せです。チキンナゲットどころかアップルパイまで買ってしまって、どんどん幸せ太りしている現状を一緒に苦笑いしてくれる、そんなあなたと一緒に生きられる人生を手繰り寄せられてよかった。あなたのいる人生。それが私の生きる人生でよかった。

#私のパートナー

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