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ふたつ葉のひとりごと 〜劣等感〜


どうも、芽吹ふたばです。


投稿を始めてから、早10日。
文章って難しくて、奥が深いなぁと改めて思いました。

note自体をインストールしたのは、結構前なのですが、文章を書き始めたからこそ、他の方の作品を見る場面が増えまして、毎日上げている人、めちゃくちゃフォロワーのいる人、目的がはっきりしている人、文章に色がある人など、様々な文章を見る機会に恵まれました。

いやー、本当に凄い。

どの分野でも言えることですが、上には上がいるのだと、分かっていても思わされました、はい。

自己紹介でもお話ししましたが、私はまず、気軽に始めてみようという思いから、noteの門を叩いたので、熱意のある人も多くて、感嘆しながら、とても楽しく拝見させていただいてますm(_ _)m

一方で湧き上がるのが、劣等感。今回は劣等感についての独り言を語らせていただきます。

1.私の"劣等感"

皆さん、生きていたら、劣等感という感情にぶち当たること、ありますよね。(あると言って欲しい)

私は至る所で感じていました。

自分より美しい人に出会った時。(男女ともに)
自分より能力が高い人を見た時。(勉学、スポーツ、音楽……。何でそんなに上手いねん)
自分より友人が多い人を見た時。(陰キャの私には越えられない壁を感じる……)

はい、劣等感の塊です。
特に何でも持っている人を見ると、なんか欠点はないのかと、粗探ししたくなります。(大谷翔平は多分、足くさい)

色んな人に劣等感を抱く私は、おそらく突出して誇れるものがないのだと思いました。言ってしまえば、普通。見た目も、技術も、トークもパッとしない、一般的な、もしくはそれ以下の人間ということです。

だけれども、唯一、得意なのでは、と思うことが、ありました。それが空想すること。

頭の中では、胸が熱くなるストーリー、キュンとするロマンスがいつも渦巻いています。
授業中、教師の何気ない一言から、ドラマやアニメのとある場面から、空想が広がって、独自の世界が形作られていきました。
あることないこと考えては、嬉しくなったり、悲しくなったり。だけれど、その世界が、楽しくもない現実を生きていく原動力になっていたと思います。

そんな日常だった私ですが、ある時、頭の中に描くだけでは、勿体無い、誰かに知って欲しいと思いました。

劣等感でいっぱいの私が唯一持っていた、空想力。
頭の中に浮かぶ、物語や、哲学的な考えを、何かに表して、周囲の人たちに知って欲しいと思ったのです。
それがnoteを始めたきっかけでした。

しかし、そんなnoteの中にも、上には上がいます。
また、劣等感に駆られる訳です。

どうやったら、色んな人に見てもらえるのだろう。あの人のように面白い文章を書くにはどうしたら良い?

しかし、今回は不思議と嫌な気持ちにはならなかったのです。今まで、自分が到達できないものを見てきた時には、絶望を感じていたのに。


2.劣等感とは

さて、劣等感とは何でしょうか。
改めて、検索してみます。

自分が他人より劣っているという感情、または感情的反応。優越感の反対。

コトバンク(https://kotobank.jp/word/劣等感-661781)


つまり、自分と他人を比べることから生まれる感情ということですね。

これまで、劣等感から、髪型を変えてみたり、能力を伸ばしてみたり、人と会話する機会を作ってみたり、一応努力してみました。しかし、そのどれもがうまくいきませんでした。

特にスポーツや音楽の分野は、家庭環境や遺伝子レベルによる優劣があると思います。私は音楽が好きだったので、カラオケに通い詰めたこともあったし、大人になってから、ピアノを習ったこともありました。
どれも好きだったけど、上手い人には敵わない、壁があったのです。

会話力も然り。頑張って話しても、内向的な私には苦痛でしかありませんでした。そんな気持ちがある私が、到底人気者になれる訳がありません。

努力しても、劣等感を抱く。
この感情が嫌で、現実逃避してました。自分は表に出てないだけで、人気者になる力があると思い込んだり、顔が良いと暗示をかけながらも鏡を見ないようにしたり……。
結局、痛いものに蓋をして見ないようにしてきたのです。痛い言葉に耳を塞いで、目を閉じて。見ざる、聞かざる、言わざるです……笑


劣等感を持つのは嫌いでした。好きな人はいないと思います。
とはいえ、本当に、劣等感を持つことは悪いことなのでしょうか。


3.劣等感の持つ力

偶然調べたコトバンクを見てみると、劣等感とはアドラーによって作られた用語だそうです。そして、強い劣等感は悪い効果を生む。

知的な競争で失敗した子供が、運動競技で優越を確保しようとするのも劣等感の補償と考えられる。こうした意味での劣等感は、教育的に望ましいものと考えられるが、あまりにも劣等感が強く、自分の欠点を補償することができそうにないと、過度に優越、権力を求めるようになり、うつ病などの病因にもなってくる。これは、落ち着きがなく、せっかちで、激情に陥りやすくなり、他人のことを顧慮することができなくなるからである。こうした態度は、誇大妄想といってよいほどの色彩を帯びてくる。

コトバンク(https://kotobank.jp/word/劣等感-661781)


つまり、自分の欠点が保証できれば、教育的に望ましいものとなり得る訳です。

これだけでは、はっきりとわからない人もいるかと思いますが、自分の欠点を理解した上で抱く劣等感は、原動力となり得ることがあるのではないでしょうか。

今回、私は劣等感を抱きつつも嫌な思いを感じませんでした。それはおそらく、文章力に自信がないからだと思います。
私にあるのは空想力だけ。私にとって、文章は自分を表現するために使用した方法であり、絵や音楽の才能があれば、文章じゃなくても良いのです。

そして、時折、変な文章を書くことがあると自覚しているので、この人の文章、才能あるなと思っても、劣等感が絶望になりにくいのかもしれませんね。
悪くいえば、文章力のせいにできる……。

反対に、空想力って他人と比べて、計りづらいものであり、能力の限界値が見えづらいものでもあるので、絶望を感じる余地がないのかもしれません。


4.結び

ここまで、長々と書いてきて、結局何が伝えたいのかといえば、劣等感は悪いものじゃないということです。

劣等感を抱え過ぎず、自分の持っている力を見極めて、様々なことに挑戦して欲しいと思っています。
抱え過ぎは、自分も周りも幸せにならないので。


ということで、私は皆さんの作品を見て、大いに劣等感を感じようと思います。
皆さんも、良い劣等感を持って、自分を輝かせてくださいね。

私のしょーもない独り言、最後までご覧いただき、ありがとうございましたm(_ _)m

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