【短編小説】面倒くさい病(やまい) 前編
どこから生まれたのか分からない、原因不明のウィルス。その病名は"面倒くさい病(やまい)"。
罹ると名の通り、何をするにも面倒くさくなってしまうという厄介な病だ。
はじめは皆がその名前から馬鹿にしていたのだが、感染力は凄まじく、あっという間に周辺の人間全てが"面倒くさい病"に感染してしまう。特効薬は未だ無く、一度罹れば全てのことに気力が無くなる、恐ろしいウィルスである。
私は幸運なことに、家族も、まだこの病には罹っていない。だが、日本にも到頭、このウィルスがやって来た。
"面倒くさい病"について、テレビは連日報道している。
ワクチンは早々に研究され、作っているようだが、その研究員がウィルスに感染してしまい、なかなか開発が進まないのが現実である。
加えて、ウィルスに支配されたとある国が、崩壊してしまったとの報道もあった。
何をするにも気力がなくなってしまうので、働き手がいなくなり、国を維持するのが困難になってしまうのだ。
そんな恐ろしい病が日本に来たのだから、普段はどうでも良い話題を取り上げている情報番組すら、ずっと面倒くさい病について報道している。
「はあ……」
テレビを見ては、母が溜息をついている。母は看護師だ。連日続く報道が影響して、病院はすし詰め状態。対応した看護師が罹って辞めてしまったという話まで聞く。
うちも安心してはいられない。
いつ罹ってもおかしくないのだ。
母親と一緒に私も一つ溜息をついた。
*
ある日、仕事に行こうと、布団から起き上がると、身体に力が入らない。
こんなにも身体が動かなかったのは、初めてだ。体温計を取りに行くのさえ、億劫で、しばらく覚醒したまま、横たわっていた。時間は少しずつ、進んでいく。
おそらく熱はない。風邪を引いた時の気だるさとは違う、ダルさ。言うなれば、疲れ切って目を覚ました朝の身体である。できれば、仕事に行きたくないと思う、あれだ。
別に、熱なんて測らなくたって、何も変わらないのだが、仕方がない。
上司のイラついた顔を思い浮かべながら、何とか身体を動かした。
案の定、熱はなかった。至って平熱。咳も出ない。確実に風邪でないのは、分かるのだが、突然の身体の重みは、何故だろう。
取り敢えず、会社に電話を掛ける。
受話器越しの声は普段と変わらないトーンだったが、症状を嘘偽りなく伝えると、その声が疑念に変わった。
「それは、ズル休みか?」
上司は容赦なく、尋ねる。
面倒くさい病が流行った会社には、同じ時間、同じ場所に『ズル休み勢』が現れる。もうすでにそういう輩を私も見ているので、疑われるのは仕方がないのだが、私としては、そのままの状態を伝えるしか方法がない。
そもそも面倒くさい病自体、身体の重さと気力の消失が主な症状な訳だから、初期症状は他の病と見分けがつかないのだ。
取り敢えず、仕事に行けないほどダルいということだけは、念押ししておいた。
上司も、この微妙な状態の私を、会社に来させる訳にはいかないので、渋々頷いていた。
「かー!わあったよ。でもな、さっさと病院行けよ!」
そのまま、電話を切ったので、漫画のようなリアルなブツリ音が聞こえてきた。
簡単に言うなよ。ダルいってことは、病院にも行きたくないんだよ。
仕方なく、空いた腹を満たそうと、リビングへ向かう。
リビングにはにはソファに横になっている母がいた。
「あれ、仕事じゃなかったっけ?どうしたの」
そう問うと、母は力なく答えた。
「なんか、身体がダルくてね。休んじまったよ」
「僕も、同じ。もしかして、二人一緒に罹っちゃったのかしら」
「そのようね」
やけに冷静だ。あんなに二人して嫌がっていたのに、なったらなったで、あまり重く受け止めていないなんて。
というか、そんなことさえ、どうでも良かった。
「早く病院行かないとな。仕事、休む連絡したよ」
「私も。でも、病院行く気がなくてさ。このまま辞めちまおうかしら」
「あー、良い考え。病院忙しいしさ、辞めちゃえよ」
「そうね、そうしたら、二人して野垂れ死にね」
顔を見合わせて、大笑いした。それで死んでも、どうでも良い。
簡単に朝食を済ませてしまうと、布団に潜るため、部屋に戻った。
「あー!僕も辞めちゃおうかな」
布団の上で伸びをして、そのまま寝転ぶ。布団の上こそ、最上の幸せだ。目を閉じて、そのまま眠りに落ちた。
ふと、ハッとして目が覚めた。そういえば、19時から、ネオンちゃんが歌番組に出るんだった。飛び起きて、リビングへと向かう。
リビングでは、母がソファの上で、心地よさそうに眠っていた。そんな母を起こすまいと、そっとデッキの電源をつけた。
テレビを見つめながら、私は不思議だった。あんなに身体が動かなかったのに、どうしてテレビの前に来ることができたのか。
もしかしたら、"面倒くさい病"にも、突破口があるのでは。そんな気持ちに少しだけなった。
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