新しい学年になる前に
ソメイヨシノの前に、河津桜が満開の3月初め。
長女5歳は、この春でいよいよ年長になる。
年長になる前に、卒園式では在園児代表で長女のクラスが歌を贈る。
現年長組と、新年長組。
新年長組と、新年中組。
色々な異年齢の保育の取組がある中で、なかよしさんぽという名前で、他の学年の子供と手をつないで少し離れた公園まで歩くプチイベントが月に何回かある。
現年長組さんとのおさんぽは、言わずもがな今月で最後で、最終回は近くの公園でみんなでお弁当を広げる。
コロナ禍でも何とか続ける方法を模索してくれていた、先生たちの異年齢保育への熱意が感じられる取組。親としてはとてもありがたい。
一方。
「わたしはなかよしさんぽ嫌い。年少さんの〇〇ちゃんじゃなくて、おとこのこと手をつなぐから。」
なかよしさんぽの日は、いつにもまして朝の支度がスローになる。ナマケモノですか、と確認したくなるほどに腕がだらんと伸びているときもある。ソファでごろんとしているときもある。勝手にテレビをつけようとする。なぜか朝から工作を始める。行きたくないオーラ全開。
長女は、男の子は男の子の遊び、女の子は女の子の遊び、のこだわりが今すごく強い。
男の子でもあやとりやおままごとやなわとびを一緒にやってくれる子は好き。駆け回ったりいたずらしたりいじわるを言う子は嫌い。分かりやすい。
体が小さく足もそこまで速くないので、ドッジボールや鬼ごっこになると、ターゲットになるのを分かっていて、極力やらない。でも負けず嫌いなので、「〇〇くんにあてられた、○回逃げられたけどわたしのチームはまけた」と、やるとなったらすごくくやしそう。でも、こだわりがあるだけで多分すごく嫌いというわけでもなさそう。
というわけで、なかよしさんぽに話を戻すと、実は公園まで一緒に行くペアを自分で選べない。しかも、男の子のほうが多かったりするので、必然的に男の子と手をつながないといけなくなる。
「明日もなかよしさんぽいやだな〜。だれとてをつなぐとおもう?△△ちゃんじゃなくて〇〇ちゃんだよ」
「〇〇ちゃんってどんな子?」
「うーん、わかんない」
初めて聞くお名前で、母も他の学年の子はよく分からない。少し考えてみた。
「あのね。なかよしさんぽは、今なかよしの子とおさんぽに行くからなかよしさんぽ、というわけではないんじゃないかな」
「え?そうなの?」
「先生が誰と手をつなぐか考えてくれているのはね、いろいろな人となかよくなるためじゃないのかな」
「なかよくしている子とおさんぽするのがなかよしさんぽじゃないの?」
「だって、なかよしの△△ちゃんとはおさんぽに行かなくても一緒に遊んでるでしょう?」
「そうなのかなあ」
「今度先生になかよしさんぽってなんでそう言うのか聞いてみたら?」
「そっかあ」
他の子が保育園から帰るときに「〇〇くん、とびだすとあぶないよ」と言ったり、何だかんだで男の子の輪に混ざってなぜかぬいだ上履きをみんなで眺めて玄関から動かなかったりするので、本人はどう主張するかは別として、親から見るとみんな仲良しに見えている。
多分男の子より女の子と遊びたい年頃なのはそう。
でも、なかよしさんぽがいやだというのは男の子と手をつなぐから、だけじゃない。
体操のときに、先生がチームを作ろう、と言ったときに仲良しの子とだまって二人で手を繋いだというエピソードと、なかよしさんぽを嫌がる長女の姿が重なった。
チームになる、一緒に遊ぶのは仲良しの子があたりまえ。そんなあたりまえを、「ほんとうにそうかな?」と考えてもらうところから、年長さんになる準備がはじまっている。
蛇足。
最近長女の保育園の呼び名から、「〜ちゃん」が外れて大人みたいにお互いを名前で呼んでいる男の子もいる。おそらくそういう変化に対する、照れくささもある。
そして父親はいつも男の子の名前が出てくると勝手に一喜一憂している。時々は自分がお迎えに行って、長女を守らないと、みたいな訳の分からないことを言っている。そういう義務感はいらないから、早く帰れる日はお迎えに行ってほしいだけなのですよ。
母は横でニヤケつつ、内心夫の思考回路に少し呆れながら、長女の園の話を今日も楽しみにしている。
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