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赤ひげドクターつれづれ草 ②      ~ 在宅医療の光と影 ~


 1970年代ころまでは、開業医は夜間や休日にかかりつけの患者さん宅に求めがあれば往診に応じていました。私も子供のころ熱を出すと、母親が慌てて「先生来てくだい」と電話して、しばらくするとおひとりで大きな黒カバンと聴診器をもって往診に来てくださいました。カバンの中には注射のアンプルや薬がいっぱい詰まっていて、そこからおもむろに注射のアンプルを取り出してスマートにカットして注射器に薬液を吸ってお尻にブスッと筋肉注射されるというパターンでした。子供の目からすると宝箱のような黒カバンの中身は興味津々で一生懸命覗き込んでいたのを思い出します。当時小児への筋肉注射の乱用で大腿四頭筋短縮症をおこす子供が頻発して訴訟沙汰になり、大きな社会問題となったこともあり、現在は小児への筋肉注射は重大な障害をもたらすリスクがあり禁忌となり、解熱剤も座薬や内服となっています。
 1980年代になると往診に気軽に応じる医師はほとんどいなくなりました。自民党の有力支援団体として日本医師会(当時の医師会長は「けんか太郎」と言われた武見太郎氏で1957年から25年間医師会長として君臨し、政界ににらみを利かせていました。現在の武見敬三厚生労働大臣はそのご子息です)の政治的圧力もあり、外来診療報酬が引き上げられ、わざわざ時間外にお宅に出向いて検査もできないリスクのある状態で往診するモチベーションがなくなってしまったこと、患者・家族の側も検査機器のそろった救急病院への受診志向が高まったことなどがあります。
 一時すたれていた在宅医療を国策として推進に転じるきっかけは、1990年代に入って急速に進み始めた高齢化社会への対応です。通院困難な高齢者の増加に対応し、医療費抑制政策のため入院ベッドは増やさず、できるだけ在宅で療養してほしいというのが国の本音ですが、在宅医療・介護推進の理由としては「住み慣れた地域や自宅でご家族やなじみの近所の人たちと交流を続けながら最後まで療養するというのがより人間らしい生き方ではないか」というきれいごとで修飾されています。
 1992年訪問看護ステーションが制度化され、2000年には介護保険制度が施行となり、多職種での在宅療養支援の仕組みが整いました。医師による在宅医療は昔の「往診」のイメージとは様変わりして、普段かかりつけ医が定期的に「訪問診療」して、病状や療養状態を管理しながらフォローし、病状変化や看取りの際は、看護師、薬剤師、ケアマネなど多職種チームで協力して時間外も含めて「往診」対応するという仕組みになりました。医師単独で往診していた時代と違い、チーム医療・介護の取り組みが当たり前となり、在宅医療・介護の質が大幅に向上しました。
 在宅診療に対する診療報酬もこの20年間段階的に引き上げられ、「おいしい報酬だ」と若い医師たちも積極的に在宅医療に参入し始めました。高い報酬だけを目当てに「医療技術や経験がなくても、適当に在宅医療をこなして、困ったら病院に救急で送ればよい」と考える若い医師の参入が目立ち、都市部では有料老人ホームなどへの訪問診療を効率的に行うことで何千人もの患者を抱えて高い収益を上げる在宅医療ビジネスを展開する在宅専門クリニックが出始めて問題となっています。今春の診療報酬改定では、在宅医療ビジネスへの強い規制がかけられました。
 大都市部では高齢、夫婦二人暮らし、独居、老々介護、認認介護(認知症夫婦同志の介護)が進行し、療養継続困難者が続出しています。80歳代の両親が高齢化して要介護状態になり、結婚していない子供が実家に同居していて50歳代となり、介護負担が重くのしかかるいわゆる80-50問題も深刻で、政府の言うきれいごとは通用しない現実の中で、有料老人ホーム、サ高住、グループホームなどが特に名古屋などの大都市部では雨後のタケノコのように乱立しています。価格もピンキリで、入居金1億円越えの超高級有料老人ホームもあれば、生活保護でもがん、難病、寝たきりなど医療・介護度が高ければ受け入れて在宅医療・看護・介護サービスを目いっぱい入れて収益を上げる在宅療養ビジネスもどんどん増殖しています。
 地域包括ケア、在宅療養支援システムなどの響きのいい言葉で、なにか物事がうまく進んでいるかのような上っ面だけの報道が目立ちますが、実際に在宅医として毎日地域に出かけている中で見えてくる社会の現実を次回以降ご紹介していきたいと思います。

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