父、家族、背景②
続きになります。
前回書き忘れましたが、私が中学を卒業する頃から、父はちゃんと働かなくなりました。時々短期的に仕事をする時もありましたが、ほとんどはギャンブルをし、そのお金はお金持ちの愛人からもらっていたようです。(この話は1番触れたくない部分です)なので、学費や生活費は少ない母の稼ぎと祖母の年金でやりくりしていました。それにプラスして、父は低給料の母と愛人を比べる人格否定発言…たくさん出てきますね…。
そんな父ですら救いたい気になったあの時の私に戻り…気を取り直して
祖母の認知症は徐々に進み、父と暮らすうちにひどくなりました。糖尿病の祖母は、薬の管理ができなくなり、父も、そんな祖母を置いて泊まりに出て歩く日もありました。
今思うと、父は祖母の認知症に向き合いきれず現実逃避があったのかもしれません。
私は、仕事を辞め、一時間の距離を週3日通い、祖母の生活を見守りました。
グループホームには、足腰がしっかりしていたので要介護3にはならず、空きがないということ、私が時々様子を見れるということで入居できずにいました。
その頃から、父は私を頼るようになり、私も応えるべく病院、親戚付き合い、家事、できることはしました。
父も、徐々に泊まり歩く事は無くなり、失禁が増えた祖母を父なりに一生懸命看るようになりました。単発ですが、父も働くようになってきました。
私がこの頃したことは、まず色々あった父との確執の記憶が出てきたとき、出てきた感情をまるっと受け止めました。
あ、私嫌な感情でてきてるなーと、一旦ちゃんと感じてあげると客観的になる気がしました。気持ちに振り回されると、祖母のことさえ投げ出してしまいそうで。
そして
父を責めない
父に期待しない
話は聞く
父が留守中の様子を伝える
このくらいです。
だんだん、心が父に対してニュートラルになりつつありました。投げやりに言うと「どうでも良い」
この頃、結婚して小さな子どもがいました。子どもを連れて通った期間は1年程になります。(結婚については後に書きます)
祖母は、小さな子どもがだいすきで、連れて行くと本当に喜び、その喜ぶ顔が見たくて、会いに行っていました。
ずっと、このままで良いから何も望まないから、祖母が笑える日が一日でも増えればと思っていました。
そんな時、事件が起こりました。
続きます。
この回で私が伝えたいこと
負の感情は端に押しやらない(出てきたのはしょうがないから、受け入れてあげる※ポイントはちょっと上から目線)
相手を変えようとしない
目の前の人を喜ばせる
どうか、何かでお辛い気持ちを抱えている方に、参考になればと思います。
今日の日が良き日で無事に終わりますように。
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