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父、家族、背景①

見つけてスキ!をつけて頂いて、ありがとうございます!
文章が苦手ですので、誤字脱字、支離滅裂な文になっているかもしれません。ご了承お願いします🙇

ど田舎で父、母、兄と弟、祖母と暮らしていました。小さい頃は父に可愛がられた記憶もあります。
私が小学生4.5年生くらいから、家庭内が荒れ始め、徐々にエスカレートし、それは私が成人した後も続きました。
夜、布団に入ってからの怒鳴る声が日常茶飯事になっても慣れる事はなかったです。
今でも夜の物音は過剰に恐怖を感じてしまいます。
思春期に入ると、正義ぶった言葉で父を罵り、悪態をつき、父から殴られる事もしょっちゅうで
殴られたり、物を投げられたりする痛みには何故か慣れてしまってました。
それは矛先が他の家族ではないから
私が殴られる分には大丈夫。
強がりニヤけてた事を覚えています。それでますます殴られる。今思うと、私も異常ですね。
必死に止める母の事を思うと、今更ながら、もっとうまく立ち振る舞えばよかったと後悔しています。

ここで書き出すとキリが無いのですが、色々な出来事があり、私の中に深く染み込んだ恐れが後にグリンと反転するのです。

大人になり、父の言動はけして人として許しきれるものでは無いけど、父の生きづらさが分かる気がしてきました。

閉鎖された場で無抵抗な人に向ける攻撃は、自分の劣等感、焦り、不安、それを他人に移してぶつけていたのかな…と思うようになりました。

自分を愛する手段でもあったかもしれません。

私がそう思えたのは、成人し、母に離婚への背中を押す事ができてからでした。

母を救いたいと思って、近くに呼び寄せる事ができた…
後ろを振り返ると、あんなに大きく大嫌いな父の背中が、とても小さく見えたのです。父にとって母が甘え所だったんだ…


父も救いたい


見えるマイナス部分で父の人物像を作り上げて長い間固定化して
目に見えない所の父を知らない。
必ず、表があれば裏がある。

母を守りたいが為の言動が深く父を傷つけていたのかもしれない。

離婚と同時に、祖母が認知症になりました。
父は、一人になり、自分の母親の介護と仕事と家事を背負う事になりました。

長くなりましたので、またあとで続きを書きます。
気分を害される方がいましたら、申し訳ありません。
私がこのような環境で育ち、どんな影響があり、そこからどう乗り越えたかを綴ります。

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