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世界の始まりはお母さん。

琴線に触れる芸術ってありますよね。その度合いによって感動もまた大小あって。
三島由紀夫を読んでましたね〜。なんでだろ…なんか純文学ばっか読んでた時期があって、「これが小説」っていう概念だったからかな。「仮面の告白」読んで、すげー!ここまで自分を曝け出してるんだー!とカルチャーショックを受けたりしました。すごい自分と向き合って…出来るのが作品なのか。と思いますけど、当時だと今より全然LGBTが進んでいない世の中なのに、すごいな、と思ったり。そして、小説家ってなんて神経質なんだろう!とも思いました。こんなにジロジロ世界見てんだな、と。怖かったから見てたんだろうけど。生い立ちの環境によって、そういう観察眼が出来たりしたんだろうけども。
人間世界って不思議だもんね。またこのパターンやってんのか、とか。色々奇妙だなぁと思う。

*ここから豊穣の海シリーズでネタバレがあるので注意を!

豊穣の海シリーズを最近見たけれど、三島はそれ書いて死んじゃって、イッちゃってる扱いされてたけど、(確かにそういう気質は持ってたけど、逆に持ってなきゃ書けないよ)ちゃんと自分を見つめて、これ以上の発展性が無いって答えを出してたんだな、と分かって、正気はあったな、と思った。というか、まともだった。思ってたより。
でも死なないで欲しかったな、って。なんか自分は真の天才じゃない、と思ったりしたみたいだけど十分天才だし。(本当の天才は神が嫉妬して夭折させられるんだとかいう考えだった)
もっと認めたらいいのに…と思いながらも、母子の愛着の問題に希望を見出せなかったんだよな、と切なくなって。母が子供を認めるって大事だよ。聡子は三島のお母さんだったのかな、と感じた。第一部の「春の海」の清顕に対して、最後の第四部「天人五衰」の聡子が、「そんな人いらっしゃいました?」と言う悲しさが、来世では結ばれてほしいな、と思いました。

どんなに希望が無い状況でも状態でも、希望は見ていたいな。それは無駄になんかならないと思うから。

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