エッセイ#52『卒寿』

 親から「明日はスーツで行くよ。」と言われたのは、親戚一同が集まる食事会の前日であった。私は勝手に、ちょっと良いしゃぶしゃぶ屋くらいの会場を想像していたため、まさかのスーツ着用には驚いた。
 当日、スーツを着て向かったのは父親の実家がある埼玉県某市である。食事会の会場は市内の結婚式場で、親族がスーツや着物で一堂に介していた。
 集まった目的は新年会とのことだったが、どうやら私の祖父の卒寿祝いも兼ねているらしいという噂が、我が家で流れ始めた。誕生日はまだ先だが、祖父が今年で90歳であることを再認識し、彼の元気さに衝撃を受けた。恐らく、ご長寿クイズに出ても普通に正解を出して、何も面白いことは起きないだろう。

 食事会が始まって10分が経過した頃、私と両親達はこの会の真の目的に気が付いた。親族の誰かが営んでいる会社の新年会に、人数調整のために我々の家族が招かれたのだ。卒寿祝いもそのついでである。
 私達が座るテーブルには、「要らなくない?」という空気が流れ始めたが、良い食事がタダで食べられたので誰も文句は言わなかった。
 その後しばらくして、私とその家族が座るテーブルにしれっと座っている婦人が気になった。7人掛けのテーブルにいたのは、私と両親、父方の祖父母と叔父さん、そしてその婦人であった。直接聞くのも失礼なので、私は気にしないことにした。帰りに車中にでも両親に聞けば良いか、と疑問を一時的に押し殺した。
 その時、私達のテーブルに参加者紹介のターンが回って来た。司会の女性がマイクを片手に、その場の全員を紹介して回っているのだ。

 私の家族を仮に「成田家」とする
 「え~、まず彼女(祖母)が私の従姉でして、もう何十年も前からこの市に住んでいます。そしてその隣が旦那様(祖父)です。お誕生日おめでとうございます。そして彼がその長男(父)、そしてその奥様(母)、そして御長男(私)。長男の長男ですね。そしてその隣が、成田家の方ではないのですが、成田家と最も仲が良いご近所の川口さんです。」

 衝撃の事実である。いったい誰なのだろうと考え続けていたこの婦人は、ただただ仲の良い人だったのだ。なぜこの人はこんなに楽しそうに参加できているのだろう。お刺身の写真を撮り忘れた時も、まだ残っているテーブルを探して回っていたが、彼女は赤の他人だったのだ。
 何よりも叔父さんが紹介されていない。次男よりも優遇されるご近所さん、それが川口さんである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?