エッセイ#54『カフェ』

 私の地元には、廃墟と見紛う程に荒れ果てたカフェが存在する。もちろん、ただただ荒れているだけで営業はしているのだが、何も知らずの通り掛かった人が見たら、確実に閉業していると思うだろう。
 この店を初めて意識したのは中学生の時である。学校の近くにありながらも、一度も開店している様を見たことがないことから、私を含めた多くの生徒は既に閉まっているものだと考えてた。
 しかし情報通の友人曰く、我々が見たことがないだけで、普通に営業はしているらしい。実際に、自分達が学校にいる時間帯にカフェは営業しており、下校時刻の前には閉店してしまうため、そこが開店している様子を見たことがなかったのだ。

 そんなカフェに、私は一度だけ足を踏み入れたことがある。大学1年生の冬、昼ご飯を食べるために興味本位で入店することにしたのだ。
 近くで見ると、その異様さが際立つ。街中に突如として現れる山小屋のような店は、きっとオープン当初から何も変わっていないのだろう。
 外見が外見なら、内装も内装である。まるで巨大なおもちゃ箱に入ってしまったかのように、辺り一面には昭和レトロな玩具で飾られていた。店内におもちゃを置いたというよりもむしろ、物置にテーブルと椅子を置いたと表現した方が適切かもしれない。
 席に着くと、私は最もオーソドックスだと思われるセットメニューを注文し、周りを見渡しながら暇を潰すことにした。私以外に客はいない。どうやら授業中だからとかではなく、そもそもの客足が少ないようだ。
 しばらく待っていると、サラダが到着した。そしてスープ、ティーポットとティーカップ、シュガーポット、と次々に到着し、いよいよメインのハンバーグが乗ったプレートが到着した。宮沢賢治の『オツベルと象』に「雑巾ほどあるオムレツ」という文言が登場するが、私の元に運ばれて来たものもまた、雑巾ほどあるハンバーグであった。
 サラダには溢れんばかりの野菜に加えて鶏ハムのようなものが乗っていたり、紅茶は3倍分くらいがポットに入って提供されたりと、かなり満足度の高いラインナップだった。ハンバーグもかなり美味しく、何故こんなにも人がやって来ないのかが謎である。
 そんなことを考えていると、1人の女性が入店した。扉を開けて店内をキョロキョロと見渡すと、そのまま出て行ってしまった。確実に私とは目が合っていたが、いったい何が気掛かりだったのだろう。

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